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その2 山小屋のおばあさん

 落ち着いた木の香り。暖炉には灯がともり、沸騰したやかんから蒸気が吹き上げた。


「さ、温かい飲み物をいれてあげましょうね。ちゃんと拭かないと風邪ひくから、しっかり拭くんですよ」


「えぇ、ありがとうございます」


 おばあさんはひじ掛け椅子からのそりと立ち上がって、杖をつきながら歩く。ポセットとナットはタオルで体を拭きながら、暖炉にあたっていた。


「旅の人なんて、いつ以来かしらねぇ」


 おばあさんはゆらゆらと落ち着いた物腰で、湯気の立つカップを二つ、お盆に乗せて運んできた。


「んにゃ。それにしても、扉を開けて、おばあちゃんが居たときはびっくりしたね。外から見る限りじゃ、どうみても無人の山小屋だったもんね」


「こら、ナット」


 おばあさんはふふふ、と体を揺らす。その顔はしわだらけ。目も開いているのか疑わしいくらいしょぼしょぼしている。でも、心なしかその仕草からは、まだまだ元気な様子が見てとれた。


 おばあさんがカップをテーブルに置く前に、ナットが跳ねた。


「あっ! ココアの匂いだ!」


 やさしい香りのするココアの表面では、まだ溶けきっていないココアが滑らかな渦を作っていた。


 ナットはカップに飛びつくと、体を大きく起こし、前足でカップの縁をしっかり押さえ、鼻をひくひくさせながら小さな舌を出したり引っ込めたりしだした。


「あらあら、猫ちゃん、ココア好きなの?」


「うん! 大好き! ――ただ、猫舌だからなかなか飲めないのが悔しいところで……」


 ナットはぐるぐるぐるぐると回り続ける茶色い水面を見つめる。


「あら、もうちょっと冷ましてから出したほうがよかったかねぇ。なにしろ、頭から雨をかぶって寒いだろうと思ったものだから……」


「いいえ、ありがとうございます。こいつはいつもこうなんですよ。気にしないで下さい」


 ポセットは一口、ココアをすすった。まろやかな甘みが広がって、体中に温かさが伝わる。


「おいしいです。とっても」


 おばあさんはにっこりと笑った。




 その日は、日が沈んでからもずっと雨が降っていた。


 ポセットたちはおばあさんの好意に甘えて、一晩泊まっていくことにした。びしょびしょになってしまった服も、明日には乾いているだろう。


 暖炉にあたり、すっかり乾いたポセットは、大きなタオルにくるまって半裸状態だった。


「ふぇっくしゅ!」


 ポセットは暖炉に近づき、鼻をすする。


「いつまでもそんな格好じゃ、いくら温めても風邪ひいちゃうわねぇ」


 ちょっと待っててと言い残し、おばあさんはよろよろと奥へ入っていった。


 そしてすぐ引き返してきた。手にはなにやら持っている。


「こんなのしかないけど、裸でいるよりはましでしょ? 大きさが合うと良いんだけどねぇ」


「あ、どうも。助かります……」


 それはセーターだった。緑色で、木の葉を思わせる刺繍がしてある。ポセットはゆっくりと袖を通していく。


「ふぅ、温かいです。ありがとうございます」


「うふふ、あらあら、ぴったりね。これは丁度良かったわ」


「えぇ、丁度ぴったりです」


「ふふ……」


 おばあさんが静かに笑ったのを、ポセットは見ていなかった。




 暖炉に薪をくべ、ランプの明かりの下でおばあさんの手作り料理を食べた。


 それから肩を揉んであげたり、旅の話をしてあげたり……。夜が更けても、山小屋の中はとても暖かかった。


 ナットはポセットの膝の上で丸くなり、すぴすぴと寝息を立てている。


「しかし、どうしてこんな山奥に住んでいるんですか?」


「昔からよ。ある時、娘を連れて、二人でこの山小屋で暮らし始めたの」


「娘さんと……。あ、じゃあ、あの薪も娘さんが切っておられるんですか? 一人暮らしのおばあさんの家に、あんなにたくさん薪があるのは、少し変だなと思っていたんです」


 ポセットは部屋の隅に山ほど積まれた薪に目をやった。均一な大きさで切りそろえられ、いくつか暖炉のそばにストックしてある。


「うふふ、よく周りを見る子だねぇ。でも、違うよ」


「え、違うんですか?」


「あれは、わたしの孫がやってくれるの。夏の間にたくさん切って、溜めておいてくれるのよ。少なくなっても、孫がまた持ってきてくれるわ。いい孫をもって、幸せだよ」


「お孫さんとは別に暮らしておられるんですね。娘さんもそこに……?」


「いいえ。確かに孫は、この山を下りたところにある町で暮らしているけど、私の娘はもう……」


 おばあさんは窓の外を見つめ、じっと雨音に聞き入ったようだった。しかしその目の焦点は遙か遠く、空を越えてもまだ届かないほど遠いところにある。ポセットにはそう思えた。


「――そうですか……」


 しばらく沈黙が続くかと思われたが、おばあさんが突然席を立った。のろのろと部屋の奥へ行き、すぐに引き返してきた。


 手にはまた、きれいにたたまれた布があった。


「このドレスね、娘のものなの」


 おばあさんは真っ赤だが飾り気のない、ひらひらしたドレスを広げて見せてくれた。


「小柄な人だったんですね、娘さん」


「ええ。これ、元は私のものだったのよ。私が、娘にあげたの。結局、娘には一度も着せてあげられなかったわ……」


 風が窓を叩く。小屋が少し軋んだ。


「孫は嫌がるかもしれないけど、今度はこれを孫にあげようと思うの。……それでね? あなた、もし山を下りていくのだったら、このドレスを孫に届けてくれないかしら? どうしてもとは言わないけど……。孫は、山のふもとの町に住んでいるわ」


「え? お孫さんって、女性なんですか?」


「男の子と、女の子と、二人いるのよ。薪を切ってくれるのは男の子のほう。女の子のほうは、私と一緒にご飯を作るの。実はそのセーター、男の子のものなのよ」


「そうなんですか……」


 セーターの大きさからみて、男の子はポセットと同じくらいの体躯のようだ。ポセットはちょっとだけ親近感が沸いた。


「――わかりました。届けさせていただきます。どうせ、この山を越えるつもりでしたので」


「そう……、ありがとう……」


 おばあさんはベッドへ、ポセットはソファへ。貸してもらった毛布をぐるぐる体にまいて、ソファに横になる。ドレスはきれいにたたんで、暖炉の上にそっと置いた。


 ふくろうの鳴き声が響く夜空。山小屋の明かりが消えた。


つづく。

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