その29 朝日を待つように
なされるがまま引きずられ、視界が全て紅蓮の壁で覆われた。
パァンッ!
辺りが焼け崩れていく音とは別に、乾いた破裂音が夜空を切り裂いた。ちぎれたツタが苦しそうにもがき、行き場を失って悶える。
紫の灯を携え、構えを取るポセットが、ツタを払った。
「スズは渡さない。――代わりに、これをあげるよ」
ポセットはスズが持っていたランプを取り上げると、化け物に向かって投げつけた。ランプは化け物のお腹の辺りで弾け、メラメラと火の手をあげた。
化け物が奇声をあげる。暴れるたび、燃え上がる迷路から吹き上がる炎が飛び火して、灼熱が化け物を段々飲み込んでいく。
スズが倒れた。咳をして、苦しそうにうなだれる。
「スズ、大丈夫? はやく避難しよう……!」
「ダメよ。迷路はもう火の海。抜けられっこないわ。ここで、燃えないことを祈って、倒れていることしか……」
冬の近づく季節とは思えないほど、辺りは熱く、明るい。顔が火照り、汗が噴き出す。
目を開けていられないほどに輝き、荒れる業火の大地。撒き上がる火炎で、スズたちの小
屋が音を立てて崩れた。ふらつくスズを、小屋から遠ざける。
化け物影が僅かに見える。黒い塊となった化け物の、身ぶるいするような断末魔が響いた。しかし、それも業火が荒れ狂う轟音の中に消えた。
「スズ! 気をしっかり持つんだ、スズ!」
「大丈夫……、大丈夫よ……」
「ポセット、熱いよぉ! 助けて!」
こうなることは覚悟の上だったが、まさかここまで大きく燃えるとは思わなかった。炎に囲まれたそこは決して快適ではなく、取り巻く灼熱に身を焼かれる、巨大なオーブンのようだった。
「ポセット! 照り焼きになる! オイラ、猫の照り焼きになっちゃうよぉ!」
「くそ!」
ポセットたちは井戸のそばに移動した。スズを寝かせ、必死の思いで井戸から水を汲み、桶の水をスズにかけようと持ちあげる。
「ダメだよ、ポセット! 頭にかぶったら、熱中症になっちゃう!」
「そ、そうか……。ナット、助かったよ」
「にゃん」
桶の水をスズの顔にぺたぺたと塗りつける。ポセットとナットも水を体に塗る。すこしでも体温を下げるのだ。あまりの眩しさと熱さで目が開けられないため、ほとんど手探りでの作業。
塗りつけても、塗りつけても、肌はすぐに乾き、熱を浴びる。ポセットがまた水をすくい取り、スズの頬へと持っていく。
スズが目を開けた。ポセットの方を見てはいるが、焦点はずっとずっと遠く、ポセットの背後のさらに後ろにあるようだった。そこはつまり、炎の明かりで真っ白に見える、夜空。
スズがそっと口を開いた。
「最後の夜ね……。綺麗……。綺麗な夜だわ……。本当に……」
ポセットには、アクセルを使っているわけでもないのに、世界が止まってしまったように、静かに感じた。熱さも、光も消えて、スズの柔らかな表情が、語りかけてくる。
「スズ、諦めちゃダメだ! スズ! スズ!」
スズが首を振る。
「これで、めいっぱいよ。私の命は、これで……。ありがとう。あなたのおかげよ……」
スズの手がポセットの頬に触れる。優しく撫でるように、白い手が滑る。
「スズ……? もしかして、目が……?」
スズはポセットの唇に手をやり、言った。
「呼んで……。私の名前……。呼んで……」
スズの意識は朦朧とし、見た目以上に衰弱している。
「スズ……! スズ! スズ! しっかりするんだ! スズ!」
スズはふっと笑みを浮かべると、ゴホゴホと激しく咳こんだ。その口から、そろりと静かに血が流れた。呼吸が荒くなり、ポセットを掴む腕に力が入る。
「スズ? スズ!」
スズはポセットに顔を近づけ、震える声で言った。
「聞いて……。私の体は……、植物に乗っ取られてしまう前に……炎で灰にして……。あなたに、やってほしい……。お願い……」
「スズ……」
ポセットはスズを抱きしめた。もう助からないのだろう。自分には救うことはできないのだろう。今してあげられることは、彼女の望みを叶えること。炎で、弔うことだけ。
「任せて……、スズ……。君も、君のままで……」
「ありがとう……」
スズは、もはや力の入らない腕で、何やらポセットに差し出した。それは、ポセットが拾ってきた、母のネックレスだった。
「あなたが、預かって……。お願い、あなたたちで……。〝あいつ〟を……止めて……」
ポセットがネックレスごと、スズの手を握る。
「スズ……」
ナットが悲しげに鳴いた。スズの手が空をさまよって、探り当てたナットを撫でる。
吹き抜けた風に煽られ、灼熱の業火が雄叫びをあげる。スズは優しい微笑みを浮かべながら、安らかに眠りについた。それでも、ポセットはスズの体に水を塗り続けた。
炎が消えたのは、翌朝。東の空に明星が輝きだした頃だった。
つづく。