第2話:至高の贅沢を阻む、薬指の激痛
「勇者様ぁ、あーんですわ!」
銀髪聖女のリリナが、フォークに刺さった火竜の心臓ステーキを突き出してくる。金剛石の粉末をまぶしたというその肉は、一口食べれば寿命が延び、下半身の元気まで取り戻せそうな黄金の輝きを放っている。
足元では猫耳騎士のクロエが、「ケンイチ様のふくらはぎ、昨日より3ミリビルドアップしてますっ!」と鼻息荒くマッサージを敢行し、空中を浮遊する魔導士メイは、魔法で「俺の格好良い名場面集」を4K画質で投影し続けている。
仕事のノルマ? 知るか。上司のハゲ頭? 記憶の彼方だ。35年ローンの絶望感? そんなもん、このレベル999の魔力で物理的に消し飛ばしてやったわ!
「これだよ、これ! 俺が求めていた『真の報酬』は……!」
健一は黄金の椅子に深く沈み込み、極上のステーキを口に放り込んだ。
だが、幸せの絶頂で脳汁が溢れ出そうとしたその瞬間。
左手の薬指に、北極の氷山をブチ込まれたような冷気と、100万ボルトの電流が同時に走った。
「ぎ、ぎにゃああああああッ!?」
健一は椅子から転げ落ち、のたうち回る。
そこにあるのは、異世界の伝説の武器でも魔王の呪いでもない。
現実世界で美紀に「これ以上安いのないわよ、あんたにぴったりね」と鼻で笑われながら、ディスカウントショップで買った、あの数万円の安物シルバーリングだ。指輪はどす黒い光を放ち、健一の肉に食い込むどころか、骨ごと粉砕せんばかりの勢いで脈打っている。
そして、脳内に直接、あの「聞き慣れすぎて耳にタコができた声」が、スピーカー最大音量で再生された。
(……ねえ、ちょっと健一。聞いてるの? 昨日言ったでしょ、排水溝のゴミ捨ててって。何回言えばわかるの? あんたの脳みそ、Wi-Fi飛んでないんじゃないの?)
「やめろ……! 今、俺はエルフの膝枕で最高級のワインを飲んでるんだ……!」
健一は頭を抱えるが、指輪は容赦しない。激痛と共に、視界には「狭くて換気扇の音がうるさい、いつものキッチン」がフルHDでフラッシュバックする。腕組みをして、般若のような顔で自分を睨みつける美紀。
(あんた、またコンビニで限定スイーツ買ったでしょ。レシート、ゴミ箱の一番上にあったわよ。お小遣い一円も残ってないくせに、何浮かれてんの? 本当に、生きる才能がないわね)
「あああああ! 消えろ! この生霊みたいな説教を止めろぉぉ!」
絶叫する健一。それを見たリリナたちはパニックに陥る。
「勇者様!? もしや、魔王の見えない精神攻撃を!? 私たちの愛のデシベルが足りないのですか!?」
クロエがさらに密着し、メイが「精神安定の魔法」を10重起動するが、全部無駄だ。今の健一には、エルフの香油の匂いすら、美紀が「特売だったから」と買ってきた、あの強烈な匂いの柔軟剤にしか感じられない。
健一は這いずりながらバルコニーへ出た。眼下には平和な王国。
だが、そこに「人間」はいない。リリナたちは、健一が何をしても「さすがです!」と肯定するだけの、バグったNPCだ。
美紀は確かに怖かった。だが、彼女は健一の失敗を笑い、情けなさを叱り、そして「明日の朝、早いんだからさっさと寝なさいよ」と、ぶっきらぼうに風邪薬を置いてくれる、世界で唯一の「対等な存在」だったのだ。
「メイ……お前に、一つ聞きたい」
健一は涙目で魔導士を振り返る。
「もし俺が、お前の大事な魔導書を台拭きに使ったら、本気でブチ切れてくれるか?」
「そんな! 勇者様がなさることなら、それは新たな清掃魔法の発見ですわ!」
……ダメだ、こいつら話が通じねえ。
健一は聖剣をひったくるように握りしめた。左手の指輪は、相変わらず「あんたの靴下、裏返しのままだったからそのまま洗ってやったわよ」という美紀の呪詛を垂れ流している。だが、その声こそが、今の彼には現世へと繋がる唯一の光だった。
「リリナ、クロエ、メイ! 魔王を倒しに行くぞ! 今すぐだ!」
「えっ!? まだ準備が! 四天王も残ってますわ!」
「うるせえ! 一秒でも早く、俺はあの説教されまくりの地獄へ帰るんだ!」
レベル999の魔力が、世界平和のためではなく、「一秒でも早く嫁に土下座するため」だけに暴走を開始した。




