その23 襲撃
「逃げるわよ、何やってるの! 早くテルル担いで! 早く!」
「ポセット、オイラ先行ってるね」
スズとナットがさっさと逃げていく。ポセットがどれだけ疲労しているか、少なくともナットは知っているはずなのに、薄情者。
などと考えている余裕も無い。後ろからはズシズシと化け物が迫っていた。ポセットは帽子からなにから全て上着で包んでひとまとめにすると、テルルを背負って走り出した。
いや、走り出そうとした。
「ま、待って! 本当に無理だ! とても運べない!」
ポセットはその場で倒れた。もう動けない。
上半身を起こし、化け物と向かい合う。大きな木の化け物。失った腕のダメージなど、全く意に介さず襲ってくる。
迫る化け物。しかし、ポセットの後方から援護射撃が始まった。スズの銃が火を吹く。
「この化け物! 弟に近づくんじゃないわよ!」
化け物の体が僅かに砕け、破片が散る。化け物が後退する間に、ポセットはなんとか立ち上がり、テルルを運んだ。
「ポセット、大丈夫?」
「大丈夫じゃない……」
化け物の右腕はポセットの攻撃で木っ端みじんに崩れてしまっていたが、残った左腕をぐわんぐわんと振り回す。一振りするたびに、廃屋が音を立ててつぶれる。
「ちょっと、町壊すんじゃないわよ!」
「なんて力だ……、本当に化け物じゃないか……」
人からこんなものになるとは。およそ信じがたい光景であった。しかし確実に、化け物は巨大な腕を振り回し、三人と一匹を追い詰めていく。
スズの銃の弾が切れた。スズはへろへろのポセットから弟をひったくり、走って逃げ始めた。ナットもそれに続く。ポセットはよたよたとなんとか逃げていく。
角を曲がり、建物の陰にしゃがみ、隠れた。化け物は大きな体のせいで足元が見えていない。そのまま気付くことなく、向こうへと歩いて行ってしまった。
足跡が聞こえなくなるほど遠くへ行ってしまったようだ。スズは立ち上がり、辺りを見回して、ホッとしたように顔をほころばせた。
「行っちゃったわね」
「あれはなんなんだい? さっきの男がああなったってナットが言ってたけど」
「本当だよ! さっきのおじさんがいきなり苦しみだしてさ、風船みたいにブクブクって……!」
「そうね、全く考えなかったことだし、今でもまだ信じられないけど……。あれは、〝あいつ〟の実験成果ってこと……かしら」
「あんな化け物を作り出す研究をしていたって言うのかい?」
「ええ。これを見てよ」
スズは包帯を巻いたわき腹を見せた。包帯をとり、傷口を見せる。しかし、そこに傷はなかった。すっきり、元通り。
「そんな……、さっきは確かに……。こんなに早く……?」
「これは、植物の力よ。言ってたでしょ? 共生してるんだって」
「言ってたけど……」
「薬で成長が抑制されているから、私が死んでも植物は私の体から芽吹けないの。だから、生きるためには私を生かさなくてはならないのよ。ありがたいことだわ」
スズは皮肉るように言った。
「何十年もその力を研究し、消滅させるための手立てを探っているんだと思っていたのに……。まさかそれを利用して、あんなおぞましいものを作り出すなんてね……」
テルルは気を失っている。死んでいるようにも見えるが、確かに、生きているようだった。
「よく寝るね、テルルくん」
「体力がもう、着いていけないのよ。本当に、限界なんだわ……」
スズはポセットの隣に座り込んだ。テルルの頬を愛おしそうに撫でる。やがて、大粒の涙をこぼし始めた。
「最後の……。最後の希望だったのに……。いつか、この体から……、悪魔が消えて……、テルルと一緒に、海に行ける日が……。ずっと、ずっと……待っていたのに……」
待ち望んでいた結果は、スズの理想とはあまりにもかけ離れていた。いや、むしろ正反対のものだった。人の体を媒介に、より力を増した植物。人は器。意思を持ち、操るのは、寄生植物の方。
「ふざけんじゃないわよっ!」
スズが叫ぶ。テルルを抱きしめ、震える手で涙を拭う。テルルと一つになろうとするかのように、何度も何度も、テルルに頬を寄せて泣いた。
スズが泣きやんで、しばらく時間が経った。ナットが髭を垂らしてポセットを見上げる。ポセットの体の痛みはすでに薄れていた。
恐る恐る、声をかける。
「スズ……」
ズドン。ポセットが言い終わるが早いか、地面が大きく揺れた。ナットがポセットの肩へと登り、スズとポセットが空を見上げる。
しかし、どこにもあの化け物の姿は無い。
「今のは、足音じゃなかったのか……?」
「あんなでっかい音をたてるものなんて、あれ以外にないわよ」
しかし、どこにも姿は見えない。
ズドン。ズドン。ズドン。
「どこだ!?」
ポセットがトンファーを構える。姿は見えない。
「きゃああああああ!」
スズが悲鳴をあげた。その細い足に、地面から生えた緑青色のツタが巻きつき、握りつぶす勢いで締め付けていた。
「スズ! うわっ!」
不意に足をとられた。見れば、ポセットの足にもツタが巻きついている。かなりの力で、振りほどけない。
「ナット!」
声をかけずとも、ナットは飛びかかっていた。ツタをひっかき、先端をブチンっと切り飛ばすと、ツタは苦しそうにもがき、地中に潜った。
ポセットは腰に据えたナイフを引き抜き、スズの足に絡むツタを切り裂いた。気色の悪い、黒く淀んだ液体を飛び散らせ、ツタは地中に消えた。
「今のは……」
落ち着く隙さえ与えることなく、再び地面が揺れた。ナットがポセットの肩にしがみつく。
「ポセット! 来るよ!」
「僕に掴まれ!」
ポセットが僅かにアクセルを入れる。体に、波打つ鼓動が広がる。
「待って、テルルが!」
スズがテルルのもとへ走る。しかし、間に合わない。地面が盛り上がり、次は数え切れないほどの数のツタが飛び出してきた。
「テルル! テルルーっ!」
叫ぶスズはポセットに抱えられ、宙を舞っていた。ポセットが身を翻し、スズの視界も回転する。嵐のような光景の中で、横たわるテルルをツタが静かに飲み込んでいくのが見えた。
宙を舞うポセットは廃屋の壁を蹴り、そのまま植物の迷路の中へ着地した。しかし、地中に巣食ったツタは、いち早く居場所を突き止めるだろう。ポセットはスズを抱えたまま走りだした。アクセルの重ねがけは思った以上の負担になっていたが、意に介している暇はない。
「降ろして! テルルが! テルルーっ!」
道がわからないポセットは、迷路をただ闇雲に走っていく。すると、さっき化け物が残した大きな道に出た。真っ直ぐに走り、小屋へと向かう。
「テルルーっ!」
スズの声が秋晴れの空に悲しく響く。
つづく。