その3 お届け物
トントントントン……。リズムよく流れる包丁とまな板の音。ポセットは目を覚ました。
「おはよぉ……ございます……」
「おはよう。もうすぐご飯が出来ますよ」
ポセットは熱帯夜を越えたようなひどく薄い格好だったので、冬眠の途中で起きたトカゲのように、のろ~っと暖炉にあたった。干してあった着替えがすっかり乾いていたので、早速それを着た。
「ふぅ、やっぱり、これが一番だ」
真っ赤なドレスは昨日と変わることなく美麗な赤色に染まっている。
やがて朝食が出来上がった。ポセットは寝ぼける黒猫を叩き起こし、朝食を頂いた。食器を洗い、掃除を手伝い、何度もお礼を言って、再び寝始めた黒猫をもう一度叩き起こしてから、小屋を出た。
「いつでもおいで。そしてまた、旅の話を聞かせてちょうだい」
おばあさんはにっこりと笑った。
「えぇ、きっと。それじゃあこのドレス、きちんと届けさせていただきます」
ポセットはきれいにたたまれたドレスを鞄に丁寧にしまった。鞄が膨れる。
「えぇ、ありがとう。元気でねぇ」
「ありがとうございました。では、お元気で」
「じゃあね、おばあちゃん」
「ばいばい、猫ちゃん。気をつけて行くんだよ」
見えなくなるまで手を振って、おばあさんと分かれた。
道は昨日の雨でびしょびしょだった。そして昨日ほど激しくはないが、やはりひらひらと落ち葉が舞う。道にも下り坂が多くなってきた。ふもとも近いだろう。
「そのドレス、本当に届けるの?」
「そりゃあ、届けるさ」
「なんか、嫌な予感って言えばいいのか……、寒気みたいなのがするんだよね」
「嫌な予感……?」
ナットは長く低く鳴いた。
「とにかく、約束は約束だ。何があっても届けるよ」
空では雲が時間と共にぐるぐる動いて、いつの間にかポセットたちの頭上には真っ青な空が広がっていた。
「あ、ポセット、あれ!」
ナットが指を指した。いや、指というより〝手〟を指したといったふうだったが。
ナットが指し示す方向には、空が映ったように澄んだ青をした、大きな海が見えた。
「海だよ! 海ぃ!」
「すごい、水平線が見えるよ。海なんて久しぶりに見たね。潮の香りがここまで漂ってきそうだ」
ポセットは深呼吸をした。湿った雨の匂いと、落ち着く木の香りが肺を満たした。
「ね、ねぇ、急に津波になったりしない? ここ沈没しない?」
「し・な・い」
しばらく立ち止まり、木々の隙間から見える海を眺めていると、狐色の平地に広がる家々に気がついた。その建物の集まりは周りを大きな砦で囲まれているようだった。
「見なよ、ナット。どうやら、あれが町みたいだ。もう少しだね、がんばろう」
「うん、がんばろう!」
「お前は僕の肩に乗ってるだけじゃないか」
「乗ってるだけでも結構疲れるんだよ?」
とくに変わったこともなく、実にすんなりと山を下り、道の先に見える町へと向かう。遠目から見える町のシルエット。なかなか大きな町のようだ。しかし不思議と、そこに続く道には車などのタイヤのあとも、馬車や牛車の車輪の跡も一切なかった。
「まるで、何年も人が通っていないみたいだな」
道を囲む黄金色のススキ畑。冬の近づきを知らせる冷たい風が、ススキを倒しながら走る。
風は海から吹いているようで、ポセットには分からなかったが、ナットには確かに潮の匂いが感じられるようだった。
うねるススキ畑を横切り、寂れた道を踏みしめ、ポセットたちはその町へとたどり着いた。
つづく。