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その26 群青の大地


 一方、スズたちは門についていた。


「大丈夫かしら……」


「大丈夫じゃなくても、ポセットはちゃんと来てくれるよ」


 スズはすこし微笑んだ。そして、何粒か錠剤を取り出し、飲み込んだ。


「なにそれ?」


「テルルに飲ませていた薬よ。植物の働きを抑制してくれるわ。でも、それはつまり、私の体の機能も抑制されるってことよ。たくさん飲むから、動きも鈍くなるだろうし、もしかしたら一歩も動けなくなるかも。あなた、ちゃんと私を守ってね」


「にゃん、オイラにまかせて」


 陽が、その輝く姿を現した。町が光に包まれ、同時に、あちこちでどす黒い根が活動を始めた。


 門の傍でも、獲物を狙う蛇のように根が建物や地面を伝って這い寄ってくる。


「ま……、まかせたわよ」


「オイラ、今日はちょっと都合が……」


 根が猛ったように身を反らせ、さながら檻のように形作る。それはナットたちに向かっての行動ではなく、門へ接近する別の目標への対処だった。


「あ! きた!」


「こっちよ! 早く!」


 ポセットの背後からは無数のツタが追ってきていた。眼前にはツタの柵。とてもジャンプで越せる高さではない。


「ポセットぉ!」


 しかし、心配ご無用。


「たぁぁっ!」


 ポセットは力任せに檻をぶち破った。ツタがちぎれ飛び、ポセットはそのまま町から出て行った。スズたちも続く。


 百メートルほど門から離れたところで、テルルを静かに下ろした。


「ほ、本当に、大丈夫かな……?」


「――大丈夫みたいね。町から出たけど、テルルは生きてるわ。私の思った通りよ」


 町から出てはいけない。それは、町のなかに充満している物質が、植物の成長を妨げているからだった。町から外へ出てしまうと、止まっていた植物の成長が再び始まり、体がのっとられてしまう。


「あの化け物は、〝あいつ〟に目的を与えられているわ。それは、大切な実験材料である私たち姉弟の捕獲よ。町の外に運び出さなきゃいけないから、きっと、死んでしまわないように、これよりももっと強力な薬を投与して、植物の進行を止めるはずよ。その薬はあの化け物が体内に……。テルルはもうそれを投与されているはずよ」


 そう言ったスズの考えは正しかった。テルルは町の中と同じように空気を吸い、生きている。植物は眠ったままなのだ。


「私はこの薬でなんとかするわ」


 スズはテルルが飲んでいた薬で植物を弱らせることにした。そしてそれも成功したようだ。決して無謀なことではなかった。


「行きましょう。ここも安全とは言えないわ。テルルを、お母様のところへ」


「うん、行こう」


 テルルを背負って、歩きだした。ナットはスズの肩の上。


「私も見たことないのよね。ちょっと楽しみだわ」


 海とは、どんなところなのだろうか。




 肌寒い風が吹いている。町では微かだった潮の香りも、ここまでくればかなり強い。


「これが、海……」


 紺青の海は神秘的に煌めいて、その波の音は、家を取り囲む植物の迷路が風と共に唄う声よりも、深い包容力があった。


「これが、テルルが見たがっていた……、海なのね」


 テルルはポセットに背負われ、まだ目を開けない。植物と共生の状態にある彼らは、植物が弱ると本人も弱ってしまう。


 おーい、と遠くからポセットの呼ぶ声がした。まっさらな砂浜に、くねる足跡。それを辿って、ポセットを追う。


「これが、その十字架だよ」


 名前は無い。しかし、このネックレスが何よりの証明。誰の墓なのかは、分かっている。


「お母様……」


 スズが泣き崩れる。頼りない十字架に触れると、ボロボロと削れていく。触れることもできず、生き場を失った両の手が、寂しさを握りしめる。


 ポセットは帽子を取り、胸に手を置いて祈った。ナットは涙を流すスズの顔にそっと身を寄せる。


「ありがとう……」


 スズはナットの頭を撫でて、すっと立ち上がった。


「あとは、テルルと一緒に、海で泳ぐだけね」


 スズの顔に迷いは無かった。しかし、恐れは隠しきれない。


「――そうだね」


 テルルが目覚めたのは、日も高くなった真昼だった。衰弱しきった息遣いで、まるで何年も寝ていたようにゆっくりと目を開けると、大きく欠伸をした。


「おはよう、テルル」


「お姉ちゃん……。おはよぉ。――あれ? あの怪物は? ここどこ? 小屋は?」


 見覚えのない空。スズはテルルの身を起こし、抱きしめた。


「大丈夫。大丈夫だから……。ほら、ごらん。彼が連れてきてくれたのよ」


 ポセットはスズの傍に立っていた。とてもさみしそうな笑顔で。


「連れきて、って……?」


 聞き慣れない音。繰り返し聞こえる、水の音。潮の香り。まさか……。


 テルルはゆっくりと振り返った。目の前に、視界いっぱいに広がる群青の大地が広がる。


「海……だ……」


 テルルはガバッと立ち上がり、駆けて行った。打ち寄せる波を掴もうと、手を濡らす。服が濡れることもいとわず、膝まで海に入って、匂いを感じる。夢でないことを確かめるように、何度も波に手を浸す。


「海だ……、本当に……。海だ! やったぁ! あはは! はは、ははは!」


 テルルはばしゃばしゃと波の中を駆けまわる。そして海と向かい合い、視界に入りきらないほどの大きさに、息をのむ。


「すごい……。海だ……」


 テルルが振り返り、スズを呼ぶ。


「行ってきなよ。スズ」


「ええ」


 スズが立ち上がり、肩のナットを撫でる。ナットは素早く肩から飛び降りた。


「どうしたの?」


「ああ、ナットは水が大嫌いなんだ」


「そうなの。じゃ、行ってくるわ」


 冬の近づく、冷たい海ではしゃぐ二人の姉弟。その身には悪魔が巣食っている。ここに居ること、居られること、それは奇跡であり、最悪の事態でもある。


 しかし、二人は多くのものと引き換えに、僅かに残った奇跡を精一杯楽しんでいる。二人は、幸せなのだろう。それは、喜ぶべきことなのだろう。


 それなのに、ポセットの心は曇っていた。



つづく。

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