第58話:教育の前提条件と、磨かれる心
カイト商会・第二拠点のホールは、異様な空気に包まれていた。
カイトが魔法で磨き上げた鏡のような床の上に、泥を啜るような生活を続けてきた者たちが、怯え、うずくまっている。
その足跡の一つ一つが、カイトの「管理された空間」を汚していく。
「……ひどいものね。ご主人様、これじゃ学校どころか、ただの難民キャンプだわ」
シルヴィアが鼻を摘み、嫌悪感を隠さず吐き捨てた。
カイトは無言で、リストデバイスに表示される「拠点環境データ」を確認する。清潔度は急落し、空気中の不純物濃度は想定の五倍を超えていた。
「……リア。子供たちの中に、熱を出している者はいないか」
「はい、三人が微熱を出しています。……カイトさん、まずは寝かせてあげたいんですけど、みんな『布団を汚したら殺される』って言って、床にうずくまったまま動いてくれなくて……」
リアの声は沈んでいた。
カイトは、壁に立てかけてあったモップを一本、手に取った。
そして、その場に固まっている大人たちと子供たちの前に、無機質な足取りで歩み出る。
「……全員、よく聞け。……お前たちは今、人生における最大の不条理――『自分をゴミだと思い込む病』に罹っている」
カイトの冷徹な声が、高い天井に反響した。
一人の元奴隷の男が、虚ろな瞳を上げた。
「……若旦那、俺たちはゴミですよ。……こんな綺麗な場所にいるだけで、罰が当たる。……お願いだ、どこか汚い穴蔵へ追いやってくれ。その方が落ち着くんだ」
「……却下だ。……私の管理下にある資産が、自ら価値を損なう発言をすることは許されない」
カイトはモップを男の前に放り投げた。
「……『学習』を開始する前に、まずはお前たちの身体と、この場所の『整合性』をリペアする。……シルヴィア、大人たちの半分を連れて地下の浴場へ行け。……拒むようなら、強制的に放り込め」
「……喜んで。荒療治は専門だわ」
シルヴィアが首輪を鳴らし、殺気とともに大人たちを追い立てる。
残された子供たちと、数人の大人。カイトは自分でモップを手に取ると、一歩踏み出し、床の泥を拭った。
「……見ていろ。……汚れを落とす。……これだけのことで、この空間の資産価値は回復する。……お前たちの手で、自分の居場所を磨け。……それが、カイト初等学院の第一講義だ」
カイトは、怯える子供たちにも、小さな雑巾を手渡した。
最初は誰も動かなかった。だが、カイトがジャージ姿で黙々と床を拭く姿に、リアが、そして最も年長の少年が、恐る恐る手を伸ばした。
「……こう、ですか……?」
「……角度が悪い。……力を均一に入れろ。……事象の修復には、正確な圧力が不可欠だ」
カイトは、子供の拙い動きを一つ一つ修正していく。
魔法を使えば、一瞬で解決する問題だ。金貨を一枚投げれば、自動洗浄機能を強化することもできる。
だが、カイトはそれをしなかった。
自分の手で、汚れた場所を綺麗にする。その「主体的」な行動こそが、奴隷という名の故障から脱却するための、唯一の治療薬だと判断したからだ。
深夜。
ようやくホールから泥が消え、子供たちはリアが用意した「清潔な、しかし質素な寝床」に横たわった。
初めて触れる乾いたシーツ。殺されないという確証のない、しかし静かな夜。
【検知:人々からの「戸惑いの中にある、微かな自己肯定」:+50 pt】
「……ポイントの獲得効率、0.001%以下か。……誠に、骨の折れる仕事だな」
カイトは、執務室の窓から月を見上げ、溜息を吐いた。
魔法で兵器を創るほうが、よほど合理的で、よほど簡単だ。
しかし、教育という名のリペアは、一歩進んで二歩下がるような遅滞を伴う。
「……でも、カイトさん。あの子、最後はちょっとだけ、笑ってくれましたよ。……『自分の拭いた床が光った』って」
リアが淹れてくれたハーブティーが、疲弊した脳に染み渡る。
管理者の無双は、まだ始まらない。
今はただ、埃と絶望にまみれた「部品」たちを、一から洗浄していく地味な作業が、暗闇の中で続いていた。
(第58話 完)
【現在蓄積リソース:300482 pt(感謝) / 7490 pt(悪意:残債)】
【所持金:金貨 80枚】
【ギルドランク:C】
【状況:第一講義「掃除」により、受け入れ第一段階を終了。規律の構築を開始】
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!
カイトさんは今、集まってきた「悪意」をどうやって「ポイント」に変えようか、とっても怖い顔で計算しています……。
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