その10 三日目の朝
さて、ポセットがこき使われ始めてから、早くも二日が過ぎた。現在、三日目の朝。日も見えない早朝。
「ふあぁぁ……」
欠伸混じりに水を汲む。小屋の裏に井戸があり、そこから桶で水を引き上げるのだ。透き通った水が、朝の体を刺すような寒さに拍車をかける。
冷たい水で顔を洗えば、眠気などいとも簡単に吹き飛んでしまう。ただ、体に悪い冷たさなのが気になる。
水を小屋に運び、用意されている薪を使って火をおこす。火が大きくなったら、湯を沸かす。
お湯が沸くまでの間に、濡らした雑巾で部屋の中を掃除。テーブルや床などはもちろん、スズは窓の桟などの際どいところまでチェックしてくるので、気が抜けない。
そうこうしていると、湯が沸いたようだった。エプロンを着け、朝食の調理に取りかかる。今日のメニューは、昨日採ってきた野草の盛り合わせと、捕まえた鴨の肉でこしらえた鍋料理。料理をしたことのないポセットにとって、〝煮る〟という方法は大変便利かつ唯一の方法でもあった。
少量しかない調味料を節約しつつ、味付けをこなす。
「――うん、おいしい!」
できあがり。
日も出てきた。まもなく二人とも起きてくるだろう。昨日は初日ということもあってか、お茶がぬるい! と、スズの逆鱗に触れてしまい、酷い目にあったので、今日はしっかりしなくては。
テーブルに料理を並べる。ほかほかと湯気が立ち、なんとも美味しそう。自分で作ったということもあり、まるで我が子のよう。
「ああ、なんて美味しそうなんだ。美味しいって言ってくれるかな? テルルくんは肉料理が好きって言ってたから、きっと気に入ってくれるだろうなぁ。スズはどうかな、お湯も温めてあるし、熱いお茶がだせるぞ」
こうして一通り朝の用事を済ませた。その日暮らしのポセットには、朝食の用意というものはとても新鮮で、楽しさすらあった。
しかし、エプロンをたたむと急に我に返って、熱も冷めた。
「そもそも、なんで僕が朝ご飯を……」
「あたりまえでしょ。不法侵入者なんだから」
スズが寝室から出てきた。長い銀の髪がめちゃくちゃになっているが、手で何度かガシガシ梳くと、さらりと流れるストレートになった。
「不法侵入って君は言うけど、ここに僕を連れてきたのはテルルくんであって……」
「ぐだぐだ言わないの。ふっ飛ばすわよ」
問答無用。
スズは掃除チェックをして、それから椅子に座った。
「さて、まずかったら承知しないわよ」
スズはバクバク食べていく。ポセットの分も結局半分ほど食べた。
「あぁ、僕のご飯……」
「ちょっと! 茶が熱いわよ! ふっ飛ばされたいの?」
朝からぷんぷん怒るスズ。ポセットは早くも疲れ始めていた。
「食べたら食器片付けて、洗濯物お願いね。あと、干した洗濯物を取り込んで、たたんで、しまうの。わかった?」
言われた通りにするほかない。おばあさんのドレスは入場料分働くまでどこかに隠されていて、返してもらえない。
「どのくらい働けばいいのさ? 僕はそういつまでもここにはいられないんだ」
ポセットがうんざりした様子で言う。スズが答えるのには時間がかかった。
「そのうち、飽きたら返してあげるわよ。それまでしっかり働きなさい」
「なんだよ、飽きたらって……」
「テルルを起こしてくるから、あなたは薪を燃やして暖をとって。朝は寒いわ」
静かな小屋の中。ポセットは昨日のことを思い出していた。
昨日は一日中、旅の話を延々語らされた。大きな風車の回る町、紛争の絶えない町、命からがら谷を越えたときの話や、山賊に襲われた時の話……。
「外って……、そんな怖いところなんだ……」
夢を壊すような真似をして、テルルには悪いことをしたと思う。町から出たことのないこの二人にとって、旅とは自由の象徴であるようだった。
「どのみち、町からは出られないわ。テルル、聞きたいことがあったらなんでも聞いておきなさい。損はないわ」
そう言っていたスズの目は、ポセットにさりげなく合図を送っていた。ポセットはよく覚えているし、スズの合図が何を表わすものかもわかっていた。
テルルは、町から出てはいけない。出られない。なぜかは知らないけど。
スズが寝室への扉に手をかけた。ポセットが呼びとめる。
「もしかしてだけど、テルルくんは、何か病気なのかい?」
スズは手を止め、驚くでもなく、悲しむでもなく、平然と振り向き、淡々と、そうよ、と言った。
「夜と朝、一日に二度、薬を処方しないといけないの。それも、治すための薬ではないわ。長らえさせているだけのもの。いつかあの子は……。それも、そう遠くない日……」
「なんて、病気なんだい?」
「詳しく言うなら、病気じゃないわ。それに、あなたに言って何になるの? 誰にも治すことなんてできないのよ。あなたをここに留めているのは、家事が楽になるってだけじゃないわ。旅を夢見るあの子に、諦めを着けさせてほしいからなのよ。あの子は、この町を出て生きていくことはできないの」
「それは、大体察したよ。テルルくんは、どうしても町の外に出てみたいようだったから」
スズは悲しげに視線を落とした。
「あの子に、外の世界を見せてあげたいわ。でも、それは無理。魚に、山からの眺望を見せてあげたいって、そう言ってるのと同じよ。連れて行くことは出来ても、あの子はきっと、二度と帰ってこられないもの」
「外の世界を諦めさせるために、旅人を使うなんて、考えたね」
「別に、初めからそのつもりだったんじゃないわ。都合よく、そうなったのよ。あなたも協力してちょうだい。テルルが諦めたら、あのドレスも返すわよ」
スズは扉を開け、寝室に消えた。ポセットの背後で、ナットが大あくびと一緒に起きた。
「むにゃ? ポセット、早いね」
「ああ、よく眠れた? ところでナット、ここから出るためには、旅の嫌なところを紹介するといいらしいよ。何か思いつくことあるかい?」
ナットは前足を大きく出して、ぐいーっと伸びた。
「不味い保存食を食べなきゃいけないところかな」
「――もうお前には分けてやらない」
つづく。