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「『料理の幽霊』を見れる私が、初めて浮いてる男の子を見た話」

作者: 醍醐乙兎
掲載日:2026/04/10

「人が、浮いてる……えっ嘘! 幽霊!?」


 大学が夏季休暇に入り、どうしても帰省したくなかった私は、住み込みで働ける短期バイトに応募した。

 採用された勤務地は、電車で三時間ほどの海の見える旅館。

 ネットの情報では、まかないご飯がとても美味しいらしい。


 そう、私は美味しいご飯を、とても、とっても、とーっても、楽しみにしていたのだ。

 それなのに、お昼すぎに勤務地の旅館へ着いた私は、食欲が吹っ飛ぶほど混乱させられた。


 旅館の入口に、小学生くらいの男の子が浮いていたからだ。


 私の目線くらいに足先があり、顔を外に向けて、直立の姿勢で空中に静止している少年。

 服装は、昔の子供が着ていそうな古臭い着物を羽織っている。

 あと、少しだけ体が透けていた。


「…………幽霊かー」


 私は、生まれて初めて『人型の幽霊』を目撃した。




 自分に霊感があると知ったのは、大学に入学して一人暮らしを始めてすぐのこと。


 そのときの私は、息苦しい実家からの開放感で、つい……人生初の豪遊をしてしまった。

 欲しいものを買って、食べたいものを食べて、行きたい場所に行って。

 理性を投げ捨て、欲望のまま娯楽に浸って、でろでろに溶けていた。


 そして、大学生活が始まって半月も経たずに食費まで使い込んで、お財布は空っぽ。

 言葉通り、明日もわからぬ身になっていたのである。


 あの時期は、独りでやりたいことをしまくっていたせいで、まだ大学で友人もできておらず、恥を忍んで誰かにタカることもできない。

 バイトは探してもいない。

 あと、実家からは仕送り以上の支援は受けたくない。


 なので、次の仕送りまで部屋にいるときは、服や小物――娯楽の残骸が散らかった床に横たわり、気合と根性で空腹に耐えていた。

 今思い返しても本当にお馬鹿。


 でも、なぜかそんなタイミングで、私は霊感に目覚めた。


 私が初めてみた幽霊は――宙に浮いた『とろとろ卵の半熟オムライス』

 一人暮らしの私の部屋で、お皿に乗って、私の腰ぐらいの高さで浮いていた。


 うっすら透けている『とろとろ卵の半熟オムライス』は、柔らかい湯気を立ち上げて、チキンライスを彩る半熟卵のベールには、奥ゆかしさの中に食べる人への愛情が見え隠れしていた。


 そんなわけで私はそれ以来、『料理の幽霊』だけ見えるようになった。

 ちなみに『料理の幽霊』は、触れられないし、もちろん食べることはできない。


 結局このときは、気合と根性が空腹に負けて、実家に泣きついてしまった。

 そうしたら、すぐに父親が実家から三時間かけて生存確認に来てくれた……。

 くそう、本当に屈辱の極みだ。




「……嫌なことを、思い出しちゃった」


 初めて人型の幽霊を見たショックで、現実逃避をしていたら、余計なことまで思い出してしまった。


「……いやいや人型の幽霊が見えてる!?」


 私が幽霊を見えるようになって三ヶ月。

 これまで『料理の幽霊』しか見えてこなかったんだけど……困った。


 宙に浮いている少年が、口をパクパク開きながら、必死に何かを言って、私を目で追ってくる。

 ……本当に困った。


 あと…………お腹すいた。




 一般的に、幽霊が現世に留まっている理由は、何かしらの未練があるから、と言われているらしい。


 だったら、私が見ている『料理の幽霊』はどうなんだろう。

 実は料理に意識があって、『ちくしょう! 美味しく食べてもらえなかった……このままじゃ死んでも死にきれねぇ!!』ってことなのかな?

 だとしても、幽霊に触れることも、食べることもできない私には、どうすることもできないんだけどね。


 なので私は下手くそな口笛を吹きながら、露骨に少年から目を逸らした。

 全力で見ないふりをして、旅館に滑り込む。


「ふひーふひーまかないたーのしみー」


 ……玄関の清掃をしていた従業員さんが、私から目を背けている。


 怪しいものじゃないよ!?





