その22 しぶしぶの奥の手
ゆっくりと歩を進める巨大な黒い影。見つからないようにひそひそと後をつける。
「さっきのおじさんが目を覚まして、いきなり風船みたいに膨れて、ああなっちゃったんだ! お化けだよ、お化け!」
「とにかく、スズたちを助けよう」
「あれ、殺すの?」
「そもそも、生きているのか……。行くぞ。ナットも協力してくれ」
作戦はこうだ。まず、ナットが目標の足元をちょろちょろと動き回る。動きが遅いので、ナットなら捕まりも踏まれもしないだろう。目標が足元のナットに釘付けになっている間に、後ろからポセットが不意打ち。見事二人を取り戻し、後は走って逃げるだけ。とにかく、相手の動きは遅いのだ。
「にゃん。じゃあ、オイラのフットワークがうなるね。まさに猫のお仕事。キャットワークだね」
「いいから早く。二人が食べられちゃうだろ」
ナットが飛び出す。目標の目の前に立ちはだかり、ささっと華麗に身を返す。舞いを踊るかのようなステップ。
しかし、相手はナットに見向きもせず、のしのしと太い足を繰り出し、どこへ向かう気なのか、まっしぐらに進んでいく。
「にゃ! オイラのステップを無視するとは……!」
どうしてもお金が無い時、町の大通りなどで今のようにナットが身軽さを披露すると、町の人々は盛大な拍手と、少々のお金をくれる。その時ばかりはポセットもナットに頭が上がらない。そんな経験があったので、目標にまるで相手にされなかったことが気に食わなかった。
ナットは引き続き目標にちょっかいを出す。近くで見ると、やはりそれはもはや人ではなく、巨大な、動く木の化け物だった。
「オイラを無視するなぁ!」
「あ、こら、猫! 助けなさい! じゃれてるんじゃないの!」
スズがナットに気付いた。ポセットはどこか、なにをやっているのかと怒鳴る。
「助けてるのに、うるさいなぁ。ちょっと静かにしてて!」
「生意気な猫ね! いいから早くしなさい!」
でも、木の化け物はナットなんて目に入っていないような素振りなのだ。そもそも、目があるのだろうか?
「どうしよう、ポセットー!」
埒のあかない雰囲気をみて、ポセットが走りだす。
「ばか、呼んだら不意打ちにならないだろ……」
トンファーに仕込んだスタンガンの出力を上げる。大きくとびかかり、スタンガンをくらわせた。乾いた音が響き、紫の火が散る。
しかし、スタンガンを受けても、木の化け物はいとも簡単にポセットを払いのけ、のしのしと足を止めない。
「一体、どこへ向かってるんだ……?」
「ポセット、どうしよう」
それからぼこぼこと見苦しいまでに抵抗を続けたが、成果は上がらず、スズの苛立ちが膨れるばかり。もはや腹の痛みなど忘れて、怒鳴り散らしている。
「早くしなさいよ!」
ポセットもナットも、ほとんど手を尽くし切ってしまった。躓かせようと足を取っても、力が強くて失敗。石を投げても、スタンガンをあてても、ナットがひっかいても無視。他に武器も無く、そもそも歩幅が大きいので、ちょっと休むとずっと遠くへ行ってしまう。追い続けるのも疲れる。
「どうしよう、どうすれば……」
「ポセット、もう、あれしか……」
ナットの言わんとしていることは分かる。しかし……。
「でも……、戦いに使うのはあまり……」
「早くしないと二人が食べられちゃうよ!」
ナットが叫ぶ。少しの間考えて、ポセットの目つきがキッと、鋭くなる。
「ポセット、やる気になったの?」
「少し持ってて」
そう言って、帽子と上着を脱ぎ、鞄とスカーフを落とす。トンファーも捨てた。
「持てないよ。猫だもん」
「じゃあ、見てて」
「誰も盗らないよ」
「うるさいな。ちょっと黙っててくれ」
体を駆け巡る振動に、呼吸を合わせる。体を鼓動が包んでいく。
舞い上がった砂が、空中で静止する。空気を伝わる音の波が、肌で感じられる。世界が止まり、体の中で何かが噛み合った。
〝アクセル〟。それはポセットの体に備わった機能。
ポセットは止まった世界の中を動く。慣性の力からは逃れられないので、下手な動きはできないが、直線的な動きなら、無敵である。
化け物の前へと立ちふさがり、地を蹴る。弾丸のように飛び出したポセットの体。勢いに乗せて、化け物の腕を砕いた。古木のようなその体が肩から崩れ、姉弟を解放した。
と同時に、アクセルが解ける。急激な体の痛みと、疲労感が襲う中、ポセットは姉弟二人を抱え、着地した。
「すっごい! やったぁ! さっすがポセット、くぁっくいぃ~」
ナットが飛び跳ねる。ポセットは疲労困憊、その場で倒れ伏した。
「あ、あなた……、その……。もっと、優しく助けられないの? 気持ち悪くなったわ」
スズは空中でぐるぐる回ったので、すっかり酔ったらしい。テルルはまだ目を回していた。
「……………」
ポセットは何か言ったが、聞き取れない。
「え? なに?」
ナットが駆けよる。ポセットの荷物はすっかり置いてきていた。
「ありがとうくらい言って欲しいね、だって」
「よくわかるわね。――なんで口回ってないのよ?」
「満身創痍なんだよ。ともかく、助かってよかったね! ポセットも格好よかった! 神話に出てくる英雄みたいだったよ」
「はは、それは……、よかった……」
ともあれこれでひと段落。二人とも無事助けられたことだし……。
ぐおおぉぉぉっ!
低い唸り声が地を這って轟いた。そうだ、忘れていた。こいつをどうにかせねば。
つづく。