第205話:迫る大理石の壁と、建築資材の支持力
扇風機を用いた流体の最適化によって暴風の壁を霧散させたカイトは、再び四輪駆動車のアクセルを踏み込み、立体迷宮の『第三階層』へと車両を滑らせていた。
白大理石の回廊はさらにその幅を狭め、まるで巨大な生物の体内を突き進んでいるかのような、圧迫感のある構造へと変化している。
背後に連結された高級キャンピングトレーラーは、外の不気味な鳴動を完全にシャットアウトし、静かに心地よい冷気を室内に満たし続けていた。
「……判定。迷宮全体の構造歪みが限界値に接近。都市中枢の暴走エネルギーが、防衛隔壁の物理駆動システムへと強制流入している。……地鳴りの周波数から、大型の構造変化トラップの作動を予測」
カイトは衣服に汚れ一つない漆黒のジャージを纏ったまま、無表情でハンドルを握り、ダッシュボードの液晶画面に表示される立体マップを鋭く見つめていた。
ズズズズズズ、という大気を震わせる重低音が、白大理石の床から伝わってくる。
次の瞬間、カイトたちの進む回廊の、わずか数十メートル先の天井と床、そして左右の壁が、不自然な光を帯びながら激しく蠢き始めた。
ドガァァァン!!!
凄まじい衝撃音と共に、前方の大理石の壁が上下左右から一斉にスライドし、四輪駆動車の巨体を完全に押し潰さんばかりの勢いで、急速にその空間を狭めてきたのだ。
前進はもちろん、後方の壁も連動して閉まり始めており、白銀のトレーラーごと完全に挟み込もうとする、天空都市の容赦のない物理排斥トラップであった。
「わわっ!? カイト様、今度は上からも横からも、おっきな石の壁が迫ってきています! お家がペッちゃんこになっちゃう前に、私が両手で受け止めます!」
助手席のリアが、ジャージの袖をパタパタと揺らしながら窓枠に手をかけ、いつでも外へ飛び出せるように身を乗り出した。
「……却下だ、リア。あの隔壁の駆動圧は数十万ラクト(重量単位)に達している。いくらお前の身体能力でも、生身で受け止めれば骨格に深刻な不備が生じる。……バックでの回避手順も、後方隔壁の閉鎖速度により不可能と判定」
カイトは感情の起伏がない声で淡々と告げ、四輪駆動車をその場に完全に停車させた。
「ふふ、じゃあ私の調律杖で、あの迫ってくる石の壁の分子結合をまとめてバラバラに分解してあげましょうか? これでも真祖の魔力は満床だから、お安い御用よ」
本革のローソファから身を乗り出したエルザが、美しい調律杖を指先で弄びながら、赤い瞳を妖しく明滅させた。
「……それも却下だ、エルザ。この階層の隔壁は、都市の浮揚バランスを維持する『主要な柱』の役割も兼ねている。ここで広範囲の物理破壊を行えば、都市全体のバランスが不可逆的に崩壊し、そのまま下界へと垂直落下する二次災害を引き起こす。非論理的だ」
「うう、叩き壊すのもダメ、受け止めるのもダメなんて、どうすればいいんですか……! 壁がどんどん近くなってきます!」
リアがピンと立てた耳を焦れったそうに震わせる。
左右の壁はすでに車のミラーの数十センチ手前まで迫っており、天井の巨大な石塊も、キャンピングトレーラーのルーフを押し潰そうと、容赦なくその影を落としていた。
「……問題ない。対象の運動エネルギーをそのまま利用し、物理的に固定する。……金貨三枚を提示」
カイトは懐から輝く金貨を三枚取り出し、正面の空間へと静かに提示した。
「……等価交換」
提示した確かな財貨の価値と引き換えに、カイトの知識にある現代の物品をそのまま具現化する絶対のルール。
捧げられた金貨が、まばゆい光の粒子となって空間で音もなく消滅していく。
それと引き換えに、カイトの正面の空間に具現化されたのは、破壊的な兵器などでは断じてない。
現代の地球における建築現場や、家屋の床下を支えるために広く使われている、金属製の頑強な資材――太いネジと平らな金属板を組み合わせた、ごく普通の『建築用鋼製束』が数本だった。
「……固有スキル『重力操作』、最大同時展開」
カイトは具現化させた金属製の鋼製束を、車のサンルーフから天井の隔壁、および左右の壁の隙間へと、重力制御によって寸分の狂いもない配置で瞬時に移動させた。
ただの建築資材。しかし、カイトはその金属の筒の内部の空間だけ、重力のベクトルを「突っ張り方向」へと垂直に上書きし、極限までその支持力を固定した。
現代の均質な製鉄技術で作られた頑丈な鋼鉄の支柱。それが、カイトの重力制御によって、何百万トンもの圧力をも撥ね返す「絶対の突っ張り棒」へと上書きされる。
ギィィィィィィィィィィィィィッッッ!!!
凄まじい金属の摩擦音が回廊に響き渡った。
上下左右から四輪駆動車を押し潰そうとしていた巨大な大理石の壁が、カイトの配置した鋼製束に激突した瞬間、まるで強固な岩盤にぶつかったかのように、完全にその動きをピタッと静止させたのだ。
カイトの狙いは、壁を破壊することではない。
現代の建築資材の形状と、重力によるベクトルの固定を組み合わせることで、相手の閉鎖駆動ギミックの歯車を強制的にロックさせ、その場に固定することだった。
都市の浮揚バランスを一切損なうことなく、迫り来る物理トラップの機能だけが、ただの建築工具の応用によって完璧にデバッグされた。
「あらあら……。本当に、あんなに地味な鉄の棒きれ数本と、貴方の重力の悪戯だけで、都市が誇る最大級の重量トラップをただの突っ張り合いで止めちゃうのね」
エルザが可笑しそうにクスクスと笑い、冷たいジュースを喉に流し込んだ。
「わあ、壁が完全に止まりました! 隙間から、奥の道が見えています!」
「……不備の固定を確認。静止状態を維持している間に、この破断隙間を全速で突破する」
カイトは無表情のまま再びアクセルを鋭く踏み込んだ。
四輪駆動車と白銀のトレーラーは、鋼製束によって数センチ単位でギリギリに固定された大理石の壁の間を、滑らかに、そして何一つ傷つくことなくすり抜けていった。
力押しを完全に封じられ、日常の論理によって防衛機構の駆動を止められた天空都市アエロ・フィード。
その空中迷宮のさらに深い階層へと、汚れ一つないジャージを纏ったデバッガーの移動要塞は、確実にその歩みを進め、対象の心臓部である気流制御陣の視界を、そのナビゲーションの画面に捉えつつあった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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