「あ゙ーづがれ゙だー」


 私は割り振られた和室の個室で、ぐでんぐでんになっていた。

 時計を見れば22時。

 ようやく初日の労働が終わったのだ。


「中居さん見習いに、客室清掃。あとまさか調理補助まですることになるとは」


 ニコニコ顔の女将さんが「初日は一通り体験してもらって、得意そうな作業を頑張ってもらおうかしら?」って軽く言ったから、簡単なお手伝いだけかと思ったら、戦場のような現場に放り込まれた。


 飛び交う怒声、交錯する指示、そして降り注ぐ女将の眼光。

 それもこれも、まだ見ぬ激ウマまかないご飯のため。

 私はこっそり食材をつまみながら、お腹をぐーぐー鳴らして業務をこなしていったのだ。


 この忙しさは、実家でのお正月を思い出す。

 親戚連中がゾロゾロ集まってきて、あれやこれやと準備をしなければいけなかった。

 特に爺様婆様たちがとても口うるさくてかなわなかった。


 やれ、『本家の娘はしきたりに従え』とか。

 やれ、『食は儀式、供物を浄化せよ』とか。

 あとは……そうだ、『自らを律し、その身の不浄を正せ』とか。


 不浄って、人のこと、ばっちもの扱いしてくるのはどうなのさー。

 せっかく帰省しないために住み込みでバイト始めたのにさー。

 なんで、実家のことを思い出さなきゃだめなんだよー。

 本当に嫌になるー。


「あー、他のバイトさんも大変そうだったし、もしかしたら何人かバックレるかもなー」


 それはやめてほしいなー、私の作業が増えそうだし。

 ちなみに私は辞める気はない。


 だって。


「つまみ食いであんなに美味しかったんだから……まかないたのしみー!!」


 多分私は、美味しいご飯があればどこでも住んでいけると思う。


 さて、ご飯の時間までまだ少し時間がある。

 お風呂はご飯の後ってことらしいし――ちょっとだけ、あの少年について考えてみようか。


 私は空腹を堪えて畳に寝転がり、木目の天井を見上げた。


 私が見えるのは、料理――つまり調理済みの食べ物。

 食材がそのまま見えたことはないし、誰かが食べるために作った『もの』が見えているんだと思う。


「だとしたら……」


 あの少年は――誰かに食べてもらうために、作られた『もの』、ってことになるのかな?

 それでいて、未だに現世に留まっているってことは……。


「少年は、『食べてもらえなかった』のかも、知れないねー」


 でも、人肉なんて普通は食べないものなんだし、それで良かったと思うけどね。

 そもそも、ここまで全て私の想像で、根拠があるわけじゃないし。


 ただ、彼は私に――幽霊が見えて、食欲旺盛な私に、何かを伝えようとしていた。


 もし私が考えた通り、彼が食べられるために生まれて、食べられるために育ち、食べられずに未練を持ったまま、命が尽きたのなら。

 そんな少年が、私に伝えたい言葉は……。


 ぐぅ〜。


「……………………私、幽霊の匂いや声が認識できなくてよかったー」


 忘れよ忘れよ。

 私には、でりしゃすぐれーとまかないご飯が待ってるんだし。


 ぐぅ〜。


 お腹からの催促に、私は畳から跳ねるように飛び起きて、時計を確認する。


「時間ぴったし!」


 私は恋い焦がれたすぺっしゃるディナーを迎えに、飛び跳ねながら食堂に向かった。


 この住み込みバイトは三週間。

 毎日美味しいものを食べて、幸せいっぱいにやり遂げるんだ!


 ぐぅ〜。


 …………この何度も繰り返されるお腹の悲鳴は、今から食べる晩ごはんが楽しみだからだ。

 決して――あの少年のあどけなくも、必死な表情を思い浮かべたからではない。




 私は幽霊に触れられない、だから食べられない。

 でも、もし……もし私が幽霊に触れることができたら、私は、彼を、美味しそうと、思ってしまったかも知れない。


 ……いやだ、実家を、思い出したくない。




 私の食欲は、『料理の幽霊』が見えるようになってから、激増している。


 おなかが……すいた。





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