21.赤い目1
人が乗っている馬車は三台。物資を運ぶ荷馬車はもっとある。
ルヴィンはすべてに防護の結界をはっていたはずだが、防御が分散して耐えられなかったのだろうか。
音が聞こえたのは、方角的に侍女達が休んでいた馬車だ。馬車をしらみつぶしにして、アデライン皇女を探しているのだろう。
窓から様子を見るには限界がある。しかし侍女達の気配が途絶えていないことと、慣れ親しんだ剣気が彼女たちのそばにあることで、エレノアは少しだけ苛立ちを抑えた。
しかし、感じられる気配はあれだけではない。エレノアはメイザー夫人を振り返る。
「侍女達をこちらへ避難させる。呼びかけるんだ」
「ですが、殿下に危険が」
「私が外へ出て侍女達を呼んでもいいのだぞ! 彼女たちを見殺しにできないだろう!」
森の中へ散らばって逃げる方がいいのかもしれないが、他にも魔獣が出てこないとは限らない。
万が一の時、目の届くところにいないと守ることができない。それにルヴィンたちからしても、守るべき対象は一所にいた方がやりやすいはずだ。
メイザー夫人は、ぐっと言葉をのんだ。
敵はアデライン皇女が乗る馬車を探している。エレノアが顔を出して侍女達を呼んでは、むしろ皆が危険になるだけだ。
メイザー夫人だって若い侍女達を見捨てたいわけではない、ただエレノアを――アデラインを、イゾルデを守ろうとしているだけだ。
その分、メイザー夫人を危険にさらすことになるが。あの魔獣は素早いとは言え、一瞬で距離を詰められるほどではない。エレノアの側を離れさえしなければ、必ず対処できる。
メイザー夫人は意を決した様子で、勢いよく扉を開けた。
途端に、ルヴィンが馬車に施した守りの結界がほころびるのを感じた。閉じた空間になっていなければ、十分に効力が発揮されないようだった。
「リーシャ、カティア、こちらへ!」
魔獣の意識がこちらへ向いたのが分かった。馬車から逃げ出した侍女達も気づいてこちらへ駆けてくる。
アデライン皇女の馬車を警護していたヴォルネスの騎士が、慌てたように叫んだ。
「扉をお開けになってはなりません!」
「彼女たちを救うのが皇女殿下のご意向です!」
メイザー夫人が言い返す。焦れた様子で騎士が侍女達を見遣った。彼はあくまで馬車の警護、皇女の警護が役目だ、侍女達を助けに向かうことはできない。
エレノアは、魔獣の顔を改めて見て、思わずうめいた。
「赤い目……!」
魔獣の放つ赤い揺らぎが、暗い夜の森を照らし、侍女たちを追いかける。魔獣の咆哮と共に、口から黒煙があがる。
クリフォードはマントで顔を隠しながら、侍女と魔獣の間に立ちはだかった。
青銀の剣気が、赤いもやを圧して輝いている。クリフォードが剣を振ると、光が伸びて魔獣を襲った。
しかし横から別の魔獣が飛び出してくる。素早く跳躍し、侍女達を追いかけた。
魔獣の群れだ。
「こんな国の内に魔獣の群れが?」
開いた扉から外をうかがっていたエレノアは、ぐっと壁を抑えた。飛び出して行きたい気持ちをこらえる。
クリフォードが振り返る前に、侍女の一人がスカートの裾をたくしあげた。足につけた帯から細いナイフを取り出す。その剣に金色の光が宿った。振り向きざまに素早く投げる。
金の光は鋭く飛び、魔獣の目を正確に貫いた。
再び咆哮が上がる。黒煙を避け、侍女達は身を低くして駆けた。早く、と叫ぶメイザー夫人の横を、段差をものともせず駆け上がり、馬車の中に飛び込んでくる。
二人、間違いなく入ってきたところで、騎士が扉の前に立ちはだかった。メイザー夫人は急いで扉を閉め、ほころびた魔法が再び馬車を包み込む。
魔獣の体当たりを剣で受けた騎士が馬車に叩きつけられ、馬車が激しく揺れた。
しかし魔獣のただれた皮膚がもたらす炎も、黒煙の毒も、防御の魔法で馬車の中には入ってこない。
すぐさま駆けつけたクリフォードが応戦しているのが見えた。クリフォードなら剣気で毒も払えるはずだ。
エレノアは、馬車の床にへたりこんだ二人を助け起こす。自分の向かいに座らせた。
「二人とも、無事?」
見たところ怪我はない。
「はい、ヴォルネスの騎士とミクソン卿がすぐに来てくださいました」
思ったよりは落ち着いた様子で一人が言う。エレノアは心から、彼女たちに詫びた。
「昨夜に続いて、皆に大変な思いをさせて申し訳なく思っています」
「何をおっしゃいます! 殿下をお守りするのも、侍女としての務めです」
そう言ったのは、先ほどナイフを投げた侍女だった。カティアは赤い髪をぐるぐると編み込んで、茶色の穏やかな瞳をした少女だ。
「殿下、ご安心ください。私たちもイゾルデの者です。多少なりと戦闘術の心得がございます。殿下をお守りいたしますわ」
もう一人の侍女が、姿勢を正して言を継ぐ。リーシャは金茶の髪をきっちりとまとめ、生真面目そうな顔をした少女だった。
イゾルデは子供の頃から男女ともに剣技を習う国。特に貴族の身分であったり、裕福な家の子供は剣技を重視する。長じて女性が剣を選ぶことはあまりないが、己の身を守るくらいはできるはずだ。
本来の政略結婚ならば、メイザー夫人のようにアデラインの側近がついてくるべきなのだろうが、それでは身内からエレノアの正体がバレかねない。
今回随行するのは、皇宮に仕えていた侍女のうち、特別に選抜した人物だと聞いていた。
どう選んだのかと思ったが、武術の腕を重視したのだろう。先ほどカティアは剣気を扱っていたし、恐らく二人ともアデラインの護衛を兼ねているようだった。
しかし彼女たちの手は震えている。とっさに判断し、ナイフを取り出し戦えたのは日頃の訓練が染み付いている証だろうが、どれだけ鍛えていても彼女たちは侍女だ。実戦経験はないはずだった。
エレノアは二人の前に膝をつき、手をギュッと握る。震えて冷たくなった手を暖めるようにして、目を合わせた。
「とても心強いけれど、無理はしてほしくないの」
本来ならば、実戦はそれを専門としている者に任せるべきだ。彼女たちの力を借りねばならない事態に陥ったことが問題だった。自分の配慮不足も許せない。
彼女たちが、皇女を守らねばと血気にはやったり、無茶をして、かえって状況が深刻にならないよう気をつけねばならない。
「それに、そなたたちの力は温存しておいた方がいいわ。ルヴィン殿とクリフォード卿にお任せしましょう。この馬車はルヴィン殿の防御がかけられていますし、ここにいれば安全です」
ここでイゾルデの側近の戦力を見せるのはあまり得策ではない。刺客を送り込んだと捉えられかねない。今後のためを考えると、ヴォルネスの兵に任せた方がいい。
エレノアは窓から再び外を見る。急いでメイザー夫人がカーテンを閉めた。
ムッとして夫人の厳しい目を見返しながら、エレノアは眉間にしわが寄るのを抑えられなかった。
――やはり、魔獣の目は赤い。




