その33 白雪に送られて
「うにゃあああああ!」
ナットが枝から飛び降りる。ポセットの首にかかるツタに飛びかかり、またも爪を立てる。しかし、痛覚がないのか、びくともしない。
「あら、ホント、賢い猫ちゃんね。折角だし、あなたにもなにか投与してあげる。動物実験も大切だもの」
すすすっとツタが忍び寄る。ナットはにやりと不敵な笑みを浮かべ、尻尾をサッと持ち上げた。尻尾の先でくるりと一巻き、器用に注射器を持っていた。それは、町を去る時、絵の部屋の近くで見つけたものだった。
それをグサリとツタに突き刺した。素早く前足で抑え、ぎゅうっと注射器内の液体をツタに流し込んだ。
「ん……? 何を……」
ツタがグネグネと動き、ポセットの首から離れた。苦しそうにのたうち、地に伏せる。
「なに……! どうして!? この猫! 何を!」
「オイラは賢い猫ちゃん、ナット様。かわいいからって油断したね」
「ごほっごほっ……! よくやってくれた、ナット」
「まかせにゃさい」
ナットはポセットの肩の上で誇らしげに胸を張る。ポセットを締め上げていたツタがふにゃふにゃと力なく倒れ、ポセットが解放される。クレアが戸惑いながら声を荒げた。
「バカな! なぜ!? ――まさか!」
「思い当たる節はあるようですね……。それもそうか、あなたはクレアさん。そして、この薬を作った
のも、紛れもなく、あなた自身なんだから」
それは、作り出したものの使用することが出来なかった、体内の植物を殺す薬。その薬の強さゆえに、感染者である人間の命も奪ってしまう、最後の薬。
「バカな! バカな! なんてことを!」
「その慌てぶりから察するに、やはり、かなりの効き目があるようですね。――スズもテルルも、人のまま逝きました。あなたも、せめて、人のまま……」
クレアが怒りに狂う。奇声を荒げ、腕を振りかぶる。しかし、体は意思とは反対にぐずぐずと動かず、果てはボロボロと崩れだした。緑青の肌が割れ、剥がれ、白い素肌が現れた。
クレアはその場に伏した。よろよろと立ち上がり、ポセットを睨む。
「おの……れ。お前のような……、小僧に……。お前はぁっ! あの二人の命を無駄にしたんだぁっ!
私の研究を! 永遠の追及を!」
「テルルは……死ぬ前に、行きたかった海で、大好きなお姉ちゃんと思い出を作った。スズは町を守りきり、人のまま命を絶った。あの姉弟は決して無駄に死んでなんかいない。あなたを今ここで追い詰めたのは……、他でもない、彼女たちだ」
ポセットが目を閉じる。昨晩の灼熱の中で聞いた、スズの言葉がよみがえる。あいつを止めて、と。
クレアは鬼の形相で空を仰ぎ、断末魔をあげた。口から泡を吹き、膝から崩れ、小さく丸まった。近づいて触れる。呼吸は無い。体は硬直して動かない。
「死んじゃってるの?」
「どうやら、ね」
冷たい風が吹き抜けていった。
黒い空からは、綺麗な光る結晶が舞い降りてきた。
「雪だ……」
「うにゃあ……、さ、寒い……」
「行こうか、ナット。山を降りよう」
固まってしまったクレアの体を持ち上げ、倒れた木々を追って進む。まるで枯れたスポンジのように軽い。
なんとか山道に出た。窓が吹き飛んだ山小屋が一つ、ポツンと建っている。
「ここでいいだろう」
小屋のそばに、小さな穴を掘った。クレアを埋め、立ち上がる。雪は勢いを強くすることなく、しかし止む様子もなく、降り続いている。
「急ごう、ポセット。こ、凍えちゃうよ!」
「ああ、行こうか」
立ち去る前に、クレアの墓を見る。なんとも味気なかった。ポセットはしゃがみこみ、ネックレスを供えた。
「永遠の命に魅了された、末路か。でも、これで元の優しいお母さんに戻れますよ。大地に還って、スズとテルルを支えてあげるといい。きっと、また笑って会える」
そうして、山小屋を後にした。降り続ける雪。空から無限に舞い降りるそれは、スズからの花束だろうか。ほのかな冷たさがポセットをチクリと刺す。
歩く中、少しずつ積もっていく雪。一人山を行く少年にも、白い雪が積もりつつあった。ポセットはやや神経質に雪を掃う。
肩の黒猫、ナットが言った。
「冷たいね、ポセット」
ポセットと呼ばれた少年が答えた。
「うん。――きっと、生きているから……だね」
薄く積もった雪の道。次の旅へ、足跡は真っ直ぐと続いて行った。
読んでいただき、ありがとうございます。
今回はなんだか反省点が多すぎてトホホな感じでしたが、一応形になりました。
誤字脱字、確認してはいるのですが、もしかしたらあるかも……。
ご指摘、ご感想などなど、いただけたら嬉しいです。
お粗末さまでした。