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星の案内人 — The Keeper of Starlight   作者: テレン


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第8話 星の回廊

夜の匂いが、まだ街の端に残っていた。

アスファルトは夜露を吸い、

車の走った跡が細く白く反射している。

人の気配がない街は、

眠っているのではなく、記憶を整理しているように見えた。


宵真は屋台のベンチに座り、

手の中のコンパスを見つめていた。

針は北を指していない。

その先は、風の止まる丘――凛が光になった方角だ。


蓋の裏には、彼女の名前が刻まれている。

──Rin.

指でなぞるたび、胸の奥で短く、長く、短くと拍が鳴る。

それはもう星の拍ではなく、風の呼吸そのものだった。


彼は思う。

人を導く道具が、自分をどこに導くのか。

案内人は誰のために灯るのか。




夜更け、宵真は丘へ向かった。

風のない夜。

遠くの街灯がゆっくり瞬いている。

足音が土を踏むたび、

空気の層が波のように広がる。


そして、見た。


丘の中心に、光の柱が立っていた。

それは星ではなかった。

地上から立ち上がる透明な道――

薄く、無数に重なり合い、

まるで空へ続く“螺旋階段”のように輝いていた。


風が吹かないのに、衣の裾が揺れた。

光が呼吸をしている。

宵真はゆっくりと、その回廊に足を踏み入れた。


足元が沈む感触。

まるで、水の上を歩いているようだった。

光は脈を打ち、彼の歩みに呼応する。

ひとつ進むたびに、遠い記憶が泡のように浮かび上がる――

灯台の螺旋階段。

凛の笑い声。

そして、かすれた別の声。


「宵真――風が止んだら、進め。」


「……朔」



光の奥に、ひとりの男が立っていた。

灰色の瞳、長いコート。

その姿は輪郭が揺れているのに、不思議と懐かしかった。


「……また会えたな」

「お前は――」

「もう“過去”の一部だと思ってるだろう?

 でも案内人は消えない。

 迷いを抱える限り、形を変えて道の端に立ち続ける」


朔の声は風より静かで、

宵真の胸の奥にまっすぐ届いた。


「風の止まる丘で何を見た?」

「凛を見送った。

 彼女は残響を集め、星を眠らせる場所へ帰った」


朔は目を細めた。

「それで、お前は?」

「……何も残らなかった。

 風が吹かない世界は、音のない海みたいで」

「それでも、歩いて来たんだな」


宵真はうなずいた。

風のない場所を歩き続けてきた理由――

それは“声”をもう一度聴くため。




回廊の光が揺らぎ、地面に星座を描く。

それは、かつて彼らが並んで見上げた風の止まる丘の形だった。

星の数も、線の数も同じ。

けれど、今はその中に凛の名前が刻まれている。


宵真は低く息をついた。

「……俺の迷いが、彼女の道になったのか」


「そうだ」

朔の声が優しく重なる。

「案内人の迷いは消えるものじゃない。

 誰かに渡ることで、次の灯りになる」


「お前も、誰かに渡したのか」

「渡した。あの夜、お前に」


宵真は目を閉じた。

あの最初の夜の記憶――

拾ったばかりのコンパス、

冷たい光、

そして“誰かの名を呼ぶ声”。


あれは星ではなく、朔の迷いだった。



「宵真」

朔が手を差し出した。

その掌に、琥珀の粒がひとつ。

かつて凛の胸にあった、あの光。


「これを持って行け。

 凛の声が届く。

 風が動いたら、それを返してやれ」


宵真は両手で受け取る。

光は温かく、柔らかく、

まるで“まだ息をしている”ようだった。


「……お前はこれからどうする」

「回廊の先へ行く。

 案内人は地図を描いたら、その中を歩く番だ」


朔は微笑み、

「俺たちはまた会う。

 そのとき、お前が導いた光が、

 この回廊を満たしているはずだ」


風が少し吹いた。

朔の輪郭が崩れ、

光の粒となって回廊に溶けていく。

声が最後に響いた。


「迷うことを、やめるな。」




気づくと、宵真は丘の上にいた。

足元には風。

夜明け前の空が、淡い群青に染まり始めている。


掌の琥珀の粒が、

風を掴むように震えていた。


「宵真くん。迷わないで――」


凛の声。

風の音と混じり、消えかけて、

それでも確かにそこにあった。


宵真は目を閉じ、風を吸い込む。

潮のような匂い。

それは、凛の笑い声が残していった香りだった。


「……迷いはもう、灯りだ」


彼はコンパスを開いた。

針は真上を指している。

北でも南でもない。

空の、そのさらに向こう――

凛の残響が眠る場所。


「行こう」


風が足元で渦を巻いた。

光の粒が道を描く。

それは空へ向かう、もうひとつの回廊。


宵真は一歩、踏み出した。

風がその背を押す。

拍が静かに響く。


短く、短く、長く。

星々がそのリズムで瞬く。

回廊は夜明けの中に溶けていき、

宵真の影は、光の中で薄く笑っていた。


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