その12 息はある……けど
その晩、テルルはいつも通り睡眠薬を少量飲み込み、その後病気の薬だという小さな錠剤も飲み込み、空気が抜けるように眠りについた。
「これで、いいのかな?」
任されていたのはポセットだった。先ほど、スズが突然ポセットに薬を渡して、こう言ったのだ。
「今日木の実を採ってこなかった罰として、あなたにはテルルに薬をあげる仕事もしてもらうわ。まず睡眠薬、その後病気の薬の順番で飲ませるのよ。いい? 絶対にテルルに悟られちゃだめよ? 睡眠薬でも病気の薬でもなくて、ただの栄養剤! そう通して」
そう難しいことでもないし、了解したポセットだったが、どうにも腑に落ちない。
「そこまで念を押すなら、自分でやればいいのにね。別に、大変な仕事でも何でもないのに」
ポセットはリビングに戻った。テーブルの上で、ナットがふわふわと丸くなって寝ていた。その横では、スズがテーブルに突っ伏して、すうすうと寝息を立てている。
起こさないように気をつけながら、椅子に座る。ぎぎぎっと大きな音がなった。夜の静けさの中では、より大きく聞こえる。
「む……んぅ?」
スズが眉をひそめて、もそもそと顔の位置を変える。ポセットの背に冷や汗が伝う。
「んん……。すぅ……すぅ……」
どうやら、起きはしなかったようだ。ほっとしつつ、今度は音をたてないようにそっと、そ~っと立ち上がる。ソファに腰掛け、天井を見上げる。頭をめぐるのは、朝に見たあの絵のこと。
「五十年も前の絵……」
チラリとスズを見る。やはり、あの絵は幼き日のスズとテルルに違いなかった。しかし、五十年前にあの姿だった彼女が、今現在この姿であるはずがない。
「案外、ただのそっくりさんだったりして」
そしてあの時書類を見つけたのを思い出し、鞄に手をかけた。ぐいっと強く引っ張るも、鞄の紐がビーンと張るだけで、鞄は床から離れようとしない。鞄と床が超仲良し。
「おっかしいな……」
続けてぐいぐい鞄を引っ張るが、相変わらす仲良し。とうとうムキになって思いっきり引っ張ると、あろうことかスズの座っている椅子がダイナミックに横転し、すごい痛そうな音を立てて、スズと椅子が床に伏した。
「…………。あわわ……」
さーっと血の気が引いて行く。どうやら、スズが座る椅子の足が鞄を噛んでいたようだ。しかし、なんという有様だろう。あんまりうるさいので、ナットが起きた。
「なに? 爆撃? 不発弾でも埋まってたの?」
ポセットは大慌てでスズに駆け寄る。きっと怒っているだろう。
そうだナットのせいにしよう、とそんなことを考えながら、スズの頭をおこす。スズはまるで死んでしまったかのようにぐったりと動かない。寝ているのか、それとも本当に……。
見た目、怪我はないように見える。
「スズ、大丈夫? スズ、スズ!」
いくら呼んでも返事がない。目を固く閉じたまま、人形のように横たわっている。
「スズ! ――どうしよう、頭を打ったのかも……」
ポセットに医学の知識はない。下手に動かせなかった。口に手を当てる。どうやら、息はしているようだ。死んではいない。
念のため脈を確認しようと、スズの手首に指を添える。
「…………」
異変に気がついたのか、ナットがテーブルから降りてきた。心配そうにスズの顔を覗き込み、次にポセットの顔を見上げる。
「し、死んじゃったの……?」
「いや、どうやら死んではいないようだ。息はしているよ」
ただ……。ポセットはスズの白く細い腕をとり、手首をさすった。あまりにも白い。青くすらある。
サラサラと流れるようなスズの銀の髪を分け、同じく真っ白な首筋に指を添える。
「なに? どうしたの、ポセット?」
「こんなことがあるものなのだろうか……。スズ、息はしているのに、脈がないんだ」
「えぇ?」
そして、その白い肌は、まるで雪で出来ているように冷たかった。
ポセットは初めてこの町に来た時のことを思い出した。
「そういえば、テルルくんの手も驚くほど冷たかった……」
「冷え性なんじゃないの?」
「首まで冷たいなんてことがあるか。大体、脈がないなんて……」
ポセットは何度も脈を探る。しかし、ピクリとも感じられない……。
つづく。