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星の案内人 — The Keeper of Starlight   作者: テレン


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第7話 風の止まる丘

夜が明けるよりも早く、宵真は目を覚ました。

いつものように夢は見なかった。

けれど胸の奥に、風の抜けたあとのような空洞の感触が残っていた。


机の上、コンパスが静かに置かれている。

針は北を指していない。

ただ、中心を指していた。

世界のどこでもなく、自分の中の一点。


「……朔」

呼んでも、光は応えなかった。

風の止まる丘で見た彼の声は、

まるで遠い記録のように、宵真の中に埋め込まれているだけだ。




屋台の前に出ると、凛がカップを二つ並べていた。

朝のココアは少し苦い。

宵真は黙ってそれを受け取り、カウンターに背中を預けた。


「眠れた?」

「風の音がしなかった」

「それ、珍しいね。いつも“風で眠る”って言ってたのに」

「風が止まると、星の声も消える」


凛はマグを口に運び、

ゆっくりと息を吐いた。

「でも、それって“終わり”じゃないでしょ?」

宵真は首を振る。

「分からない。朔が残した地図は、もう円を描いた。

 俺の迷いは、たぶん……残り一つだ。」


凛はカップを置いた。

「その“最後の迷い”が、風の止まる丘なの?」

「いや。たぶん、丘の“向こう”だ」




昼過ぎ、二人は街の外れに立っていた。

丘の草は風に倒れず、

空だけが穏やかに流れている。


宵真はコンパスを開いた。

針は動かない。

蓋の裏の星座は、昨日までのような線ではなく、

淡い光の粒だけを散らしている。


「……朔が消えたあと、これだけ残った」

「粒?」

「迷いの欠片かもしれない。

 案内人が道になるとき、全部失うはずだった」


凛はその光を覗き込む。

「なら、これは“失われなかったもの”だね」


風が少し動いた。

コンパスの粒が一つ、凛の指先に移る。

琥珀色の光が、彼女の瞳に映り込む。

そしてその瞬間――


拍が響いた。


短く、長く、短く。

それは、凛の心臓の奥から聞こえた。


宵真は息を止めた。

「……今の拍、俺のじゃない」

「うん。たぶん、“あなたの迷い”が、私の中に移った」


凛の声が、かすかに震えていた。

宵真はコンパスを閉じ、

彼女の手の上にそっと重ねた。


「迷いを預けたら、案内人はどうなる?」

「分からない。

 でも、案内人が“誰かのために道を残す”なら――

 私は、その道を歩けると思う」


凛は微笑んだ。

「つまり今夜は、私の番ってことだね」




日が落ちる。

丘の上、風がふたたび止まった。

宵真と凛は並んで立っていた。


「……風が止まると、星が近いね」

「そうだな」

「ねえ、宵真くん。

 “案内人の終わり”って、悲しいもの?」

「悲しくはない。

 ただ、少し静かになるだけだ」


凛は小さく頷いた。

そして、胸の前で両手を組んだ。

琥珀の粒が掌の中で光る。

風が完全に途絶えた瞬間――

彼女は、ゆっくりと目を閉じた。


「……風よ、道を返して」


その声は、まるで祈りのようだった。

コンパスの針が震える。

蓋の裏の光の粒が一つひとつ線になり、

やがて、凛の姿をかたどる星座を描いた。


宵真の胸が、熱を帯びる。

風が吹かないのに、空気が動いている。

凛の髪が、光の流れに揺れた。


「宵真くん、ありがとう」

「どこへ行く」

「あなたが導いてきた人たちの“残響”のもとへ。

 私は、声をまとめる係だったみたい。

 あの日の星たちを、眠らせる場所に帰す」


宵真は手を伸ばした。

けれど、凛の身体はもう光の輪郭になっていた。

短く、短く、長く。

その拍が、彼女の輪郭を保っていた。


「凛――!」


風が吹いた。

丘の草が一斉に傾く。

その風の中心に、凛の声が微かに響いた。


“宵真くん。迷わないで。”


光が弾ける。

空の中に、新しい星座が浮かんだ。

風の止まる丘の上に描かれた、一対の星。

片方は淡く、もう片方は琥珀に光っている。


宵真はその光を見上げ、

ゆっくりと笑った。


「……そうか。

 案内人は、迷いを手放すためじゃなく、

 迷いを“誰かに託すため”にいたんだな。」


コンパスの蓋を閉じる。

針は、静かに北を指していた。




夜が完全に明ける。

街の空が白んでいく。

丘に立つ宵真の影が、風の中で小さく揺れた。


「行こう」

誰に言うでもなく呟く。

ポケットの中のコンパスは温かい。

その蓋の裏には、

新しい文字が刻まれていた。


──Rin.



宵真は丘を下りる。

夜明けの風が背を押す。

それは、彼の中でまだ眠らない“風”のようだった。


案内人は歩く。

もう星の声は聴こえない。

けれど、風が鳴るたびに、

凛の残響が、やさしく彼を導いていた。

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