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レベル999の最強勇者になったのに、左手の結婚指輪(呪い)が嫁の説教を再生し続けてくる件  作者: セルライト
第一章:黄金の檻と「最強」の退屈

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第3話:四天王の困惑と、勇者の「生活習慣病」


魔王城へと続く『断罪の回廊』。そこは、踏み入る者の精神を蝕み、過去のトラウマを具現化して発狂させるという、魔界最悪の呪い地帯だった。

だが、そこを歩く佐藤健一の背中に、かつての英雄のような悲壮感はない。あるのは、仕事帰りにスーパーの閉店間際の惣菜争奪戦に挑むような、殺気立った「生活者の執念」だけだった。

「ククク……よくぞここまで辿り着いたな、勇者よ」

冷徹な声が響き、影の中から魔王軍四天王の一人、魔道軍師ザルガスが姿を現した。漆黒のローブを纏い、手にした杖からは国一つを数秒で腐らせるほどの暗黒魔力が溢れ出している。

「だがここで行き止まりだ。この『絶望の結界』の中では、貴様が最も大切にしていた記憶が、最も残酷な形で蘇り、貴様の精神を内側から食い破る……!」

ザルガスが杖を掲げると、回廊の空気が澱み、健一の周囲に不気味な霧が立ち込める。本来ならここで、勇者がかつて失った仲間や、救えなかった人々の幻影が現れ、彼を絶望の淵へ叩き落とすはずだった。

「……なあ、ザルガス。ちょっと聞きたいんだけどさ」

霧の中から響いた健一の、生気のない、それでいて粘りつくような問いかけに、ザルガスは詠唱の言葉を飲み込んだ。

「……は? 命乞いか? 貴様の『大切な記憶』を見せてやる前に、何か言い残したいことでも……」

「お前、風呂上がりにバスタオル、どこに干してる?」

「…………はあっ!?」

ザルガスの思考が停止した。数千年の時を生き、数多の英雄を絶望に沈めてきた大魔導師にとって、これほど予想外の質問は初めてだった。

「バ、バスタオルだと……? 我は魔族だ。魔力で全身の水分を蒸発させる。布切れなどという原始的な道具は使わん!」

「甘いな。甘すぎる。……いいか、ザルガス。美紀はそれを許さない。魔力で飛ばそうが何しようが、『脱衣所の床を一滴でも濡らした』という事実だけで、お前がレベル999だろうが、魔王だろうが、この世の終わりみたいな形相で詰め寄ってくるんだ」

健一は聖剣を杖代わりに、ふらふらと、しかし確実な足取りで霧の中を一歩踏み出した。結界が彼の精神を探り、最も苦痛な記憶を引きずり出そうとするが、出てくるのは「排水溝の詰まり」や「賞味期限切れの牛乳」といった、あまりにも世俗的すぎる情報の断片ばかりだった。

「『ねえ、ここ。誰が拭くと思ってんの? 妖精さん?』……そう言われてな、自分が汚物か何かのように扱われる、あの冬の脱衣所の冷たさ……。あれこそが、俺が俺である証明だったんだよ。……ああ、あの冷たい床の感触が、今、猛烈に恋しい」

ザルガスは、顔を引き攣らせた。

「……貴様、狂ったか。我が術式『精神崩壊の迷宮』が効いていないのか? 貴様の脳内にある、最も恐ろしい存在を具現化しているはずなのだが……」

ザルガスの言葉通り、健一の目の前には、薄暗いキッチンの幻影が現れていた。そこには、エプロン姿で腕組みをし、般若のような形相で自分を睨みつける美紀の姿がある。

「あ、美紀。……悪い、今日ゴミ出し忘れてさ」

健一は幻影に向かって、自然に頭を下げた。レベル999の覇気も、世界を滅ぼす魔力も、その一瞬で完全に消失し、ただの「謝罪に慣れすぎたサラリーマン」へと退化した。

(……ねえ、健一。あんた、私のことバカにしてるの? ゴミ出し一つついでにできない男が、外で立派に働いてるなんて思えないんだけど。ねえ、聞いてる?)

