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星の案内人 — The Keeper of Starlight   作者: テレン


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第6話 朔の残した地図

朝の光は、まだ夜の匂いを残していた。

コーヒーを注ぐ湯気の上に、

昨日の風の温度が、かすかに揺れている。


宵真は屋台の隅でコンパスを開いた。

針は止まっている。

だが、蓋の裏に浮かんだ星座の線は夜明けの光を受け、

いつもよりくっきりと浮かび上がっていた。


そこには、確かに“人の名”が刻まれていた。

──朔。


「……お前、どうして今になって出てくる」

囁くように問いかけても、光は静かに沈黙を保っている。

凛がコーヒーを差し出した。


「その名前、口に出した瞬間、顔が変わった」

「知ってる顔を思い出せそうで、思い出せない」

「たぶん、“案内人としての最初の夜”が、そこにある」


凛の言葉に、胸の奥がうずく。

眠らない星が消えて、今度は記憶が騒ぎ始めていた。




昼。

宵真は街を離れ、東の丘に向かった。

そこには古い観測所の跡がある。

かつて星を観測していた塔は崩れ、

残ったドームの骨組みだけが、空を見上げていた。


風が抜けるたびに、鉄骨が短く、長く、短くと軋む。

そのリズムに、胸の奥の光が共鳴する。


「……ここだな」


コンパスを開く。

針は動かない。

だが、蓋の裏に描かれた星座の線がゆっくりと形を変えた。

円がひとつ、点が七つ。

それは地図のようだった。


「地図……なのか?」


指先でなぞると、わずかに熱が伝わる。

線は街の外れへ伸びていた。

丘を下り、古い線路跡の先。

その終端に、“記憶の座標”がある。


「朔、お前はまだ案内を続けてるのか」


風が答えるように吹き抜けた。




夕方。

線路跡をたどる。

枕木の一部は錆びた鉄で塞がれている。

だが、ところどころに残る白いペンキの印が、

まるで“過去の案内”のように道を示していた。


宵真は歩きながら、ふと胸の奥で声の欠片を聴いた。


──宵真、迷ったら、空を見ろ。

──北を信じるな。星は嘘をつく。

──だから、風の音で歩け。


風の中の声は、かすかに若い男のものだった。

そして、その声が懐かしかった。


「……朔」


口に出した瞬間、光が応える。

短く、短く、長く。

眠らない星の拍。

しかしそれはもう“星”の拍ではなかった。

朔の拍だった。


宵真は立ち止まり、コンパスを胸に押し当てる。

「お前、まだ俺の中にいたのか」


針が震える。

北でも南でもない、宵真自身の心臓の方向を指していた。




日が落ち、線路の終端に辿り着く。

そこには、崩れかけた小屋があった。

ドアを押すと、空気が埃をまとって流れ出す。

中はひんやりして、古い紙と油の匂いがした。


机の上に、一冊のノート。

表紙には朔の字でこう書かれていた。


『案内人が帰る場所』


宵真はノートを開いた。

中の文字は淡い鉛筆で、ところどころ擦れている。


星を返すたびに、迷いを失う。

迷いが尽きたとき、案内人は“道”になる。


俺はその先を見た。

そこには宵真がいた。

彼はまだ迷っている。

だから、地図を残す。


ページをめくる。

地図の描線が、宵真のコンパスの星座と同じ形だった。

点の一つに、細い文字で記されている。


──“風の止まる場所で待つ”。


「……風が止まる場所」


それは、宵真が何度も拾ってきた“声の帰り道”の中心。

街のどこかにある、まだ行っていない一点。




夜。

屋台に戻ると、凛が待っていた。

「探しに行く顔してたね」

「風が止まる場所、知ってるか?」

「……うん」


彼女の表情に、一瞬の翳りが走った。

「その場所、私も前に行ったことがある。

 でも、覚えてない。帰ってきたら、ひどく泣いたらしいの」


「泣いた?」

「理由もわからないのに。

 宵真くん、そこには“誰かの終わり”がある」


宵真は頷いた。

コンパスを開く。

針は南東へ――

それは、初めて眠らない星を拾った夜の方角だった。


「俺の始まりでもある場所だ」

凛は微かに笑った。

「じゃあ、行こう。

 案内人の終わりが、案内される人の始まりかもしれない」




夜更け。

街の端、風の止まる丘。

草の間から月光が溢れ、遠くの灯が瞬く。

宵真はコンパスを両手で包み、目を閉じた。


「朔。俺はお前を案内したのか?」


返事はない。

だが、風が止まり、光が動いた。

コンパスの蓋がひとりでに開く。

中の星座の線がほどけ、空へ昇る。


夜空の一点に結ばれ、

そこに“朔の声”が現れた。


──よく来たな、宵真。

──迷いを失うな。

──それが、お前の道だから。


宵真は頷いた。

「……お前は、俺を導いてたのか」

──導かれてたのは、俺のほうだ。


その言葉とともに、光が宵真の掌に戻る。

拍が優しく鳴る。

短く、長く、短く。

それは朔の“最後の拍”だった。


「帰ってきたな」

風が再び動く。

草が揺れ、星が静かに瞬く。


凛がそっと肩に手を置いた。

「宵真くん。

 案内人の迷いが尽きたらどうなるか、覚えてる?」

「道になる」

「うん。でも、まだあなたには一つ残ってる」


宵真は笑った。

「それが、君だ」


凛は何も言わず、ただ頷いた。

月の下で、コンパスの光が静かに沈み、

蓋の裏の星座が完全な円を描いた。


それは“帰る地図”ではなく、

“これから歩くための地図”だった。



その夜、風は再び吹き始めた。

街の灯が遠くで滲み、

宵真の掌の中のコンパスは、

もう朔の名前を示していなかった。


代わりに浮かんだひとつの言葉。


──The Keeper of Starlight.


案内する者と、導かれる者。

それは、いつだって同じ道を歩いている。


宵真は風に背を預け、

凛と並んで夜の街へ戻っていった。

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