3.離宮の皇女1
皇女の住まいは離宮とはいえ、大きく言えば皇宮の中にあった。
巨大な皇宮の中で、古の皇帝が側室のために造ったとされるエメラルド宮は、美しい庭に囲まれ、人の波から外れた静かな場所にある。宮殿にはさらに中庭があり、巨大な温室を兼ねたガセボがあった。
その離宮の庭園で、皇女はつばの広い帽子を被って布で顔を覆い、ごつい手袋をして庭木の世話をしていた。
「エリー、呼びつけてごめんなさいね」
布をとり、にこりと笑う表情はとても明るい。手には今摘み取ったのであろう花束が抱えられていた。
園芸は立ったり座ったり重いものを持ったりと体力のいる作業だ。思いの外元気そうな皇女の様子に、エレノアは膝を折って礼をし、笑みを返した。
「いえ、早々に戻っても母の雷を食らうだけですので。アディ殿下もお元気そうで安心いたしました」
「天気がいいと体調もいいのよ」
昔はよく熱を出しては寝込んでいた。年が近く血縁でもあるエレノアは、皇女の話し相手としてここによく来ていた。
性質の違う二人だったが、楽しく過ごしていた記憶がある。他の令嬢とは違うエレノアから飛び出す話をアデラインは喜んで聞いていたし、博識なアデラインが語ることに、エレノアも興味深く耳を傾けた。
エレノアが魔獣討伐へ行き、戦争へ行くようになり、ここで過ごすことはなくなっていったのだが。
エレノアは皇女がとても好きだった。皇族に対して好悪の感情など不敬かもしれないが、人として好ましく思っていたし、尊敬していた。
病弱だが、聡明で高潔であり、同時に親しみ深い人物だ。他者への慈愛深く、次期皇帝としても申し分ない人物だった。凡百でありながら、血気盛んな皇太子よりも。
凡百なのが悪ではないが、身の程を知らないこと、そのせいで投げ出されるものがあることをわきまえていないのは困る。特に戦場では。
たが武力がものをいうこの国において、皇女の立場は弱い。いないもののように扱われることが多かった。皇女がどうしているのか、時折気にかかってはいた。
「後でお花を持って帰って。公爵夫人のご機嫌が少しでも良くなるといいのだけど」
「皇女殿下の贈り物を喜ばないわけがありません」
アデラインは持っていた花束を侍女に預ける。それから、温室へエレノアを案内した。
薄いガラスで囲まれた温室は、外の木々もよく見え、室内で咲く花々の香りに満ちている。床から特殊な魔法で暖められたこの場所は、病弱であまり外に出られない皇女の癒しとなってきただろう。透明な檻のようなものであっても。
ゆったりとしたソファに座っていると、いつも夢の中にいるような気持ちになる。ここはいつも外の世界と時間の流れ方が違う。
侍女が運んできたポットから、皇女が手ずからお茶を注いでくれる。温室の中に、爽やかな香りが満ちた。
「朝摘んだハーブで入れたお茶よ。気持ちを落ち着ける作用があるの」
「殿下、私はそんなにいつも血気盛んではありません」
「あら、お父様の話を聞いて怒っているかと思って」
「ということは、殿下はもうご存じなのですね」
ええ、と皇女は微笑んだ。ポットを置き、自分もソファに座る。ふう、とちいさく息をついた。
「あなたにはお父様が無茶を言って、本当に申し訳ないと思っているの。身代わりなど、とても尋常のお話とは思えないわ」
自分と同じ心持ちの人がいて安心した。とはさすがに言えない。
皇女はたちのぼる湯気を見ながら、穏やかに続けた。
「わたくしは体が弱くて、ここに閉じこもりきりだった。国のために働けない皇女というのは、居心地が悪いものよ。結婚という形でくらいなら、国の役に立てるのではと思っていたけれど、それもあなたに押しつけることになってしまった。戦場で兄のお守りも押しつけているのに」
エレノアがアデライン皇女の身代わりとして嫁ぐということは、アデラインは公女になる。皇帝の娘という身分を失い、公爵家の娘として、婿取りをしなくてはならない。
生活自体は、エレノアは病弱で社交界に出ないということになっているから、以前と大して変わらないのかも知れないが。
透明な扱いを受けていた皇女は、皇族としての役割を果たす機会も奪われたまま、それに対して何も思わないなど無いはずだ。
「アデライン殿下……」
「でも、気が楽になったのも確かよ。適材適所というものなのかもしれないわね。あなたなら立派に役目を果たしてくれると思っているわ。肩の荷をあなたの肩にまるごと乗せる形になってしまうけれど」
まるごとどころではない。付加要素がかなりあるのだが。
「皇太子殿下はこのことをご存知なのですか?」
皇太子自身は未だ戦線にいる。いま戦場で敵と対峙したまま、和平が成るのを待っている状態だった。堪え性のない皇太子が、余計なことをしないかが心配だ。
「どうかしら。隠し事のできない方だから、知らされていないのではないかしら。いずれはお聞きになるとは思うけれど。妹に興味もないし、いまエレノアがわたくしのふりをして現れても気づかないと思うわ」
確かにそうだろう。観察眼がまったくないお方だ。
皇太子と皇女の母は、グレイヴス公爵家と並ぶクラーク公爵家の出身だ。皇女とエレノアの入れ替わりを皇太子が知らされていなくても、おそらく皇后は知っているだろう。
入れ替わりを公にすることはできない。だが、皇女が公爵家にいると皇后が知っていれば、邪険にもできなくなる。
「公爵家のことは任せて。お母様への牽制くらいなら、わたくしでも役に立てるから」
エレノアと同じ事を考えていたのか、皇女は微笑んだ。
凡百の皇太子がいずれ皇帝になり、クラーク公爵家が幅をきかせるのは不安ではあった。腕力しかないエレノアがグレイヴス公爵家を継ぐよりも、賢い皇女殿下が立ち回ってくれた方が、国や公爵家のためにはいいかもしれない。
――皇帝や父としては、そういう思惑もあるのかもしれないが。
皇女は顎に手をあて、考えを巡らせた。
「ヴォルネス帝国は以前、使節団が来ていたことがあるわね」
「魔獣の強大なウェーブが起きた時ですね。あの頃は、共同で魔獣に備えて戦線を張るため、その約定を結ぶために使節が来ていました」
エレノアが初めて魔獣討伐へ参戦したのも、その時のことだ。
「わたくしは伏せっていて、宴にも参加していないのだけど」
「殿下のお顔を知る者はいないはずということですね」
「知る者がいたところで、わたくしとあなたは似ているから」
確かに顔は似ている。姉妹であると言ってもおかしくはないくらい似ている。髪の色も目の色も同じだ。だから、皇帝はこの荒唐無稽な話を思いついたのだろうが。
しかし、皇女の纏う、やわらかく高潔な淑女らしい雰囲気や聡明な眼差しと、エレノアの堅固で揺るぎない佇まい、相手を射貫く目はまるで違う。並んで立って間違える者などいない。
それに。
エレノアは改めて皇女を見る。日に焼けていない白い肌。細い腕と指。エレノアの日焼けした肌と、筋肉質な腕、剣を握るごつい手指とは大違いだ。
――よく考えなくても、エレノアは病弱には見えない。病弱という設定を持ってはいるが。
これでよく入れ替えようなどと思ったものだ。




