第139話:伝統の腐食と、拒絶の視線
大樹の根元に水が戻ったことで、里の空気は一変した。
乾ききっていた空気には湿り気が混じり、茶色く変色していた大樹の葉が、微かに緑の光沢を取り戻していく。しかし、里を救ったはずのカイトたちに向けられるエルフたちの視線は、決して感謝に満ちたものではなかった。
「……判定。不気味なほどの沈黙だな。……命を繋いでやったというのに、礼の一つも言えんのか」
カイトは周囲を取り囲むエルフたちの視線を、無機質な眼差しで受け流した。
彼らは、自分たちが何世代にもわたって守ってきた「神聖な水源」を、得体の知れない人間が物理的に破壊して直したという事実に、困惑と、それ以上に強い嫌悪を抱いていた。
「……ねえ、カイト。あいつら、私たちが岩を砕いたことが気に入らないみたいよ。……せっかく喉の渇きを癒してあげたのに、失礼な連中ね」
エルザが杖を肩に担ぎ、不機嫌そうに吐き捨てる。
彼女の鋭い聴覚は、エルフたちが小声で「聖域を汚した」「無作法な人間」と囁き合っているのを、正確に拾い上げていた。
「……カイト様、なんだか皆さん、怒っているみたいです。……私たち、何か悪いことをしたんでしょうか?」
リアがおずおずと、カイトのジャージの裾を掴む。
彼女の獣としての本能が、里全体に漂う閉鎖的な敵意を敏感に察知していた。
「……気にするな、リア。……あいつらは、目の前の現実よりも、古臭い儀式や形式を重んじているだけだ。……循環を止めていた原因を排除した。それ以上の真実はない」
カイトは迷いのない足取りで、王宮へと続く巨大な螺旋階段の前に辿り着いた。
そこには、先ほど水源で出会った衛兵たちよりも、さらに洗練された意匠の鎧を纏った、王宮直属の近衛兵たちが立ち塞がっていた。
「……止まれ。……里の恩人であることは認めよう。だが、ここから先は王室の理が支配する場所。……外の者が足を踏み入れて良い場所ではない」
一人の美しい女性エルフが前に出た。腰まで届く金色の髪を束ね、背負った大弓からは並々ならぬ魔力が溢れている。
「……判定。お前たちの言う『理』の結果が、あの水源の詰まりだ。……上にいる王とやらに伝えろ。……放置された不備は、里全体を腐らせる。……俺たちは、その根源を精査しに来ただけだ」
「……無礼な。……我ら一族の数千年の伝統を、たかが人間の物差しで測るというのか!」
近衛兵たちが一斉に槍を構え、カイトたちを包囲する。
だが、カイトは眉一つ動かさず、自身のジャージの胸元に手を当てた。
「……感謝ポイントを消費。……新術式『威圧の剥離』を習得」
カイトの脳内で、ポート・ルミナスの報酬が再び形を変える。
それは攻撃のための魔法ではなく、相手が纏う「伝統」や「格式」といった心理的な重圧を、物理的な魔力の波形として解析し、無効化する術式だった。
カイトが一歩踏み出すと、近衛兵たちが構えていた槍が、まるで重力に負けたかのように先端を下げた。
彼らが誇りとしていた「王宮の威厳」という名の術式が、カイトの放つ無機質な魔力によって、ただのノイズとしてかき消されたのだ。
「……何をした……! 私たちの身体が……動かない……!?」
「……動かないのではない。……お前たちが縋っていた『形式』に、価値がないことを突きつけただけだ。……通るぞ」
カイトは動揺する近衛兵たちの間を、悠然と通り抜けた。
螺旋階段を上がるたびに、里の景色が足元に遠ざかっていく。
上層へ行くほどに、大樹の枝には金銀の装飾が施され、一見すると華やかさを増しているように見えた。
だが、カイトの目には、その装飾の下で大樹の樹皮が窒息し、新たな「不備」が膿のように溜まっているのが、はっきりと見えていた。
「……さて、エルザ、リア。……ここからが本当の修理だ。……表面的な美しさに惑わされるなよ。……中身は、あの川床よりも泥だらけだ」
漆黒のジャージを纏った三人の姿が、雲を突き抜けて王宮の扉へと消えていく。
エルフの国の心臓部。
そこには、伝統という名の枷に縛られ、自ら滅びを選ぼうとしている王の姿があった。
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