幻影の美紀が放つ「正論という名の暴力」が回廊に響き渡る。それはザルガスの魔法よりも深く、健一の魂を削り取っていった。

「……ぐ、あああああッ! それだ! その『ねえ、聞いてる?』の後に続く、三十分間の正座コース! 胃のあたりが焼けるようなこの感覚! これこそが現実リアルだ!」

健一は歓喜の叫びを上げながら、幻影に歩み寄る。ザルガスは困惑の極致にいた。

「な、何を喜んでいる! 苦痛ではないのか! 屈辱ではないのか!」

「屈辱だよ! 最大級のな! でもな、ザルガス。……お前が放つ暗黒魔法『デス・パニッシュメント』の弾幕。これに触れれば魂ごと消滅するっていうけど、そんなもん、寝てりゃ治るんだよ。物理的な破壊なんて、所詮は表面的なもんだ」

健一は、ザルガスが放つ漆黒のエネルギー弾を避けることすらせず、真っ直ぐに突き進む。魔法が肩を焼き、脇腹を削るが、彼は微塵も怯まない。

「美紀の追及はな、寝てる間に耳元で、三時間は続くんだぞ。こっちが寝落ちしそうになると、『寝て誤魔化そうとしてるでしょ!』って耳を引っ張られるんだ。……その、逃げ場のない絶望に比べれば、お前の魔法は……ちょっと刺激的なマッサージだな」

健一は左手の安物指輪を、愛おしそうに、あるいは呪うようにさすりながら、呆然と立ち尽くすザルガスの目の前まで辿り着いた。

「……待て! 来るな! 貴様、何者だ! 勇者などではない、貴様は……生活という名の悪魔か!」

「……先に行かせてもらうぞ。特売の卵、売り切れる前に帰らなきゃいけないんだ。……あ、それとお前。バスタオルはちゃんと二つ折りにして干せよ。美紀に見つかると、一週間は無視されるからな」

あまりの「生活感の重圧」と、勇者が背負っている「底なしの家庭内カースト」の深さに、軍師ザルガスは杖を落とし、その場に膝をついた。魔界随一の知略を誇った男が、一滴の魔力も使わず、ただ「他人の家の家訓」を聞かされただけで、再起不能の精神衰弱に陥ったのだ。

「……何だ、あの男は。我ら魔族が数千年かけて築き上げた『死の恐怖』を、たった数年の『婚姻生活』が凌駕しているというのか……。人間……いや、主夫とは、これほどまでに強靭な生き物だったのか……」

一人目の四天王、ザルガス。戦わずして、勇者の「圧倒的な家庭の闇」の前に沈没。

健一は、崩れ落ちる軍師を一顧だにせず、魔王城の奥深くへと進んでいく。

背後では、聖女リリナたちが、完全に置いてけぼりを食らった顔で震えていた。

「ケンイチ様……今のは、もはや『無双』ではありませんわ……。ただの『暴露』です。あなたが語る現世の記憶が、この世界の理を物理的に削り取っています……」

「勇者様ぁ……もう、帰りましょうよぉ……」

猫耳騎士のクロエも、半ば泣き出しそうになりながら健一の影を追う。だが健一の耳には、彼女たちの甘い声は届かない。彼の耳の奥では、今もなお、美紀の「あんた、また脱ぎっぱなしにして!」という怒声が、聖歌チャントのように鳴り響いていた。

レベル999。それは、世界を救うための力でも、欲望を満たすための力でもない。

「美紀のいる、最低で最高の地獄」へと突き進むための、純粋な『帰巣本能』。

健一は、次の四天王が待つであろう巨大な扉を、不遜にも「ノック(物理破壊)」の構えで睨みつけた。

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― 新着の感想 ―
セルライトさまの作品を拝読いたしました。 まだ読みはじめではありますが、タイトルが素敵ですね。 世界観に惹かれるものがありブクマさせていただきました。 ゆっくり読ませていただきますね。 是非わたくしの…
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