4.離宮の皇女2
エレノアの祖は、かつての建国の英雄たる初代皇帝の弟で、『神に愛された』と称される強靭な肉体を持つ人物だ。剣技に秀で、人より力も強く、傷の治りも早い。戦場における功績をもって、公爵になった。
エレノアは確実にその血を引いている。
神に愛された強靱な肉体を持つ公爵家の血筋は失われることになるが。父が身近な血縁から後継にふさわしい者を連れてきて、エレノアになった皇女と結婚させることになるだろう。
しかしこの神に愛されたこの強靭な肉体は、帝国で子を産めばそちらに継がれるわけだが、皇帝はそれをどう思っているのか。
「結婚なんて話にならなかったら、あなたはこれからどうするつもりだったの? 戦争が終わったら」
「今更社交界を牛耳るつもりもありませんから、領地にて剣の修行に励むつもりでした」
皇女は一瞬あっけにとられ、それから声を上げて笑った。
「それ以上励んでどうするの」
「剣の道に終わりはありません」
しかしあまり強くなりすぎて国の脅威と思われても困る。だからこっそりどこかへ旅立つのもいいかと思っていた。北方の山へ魔獣討伐に行くとか。
「仕方がないので、ヴォルネス帝国へ武者修行に出たと思うことにします」
「良い強敵に出会えるといいわね」
それはエレノアに身の危険が及ぶといいわねと言っているようなものだ。しかし皇女のエレノアへの絶対の信頼からくる言葉でもある。エレノアがどうにかなるわけがないと。
「あなたの身を守るためなら、容赦なくやっていいのよ」
にこやかに告げるには物騒な言葉だ。
「私は快楽殺人者ではありませんよ、殿下」
「知っているわ。だけど、強すぎるのだもの」
皇女は笑い、白い手でティーカップを持った。流れるような仕草でハーブティーを飲む。うつむいて伏せた睫毛から、香りを楽しむ表情から、優美な指先から、無骨なエレノアとはまるで違う。
「私に皇女殿下の代わりが勤まるでしょうか」
「これからはあなたがアデラインなのよ。好きなように振舞って、好きなようにひっかきまわしていいの。これはお父様たちが勝手にやったことなんだから、問題が起きたって、国同士のことはお父様がどうにかなさらないといけないわ」
皇女はいつになく、はっきりと言った。いつも穏やかなまなざしは、しっかり強くエレノアを見据えていた。
しくじれば、戦争になりかねない。だが、それを背負いすぎるな、と。賢くも優しい皇女は言った。
「万が一の事があったら、まずあなたの身を守って」
「かしこまりました」
エレノアは微笑み、胸に手を当てて頭を垂れる。
それを見て、ふふ、と皇女は笑った。
「おばさまもおじさまも大好きだし、わたくしは新しい生活がとても楽しみ。ずっとここにいたから、いつか公爵家の領地にも行きたいわ」
母は皇帝の妹――つまり、先代皇帝の娘だ。
公爵との結婚は政略的なものに思われがちだが、その実は母に惚れ込んでいた父があれこれと画策した末の恋愛結婚だ。今でも頭が上がらないのだ。
「身内になると態度が変わるかも知れませんよ。母は私が知る限りこの世で一番強い女ですし、父は母が好きすぎで他をおろそかにしますし」
だから皇帝の横で大人しく立っていたのだ。跡取りの娘が他国へやられるというのに。
恐らく母が賛成しているのだろう。放っておけば結婚などしないことがバレている。
もしかしたら、剣の修行のために社交界を放り出すことなど予想のうちかもしれない。放浪の旅に出られるくらいなら、他国に嫁いだ方が幸せだと思っていそうだ。
「帝国最強のあなたよりも強い女性がいるとはね」
「我が家の実情をご覧になって、嫌になってしまわないか心配です」
エレノアはため息一つ、ハーブティーを飲んだ。爽やかな香りが鼻腔をくすぐるが、どうにも「草の味だな」と思ってしまう。戦場でそこらの草を摘んできて煮出した飲み物を思い出す。しかし皇女の厚意を飲み込み、エレノアは微笑んだ。
「母は庭園の世話が好きですから。『娘』と共に花を愛でることができるようになって、きっと喜ぶでしょう」
外を飛び回っていたエレノアにはできなかったことだ。
「そうだと嬉しいわ」
皇女はにこりと笑う。
語ったことすべて、彼女の本心だろう。政治的な思惑に振り回されていると分かっていても、彼女は自分の立場で、自分にできることを楽しもうとしていた。
「アデライン殿下、そろそろ」
エレノアを連れてきた侍女が、皇女にそっと声をかけた。
「そうね、あまり引き留めてもいけないわ。おばさまがお待ちだろうから」
侍女が整えた花束を持ってくる。皇女は立ち上がり、それを受け取った。
「久しぶりにゆっくり話せて楽しかったわ」
「光栄です」
エレノアは急いで立ち上がり、姿勢を正し、胸に手を当てて騎士の礼をする。それを見て、皇女はおかしそうに笑った。
「あなたがいつまでも健やかであることを祈っているわ。どうか、新しい旅路があなたにとって楽しい修行でありますよう」
花束を抱えて、皇女は穏やかに言った。
「いつかまた、あなたの武勇伝を聞かせてね」
幼い頃、身分も考えずにソファに並んで語った日々を思い出す。
熱を出して寝込む皇女の枕もとで、ひたすら素振りをしていて怒られたこともあった。皇女はエレノアが元気に動くのを見ていたいと言ってくれたので、お咎めなしになったのだったが。
エレノアはドレスのままひざまずく。皇女から花束をうけとり、淑女への騎士の礼で、うやうやしく頭を垂れた。
「喜んで」




