その16 廃墟の古小屋
小屋の近くまで来た。道がわからないので、植物の迷路を直観と僅かな記憶を頼りに進むのは大変骨は折れたが。
温かい匂いがする。今朝直したドアを引いた。
小屋の中では、スズがコトコトと鍋でなにやら煮込んでいた。
「あ、あんた! ちょっと……、今までどこ行ってたのよ! ……え?」
ポセットの背には、ぐったりと力なくうなだれるテルル。目は閉じたまま開かない。スズの顔がみるみる険しく歪み、殴りかからん勢いでポセットに迫った。
「出たのね……、町から……。なんてことしてくれたの! テルル……、テルル!」
「落ち着いて。テルルくんは気を失っているだけだよ」
ポセットは寝室へテルルを運び、ベッドに寝かせた。彼の首に残った小さな火傷の跡が、ポセットの心にチクリと刺さる。
小屋に帰ってきたときのことを思い出す。
「彼は、命に代えても外へ行きたい、そう考えているみたいだ。ごめんね、手荒なまねして。でも、こうするのが一番だと思ったんだ」
ポセットはスズにトンファーを見せた。握りにつけられたダイアル式のボタンを押すと、仕込まれたスタンガンが紫の火を散らせた。
「そうだったの。ありがとうね、止めてくれて」
「それが、よかったのかどうか、僕にはわからない」
「とにかく、作った晩御飯が無駄にならなくてよかったわよ。今日はこの子の好きな、シチューを作ったんだから……」
ポセットは寝室を出た。リビングのテーブルには、スズが作ったシチューがほかほかと湯気を立てている。
「ポセット、遅いよ! 早く!」
シチューを前に尻尾をいらいら揺らすナット。スズもテーブルについている。ポセットはそっと椅子に腰かけた。
「ごめんごめん。それじゃ、いただくよ、スズ」
「ええ、どうぞ」
出来たてのシチューは、ナットのぺこぺこのお腹を十分に満たしてくれる。
「そんな急がなくても、まだあるわよ。――おいしい?」
「おいしい!」
「ナット、耳だけじゃなくて、鼻まで白くなってるぞ」
ナットは鼻を前足でごしごしして、またシチューを食べ始めた。次に顔をあげたとき、やはり鼻は白くなっていた。
「――で、テルルから、どこまで聞いたの?」
スズは一人コーヒーを入れて、まったりと飲み始めた。スズの身体には大きすぎるカーディガンが、スズの手元をすっぽりと隠していて、スズの腕にカップが吸いついているように見えた。
「君たちの心臓の話と、あと……テルルくんは薬の正体を知っていたよ」
「――そうだったの。まぁ、完全にばれてないとは思っちゃいなかったわ。とにかく、心臓の話は知ってるのね。――ホントにそんな話、信じてるの?」
スズは嘲笑気味に尋ね、コーヒーを啜った。
「うん。実際、君には心音がなかったしね」
「あら、昨日の話? 良い言い訳を思いついたのね」
「君たちの肌の白さや冷たさは、とても生きている人間のものとは思えない。にわかには信じがたいことだけど、旅をしていると、時たまそういう常識を超越したような人がいるもので」
「あら、そ」
スズはずずっとコーヒーを飲み干すと、半ば睨むようにポセットを見た。
「率直に言うと、テルルの言ったことは本当のことよ。私とテルルには心臓がないわ」
「一体どうして? それに、なんで君たちは……」
「どうして生きていられるのか、でしょう? 話すと長いし、あなたに言っても別に何もないから、とても面倒なんだけど」
スズは開いた寝室の扉からのぞく、テルルの寝顔を見つめた。
「でも、まぁ。テルルもあなたのことを気に入ったみたいだし、あなたじゃなかったら、テルルを外に連れ出して、今頃テルルはここにいなかったかもしれない。何より、テルルはもう自分の命に絶望してるのね。それを救ってあげられないのはとても悲しいわ。悲しい分、最後に、町の外を見せてあげたいとも……思うわ」
何やら考えたように目を閉じ、キッとポセットをみる。
「あなたと、こういうタイミングで出会ったのもきっと何かの縁ね。あなたに、私たちの秘密を話すことにするわ」
「スズ……」
スズは口を開いた。しかしそれは大きな欠伸であり、ふあぁぁぁっと声を出すほど存分に空気を吸うと、スズは立ち上がってのそのそ寝室へ向かって行った。
「え、ちょっと、スズ?」
「今日は眠いから、明日話すわ。お皿、洗っといてね。おやしゅみ……」
完全に口が回っていない。相当眠いようだ。
「お、おやすみ……」
ポセットは静かに皿を洗った。鼻の頭をシチューで真っ白にした相棒の黒猫はすでにすうすうと寝入っており、実に幸せそうだった。ポセットもソファに横になった。
しかし、気になるところで話しを切られた。なんだか、もやもやする嫌な夜になった。
つづく。