22.赤い目2
ふわ、と近くに気配がわいた。魔獣ではない。気配を殺した人間だ。
馬車の扉のノブが静かに動く。
喧噪に紛れて、何者かが忍び込もうとしている。魔獣と相対している警護の騎士は恐らく気づいていない。
「カティア、リーシャ、ドアを離れて」
エレノアは静かに告げる。大声を出して相手に気取られてはいけない。
二人はエレノアの視線に気がつき、息を飲んで静かにエレノアとメイザー夫人の方へ身を寄せる。しかし狭い馬車のこと、そんなに動けるわけもない。
音も無く扉が開く。
再び馬車の結界にほころびが生じた。外の血と焼け焦げた臭いと共に、黒い影がするりと入り込もうとした。
黒づくめの衣服に、黒い頭巾をかぶり、仮面をした何者か。
先ほど侍女達を呼ぶために開けたせいで居場所がバレたのだろうか。ただ単に、しらみつぶしの一手なのか。
カティアが短剣を取り出そうと動いたが、間に合わないだろう。
いつぞやのように、馬車から蹴り出したい。しかし今は、メイザー夫人の他に侍女たちがいる。目撃者を増やして秘密を伝え、彼女たちの負担を増やすのは本意ではない。
エレノアは、旅の始めにルヴィンから渡された小鳥のアミュレットを侵入者へ投げつけた。使えるものは何でも使う。
小鳥は侵入者の鼻先で弾けて白い光になり、馬車の中をまばゆく照らした。ひるんだ侵入者が動きを止める。侍女達が悲鳴を上げ、手を掲げて更に身を縮こまらせた。
その隙にエレノアは素早く身を乗り出した。侵入者の頭を鷲掴みにし、そのまま扉の外へ放り投げる。
そのかたわらで、白い光が飛び立っていく。輝く小鳥のようなそれは、まっすぐ彗星のように飛んでいった。
瞬間、雷鳴のような音がとどろいた。
森の中で金の光が弾ける。開いたドアの隙間から、再び馬車の室内を眩しく照らした。少女たちの悲鳴が上がる。
次いで、馬車の真横の地面に白い光が灯る。光は渦を巻きながら複雑な線を描き、大きな丸と星がいくつも連なるような形となりながら広がる。魔方陣だ。
風圧と共に黒い影が見えたと思った瞬間、ルヴィンが飛び出してくる。
「アデライン殿! ご無事ですか!」
ひどく動揺した声をあげた。もうあちらこちらから、この台詞ばかり聞いている気がする。
しかし瞬間移動が可能とは思わなかった。これが使える魔道士がどれだけいるだろうか。
彼の足下で、暗殺者だったらしき者が、倒れて焼け焦げていた。さきほどのルヴィンの魔法の一撃だろう。まったく容赦が無かった。
「ええ……」
エレノアは急いで座り直した。手を口許に当て、怯えたふりをする。
「驚きました。助けてくださって、感謝いたします」
エレノアの姿を見てルヴィンはホッとした様子で息を吐く。
「お約束いたしましたから。呼んでくださって良かった。御身を危険にさらしてしまい申し訳ありません」
「不用意に扉を開けたわたくしが悪いのです」
「いえ、とっさの判断に感服いたしました。皆さんご無事のようですね。馬車が壊されて肝が冷えました」
ルヴィンは、エレノアが馬車の扉を開けたせいで暗殺者を呼び込んだのだと、責めたりはしなかった。皇女の身の安全が第一なのはメイザー夫人が言った通りなのだが、随従を見捨てないエレノアに、むしろ好感を持ったようにも見えた。
少しでも状況を知りたく、エレノアはルヴィンに問う。
「そちらは大事ありませんでしたか? 皆は無事ですか?」
ものすごい音がしていたが。
「ご心配には及びません。こちらへ駆けつけるのに邪魔でしたので、なぎ倒しました」
何かすごく過激なことを言っているが、聞き流すことにした。
ルヴィンの背後ではまだ喧噪が聞こえている。エレノアの相手をしている場合では無いはずだ。ルヴィンはイゾルデの一行へ微笑みかけると、扉に手をかけた。
「申し訳ありません、周囲を浄化いたしますので、もう少しだけ辛抱ください」
扉が閉まると、再び馬車の中は外界から遮断された。喧噪も毒も血の気配も途絶える。ただ時折まばゆい光が弾けた。
窓から外を見れば、周辺が焼け焦げ、森が消失していた。ルヴィン自身の魔法で守られた馬車以外、暗殺者同様消し炭になっている。
過激すぎないか。
エレノアは自分を棚に上げて、少しばかりあきれた。
ルヴィンは昼間に襲撃を受けたときも、さきほどはじめに魔獣が現れたときも、木々の間を縫うようにして敵を攻撃していた。
戦場でも、味方を巻き込まないような、繊細な魔法の使い方をするのを見てきていたから、そういう性質の人物だと思っていたのだが。これは意外だった。こんなふうに暴力的なこともできるのだ。魔法の腕も能力も威力も、思っていたよりも強い。
恐らく先ほどまでは、敵の出方を見ていたのだろう。黒幕につながるものを掴みたかったに違いない。そうでなければ、簡単に排除できる力があるのに、ここまで長引かせる理由にならない。
しかしアデラインからの救難があったことで、早急に片をつけることにしたのだろう。
「殿下、お体が冷えます」
黙っているエレノアをどう思っているのか、メイザー夫人が毛布でそっと包んでくれた。
ルヴィンが駆けつけてくれた事で侍女達も安心したのか、馬車の中は先ほどまでより、落ち着いた空気になっていた。
「ありがとう」
騎士に任せておけと叱られるかと思ったが、予想外の気遣いに、面食らう。侍女達の前だからなどということではないはずだ。
普段エレノアをか弱い乙女のように思いやる人物など身近におらず、戸惑ってしまった。母ですら、跳ねっ返りの娘を、庇護するように扱ったことはない。少なくともわかりやすい形では。
メイザー夫人は震える手を押さえながら言う。
「皇帝陛下のご下命に、不遜ながらも疑問を抱いておりましたが、今は差配に感服いたしております。アデライン殿下をないがしろにし、同じように病弱でいらっしゃるレディを捨て石にする、無慈悲なご命令だと思っておりました。このような折りにも冷静に対処くださり、侍女達も気にかけていただき、本当に感謝しております」
レディ、というのは、皇女のことではなく、レディ・グレイヴスであるエレノアのことだ。
これまで微塵もそういった不満を見せず、あくまでエレノアをアデラインとして忠義を果たしてきたメイザー夫人は、その本当の主人の無事に安堵し、エレノア自身のことをも気にかけてくれる情に篤い人でもあった。
「疑念があって当然です。尋常のことではありませんもの」
本当に、皇帝は実行する側の気苦労を考えて欲しい。




