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星の案内人 — The Keeper of Starlight   作者: テレン


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第9話 星を渡る者

夜と朝の境目に、風が迷っていた。

丘の上の空気はまだ冷たく、

吐く息が白くほどけて消えていく。


宵真は、風の止まる丘の端に立っていた。

コンパスは静かに閉じられたまま、

その中の琥珀の粒だけがかすかに灯っている。


あの夜、凛が光になったあと、

風は確かに変わった。

以前より穏やかで、柔らかく、

そして何より――温度を持っていた。


「……まだ、呼んでるな」


指先でコンパスをなぞると、

蓋の裏に刻まれた名前が一瞬だけ光を放った。

──Rin.

その下で、短い拍が鳴る。


短く、長く、短く。

それは凛の声のようでもあり、

風の呼吸のようでもあった。


宵真は空を仰ぐ。

星々は淡く揺れ、

その間を縫うように一筋の光が走った。


まるで、誰かが天と地を縫い合わせているみたいだった。




丘を登る風が止まり、

代わりに、光が降りてきた。


それは星ではない。

夜空から垂れるようにして現れた、

透明な道――星の回廊。


幾重にも重なり、

光が風のように流れ、

その中を無数の小さな灯が渡っていく。


ひとつ、またひとつ。

どれもが淡く温かく、

まるで人の記憶が形を持ったように見えた。


宵真は、ゆっくりとその中へ足を踏み入れる。


足元の光は水のように揺れ、

一歩ごとに彼の体温を吸い上げていく。

歩くたびに、空の星がわずかに瞬きを返す。

それは、まるで彼を“確認”しているかのようだった。


「……やっぱり、ここか」


この道の先に、凛が導いたものがある。

朔が残した地図も、

この光の回廊へと繋がっていた。


風が鳴らない世界で、

彼は星の拍を頼りに進んだ。




どれほど歩いたか、もう分からなかった。

時間という概念が、

この場所ではゆっくりと溶けていく。


足元に、古い風景が浮かんだ。

灯台の影、凛の屋台、朔の笑顔。

どれも淡く滲み、

それでも確かに“ここにあった日々”だった。


その光景の中心に、

ひとつの影が立っていた。


白い服をまとった少女。

肩までの髪が光の風を受けて揺れ、

瞳の奥には夜明けの色が宿っている。


「……君は?」


少女は柔らかく微笑んだ。

「あなたが“道”を繋いでくれたのね。

 ここまで、風がちゃんと届いた」


「風?」

「凛さんが眠らせた星の声。

 それを束ねて導くために、

 私はこの場所で生まれたんです」


「君は……案内人なのか」

「ええ。

 あなたの次の番――

 “星を渡る者”です」




ふたりは回廊を並んで歩いた。

光の粒が足元から舞い上がり、

その度に小さな音が響いた。


ざらり、

ぱちり、

ことり。


それはまるで、

誰かの記憶が形を変えていく音だった。


「あなたたちの残した灯、

 この道の至るところにありました。

 ひとつ拾うたびに、

 夜が少しずつ明るくなるんです」


少女は、風に話すように言った。

宵真は黙って聞いていた。


「凛さんの声も、朔さんの足跡も、

 みんな風の中でまだ生きてる。

 だから私たちは歩ける。

 あなたたちが“迷ったまま”残した道を」


宵真は小さく笑った。

「迷いを残すために、歩いたのかもしれない」


少女は頷いた。

「迷うことは、誰かのために光ることです」


風がふわりと揺れた。

ふたりの影が重なり、

回廊の上に新しい光の線が描かれる。




やがて、回廊の果てが見えた。

そこには、柔らかい光の門があった。

その奥は夜ではなく、

無数の風と記憶が溶け合う海のような空間だった。


少女――明灯あかりは、

その前で立ち止まる。


「ここから先は、私の番です。

 あなたは……まだ戻らなきゃ」


宵真は首を振った。

「俺の道はもう終わった」

「いいえ。

 凛さんが残した声を、

 あなたが“渡す”ところまでが道です」


宵真は手の中のコンパスを開いた。

蓋の裏の琥珀の粒が、

静かに明灯の胸元へと浮かんでいく。


光が二人の間に橋を作り、

風が流れ込む。


短く、短く、長く。


凛の拍が、宵真の心臓と重なる。

光があたたかく膨らんで、

やがて、彼女の胸に吸い込まれていった。


「……これは?」

「凛の灯。

 あの人の中にあった“迷いの最後の欠片”だ」


明灯は両手で胸を押さえた。

涙が一粒、頬を伝う。

「温かい……風みたい」


宵真は微笑む。

「それが風の本当の姿なんだ。

 誰かの声と、誰かの記憶でできてる」




光の門がゆっくりと開く。

明灯は振り返らずに言った。


「あなたの風、ちゃんと受け取りました。

 今度は私が、星を渡します」


宵真は頷く。

「行け。

 風の続きが、君の道だ」


明灯の姿が光に溶け、

回廊全体がやわらかく揺れた。

星々が呼吸するように、

拍が幾重にも重なって響く。


短く、短く、長く。

短く、長く、短く。


その音が、回廊の奥から空へと広がっていく。


宵真は残された風の中で、

胸の奥に静かに手を当てた。

風が心臓を通り抜けていく。

そこにはもう迷いはなかった。




気づけば、丘に戻っていた。

夜明けの光が地平を撫で、

鳥の声が遠くで鳴いた。


コンパスの針は再び北を指している。

けれどそれは、かつての北とは違う。

“これから向かう方角”だった。


宵真は空を見上げた。

星が一つ、また一つ消えていく。

その中で、三つの星だけが残っていた。


朔の光。

凛の光。

そして、明灯の光。


三つの灯が緩やかに並び、

やがて風の形を描いた。


宵真は小さく笑い、囁いた。


「また会おう。風の向こうで」


風が返すように吹いた。

その拍が、胸の奥で重なった。


短く、短く、長く。

短く、長く、短く。


その音が、朝の光に溶けていく。


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