17.初恋と制約の比重
馬車は森にさしかかっていた。
違和感がある。エレノアは窓の外を見遣った。木々の向こうに大勢の人の気配がある。
思わず腰を浮かしかけたところで、空気を切るような鋭い音が襲来した。
悲鳴と馬のいななきが響き、ダンダンダンと立て続けに、間近で空気の弾ける音がした。
――結界術で守られているから馬車には当たらないが、これは弓だ。
「アデライン殿、窓から離れてください!」
ルヴィンが声を上げると同時、ワアアアアと喊声が弾けた。
またか。
エレノアは素直に馬車の隅に逃げながら、げんなりする。やはりヴォルネス国内でもこうなるのか。
襲撃だ。
「アデライン殿は、念のため身を低くして、ここから離れないでください」
ルヴィンは言い置いて、馬車から飛び出していった。
それと同時に、馬車を襲っていた矢の音が途絶える。諸々の怒号や悲鳴や、剣戟の音も途絶えた。
音すらも入れないような、更に強い守りの結界を張ったのだろう。
再び窓の外を見遣る。
剣を手に、新緑の衣装を着た者達が木々の向こうから飛びだしてきた。後方を離れて進んでいたイゾルデの馬車が襲われている。他の馬車には見向きもしない。
これは単純な盗賊などではない。アデラインとルヴィンを狙っている。
しかしルヴィンの扱う結界魔法が彼らを弾き飛ばし、彼の放つ光の矢が、木々の向こうに隠れた射手を襲った。
エレノアが歯がゆい思いをする間もなく、片がついたようだった。
ルヴィンの魔法の腕はエレノアもよく知っている。防御の結界を張り周囲の者を守りながら、敵の位置を的確に攻撃する、細やかな手腕はさすがだった。
ルヴィンが戻ってくるのを見て、エレノアは窓から離れた。馬車の隅におとなしく座る。
「アデライン殿! ご無事でしたか!?」
ルヴィンは扉を開けるなり、エレノアに駆け寄ってきた。
もちろん、問題などあるわけがない。
しかし先ほどの失態を思い返し、エレノアはハンカチで口許を覆いながら弱々しく頷いた。
「大事ございません」
「何かあれば、遠慮なく申しつけてください。ひとまず追い払いましたが、急いでこの場を離れます。この馬車は修繕が必要ですので、おりていただかねばなりません」
修繕が必要などと、エレノアを移動させるための方便だ。魔法で守られて傷もついていないはずだ。
ルヴィンは慎重に手を差し出してくる。その手にそっと自分の手を乗せた。
エレノアは、淑女のたしなみとして手袋をしていて良かったと、今更思った。エレノアの手は、アデラインのか弱い指先との違いは明白だ。
華奢な女性らしく、あまりしっかり掴まないよう慎重になっていると、思いのほか力強く握り返される。助け起こされながら、エレノアは頷いた。
「お疲れでしょうから、気心のしれた従者と同乗された方がよろしいでしょう。本日は少し先の街で休みますので、しばしご辛抱ください」
「承知しました」
落ち着いている様子のエレノアに安堵したのか、ルヴィンは微笑んだ。
それから握ったままのエレノアの手に、そっと何かを乗せた。
「これをお持ちください」
小さな木彫りの鳥だった。皇太子や皇女が持つにはあまりにも簡素で、装飾などの用途で使うものでないのは一目瞭然だった。
道具にしても、実用のみを考えられたシンプルさだ。
「これは……」
「私用の木響鳥です」
魔法を込めて伝書鳩のように使われる魔道具だ。疑問を込めて見上げると、ルヴィンは頬笑んだ。
「念を込めてお持ちくださるだけで、いつどこにいても駆けつけます」
情熱的な言葉に思えるが、そのまなざしはどちらかというと慎重で真摯なものだった。
「お心遣いありがとうございます」
エレノアは微笑みを返しながら、受け取った小鳥をそっと握る。
馬車を降りると、クリフォードが駆け寄ってきた。
「殿下、ご無事ですか」
クリフォードも無傷のようだ。心配はしていなかったが、無事な姿に安堵する。ルヴィンは、クリフォードに護衛を申しつけると、自分はさっさとその場を離れていった。
エレノアは歩きながら、声を潜めてクリフォードに問う。
「襲撃犯を見たか?」
「明らかに盗賊などではありませんね。統率のとれた動きでイゾルデの馬車を襲撃していましたし。殿下が想定の位置にいないと分かると、すぐに引いていきました」
「ルヴィン殿は始めからイゾルデの馬車を囮にするつもりのようだったからな。何者か分からないが、あちらも様子見だろう。また襲ってくるな」
追い払っただけで、追撃する間もなかったはずだ。何よりも護衛が重要な以上、兵力を割くこともできない。再び襲撃はある。ルヴィンはこれを懸念して、北へ向かうつもりだったのだろう。
ルヴィンは、インセクレムへ向かう場合にも、同じように対処しようとしていたはずだ。
もしインセクレムへ向かう場合、イゾルデの馬車や皇太子の馬車は表向き帝都へ向かう予定だったようだから、完全に別行動になったはずだ。
しばらくの間襲撃の矛先をそらすことはできただろうが、道を外れたところで距離を稼ぐのは難しい。
「本当に北へ向かうのはやめたようですね。大きな街道を避けてはいるようですが、帝都へ向かっているようですし」
クリフォードの言うとおりだった。目立たぬように、というつもりなのかもしれないが、街道を避ければ避けるほど、襲撃も受けやすくなるのではないか。
インセクレムへ向かうべきだったか。内情に詳しいルヴィン自身が練った策に従うべきだったのか。
脳裏をかすめたが、やはりそれは最善とは思えなかったし、相手の状況を見極める事ができなかった以上、簡単に従うのが良いとは思えない。
「そのようだな。ルヴィンは思慮深い男のようだが、詰めが甘い。計画を遂行するつもりであれば、最初から黙って北へ向かえば良いのに」
「誠実なお人なのでは」
「それが甘いと言っている。それに、私がなんと言おうと北へ連れて行けば良いではないか。こちらはそれを拒否する手立てはないのだからな」
「それは、アデライン殿下がお相手だからなのでは」
「なに?」
エレノアは足を止めて、クリフォードを見上げた。クリフォードの緑の瞳は、あきれた様子でエレノアを見た。
「だから、初恋の姫が相手だから、嫌がることをしたくないのではないですか」
「…………これは、停戦がかかった契約なのだが」
「それはそれ、これはこれなんでしょ。初恋の人に嫌われたくないのは人情です」
そういうものか。不可解な表情のままのエレノアに、クリフォードは肩をすくめて言う。
「まあ、次善の策もお持ちなのでは」
「だといいがな。しかし面倒だな」
「念のため言っておきますが、さすがに入れ替わりませんからね」
クリフォードは釘を刺すように言う。
エレノアを待ちかねた侍女長のメイザー夫人が、馬車から降りてエレノアを出迎えた。
危険だから馬車に乗っていればいいのに。苦笑するが、あの忠義を無碍にはできない
「当たり前だ」
クリフォードに手を支えられながら、エレノアは馬車に乗る。次いでメイザー夫人が乗り込んだ。
「アデライン殿下、ご無事で安堵いたしました」
心底ホッとした様子で、メイザー夫人はエレノアの向かいに腰を下ろした。扉が閉められると、すぐに馬車が動き出す。




