24.月と知の国の帝都1
西の帝国ヴォルネスの帝都オルディナスは、高い壁に囲まれた、円形のめずらしい都だ。
かつて深刻な魔獣ウェーブが発生した際、この土地にも魔力の歪みがおきた。始祖神ゼアの双子の娘の女神のうち、月と知の女神カルスが月の光で浄化したと言われる、神聖なる土地だ。
実際には太古の昔に星が落ちてできた巨大なくぼみの上に建てられた都だとも言われている。
ルヴィンの乗るヴォルネスの馬車に先導され、イゾルデの馬車が道を進む。迫り来る黒壁に、若い侍女達は溜息をもらした。
はじめはメイザー夫人と二人で乗っていた馬車だが、侍女達の身に危険が迫らないよう、移動の際には同乗することにしていた。
エレノアにとってはメイザー夫人と二人きりの時と違い、常に気を張らねばならないのが悩みの種であったが、皆の安全には変えられない。
「これが、帝都オルディナスですか。壁がとても高いですね」
外を見ていた赤毛のカティアが、のんびりと感嘆の声を上げる。素直な反応に、エレノアは微笑んだ。
「月影の冠と呼ばれる城壁ね。神聖力で守られていて、夜には月光を浴びて輝き防御を強めるのだとか」
「さすが、イゾルデとはまるで違いますね」
茶色の髪をぎゅっとまとめたリーシャが言う。
イゾルデは、双子の女神のうち、太陽と力の女神エオディアを、オルディナスは月と知の女神であるカルス神を信仰している。
イゾルデの帝都が無骨で荘厳な白と金を重視されているのに比べ、夜を思わせるヴォルネスの帝都はあまりにも違う。
おそらくあの城壁にほどこされた魔法は、ルヴィンが使っていたのと同じようなものだろう。
門の内側は魔法で守られ、閉門されれば、防御はより強固になる。
「きっとアデライン殿下には、こちらの国もお合いになりますわ」
不安にさせてはいけないと思ったのか、カティアが微笑みながらリーシャの言を継いだ。
本来のアデラインであれば、そうだったかもしれない。
太陽と武の国において、穏やかで体の弱いアデラインは、透明な存在だった。
あまり才気が在るとも思えない皇太子などよりも余程、冷静で知性にあふれ、情勢を見る目をもつ人だったが、弱い存在は認めてもらえない国だった。
知を重んじるこの国であれば、温室の皇女は、居場所を見つけられたのかも知れない。
「そうね。早く馴染めると良いのだけど」
エレノアはただ微笑んだ。
――本来そうだったかも知れなくとも、そうはならなかった。皇帝の思惑で。
そして、そうだったかも知れないが、もしここへ来たのがアデライン本人であれば、たどり着くことは出来なかっただろう。
アデラインが本当に何を望んでいたか、今となっては分からない。彼女自身がこの国に来たかったかどうかも。
エレノアにこぼしたように、帝国のために働きたかったというのは、本心だろう。
だが皇女の身分を捨て、その望みを捨てることが帝国のためだと言われれば、その道を選ぶしかなかった。エレノアがこの無茶な入れ替わりを受け入れたように。
公爵家の庭園で母と茶を飲み、微笑んで穏やかに暮らす日々が、彼女にとって幸あれかしと願うほかない。いや、彼女ならば、その立場から帝国を助けるはずだ。
優れた貴婦人である母は厳格で、貴婦人らしからぬエレノアと度々衝突していたが、最終的にはエレノアが男装して偽名を名乗って騎士として活動するのを黙認していた。黙殺とも言うが。
他人の意志を尊重しない人ではない。アデラインならのびのびと暮らせることだろう。
「殿下、あちらが皇宮でしょうか」
窓に張り付くように遠くをみながら、カティアが言った。
イゾルデの帝都は、侵略に備え複雑な構造をしているが、ヴォルネスの帝都オルディナスは街の有り様もまるで違う。城壁と魔法による防御の恩恵か、自信故か、門からまっすぐに中央へ向けて道が延びている。
進む先には尖塔がいくつか見えた。その中で最も高いものが皇宮だろう。
「はしたない! ヴォルネス帝国の民が見ていますよ」
メイザー夫人の叱責が飛んで、カティアは素早く座り直した。うふふ、と微笑んでごまかしている。
皇太子の凱旋と、イゾルデから来た花嫁を見ようと、帝都の民が道にあふれている。勝利ではないが、戦を終え帰還した皇太子を称える声は多い。
敵国となったヴォルネスの皇女を連れ帰ったことは、まるで戦利品を持ち帰ったように見えるかもしれない。
ヴォルネスからの申し出による政略結婚であり、決してイゾルデが劣勢となり差し出した関係ではないが、民には細かな話しは伝わらないものだ。
「決してアデライン殿下のお立場を損なうことのないよう、皆行動を律していかねばなりません」
メイザー夫人は、定規が入っているかのように背筋を伸ばし、侍女たちを諭した。侍女に言っているようでいて、エレノアに言っているのだということくらい分かる。
エレノアは微笑みながら応えた。
「そのように気を張っていては、ヴォルネスの皆様にも気を遣わせてしまうわ。皆も疲れてしまうでしょう。助け合えるのはわたくしたちしかいないのだから、支え合っていきましょうね」
強硬にあたれば、強い態度がかえってくるもの。
やわらかく穏やかで、病弱で敵意のない皇女だと知らしめる方がいい。少なくとも、最初は。
相手を見るには、弱くあるのも便利なものだ。とはいえ、いつまでもなめられるわけにはいかないが。
メイザー夫人が不穏そうにエレノアを見たが、すぐに頭を下げた。




