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星の案内人 — The Keeper of Starlight   作者: テレン


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第2話 失われた寄り道

夜の終わりは、いつも静かに崩れていく。

街灯の光が白くなり、影が柔らかくほどける頃、宵真はまだ眠らない星を胸の内で抱えていた。

コンパスの内側に残る淡い光は、朝に近づくほど強くなる。

普通なら夜明けとともに沈黙するはずの星が、むしろ息を吹き返している。

その拍は相変わらず――短く、短く、長く。

まるで「行きたくない」と駄々をこねる子供のように、宵真の胸を叩いていた。


「帰る場所を知らないわけじゃない。帰りたくないだけだな、お前は」


誰もいない駅前のベンチでつぶやく。

星は答えない。

ただコンパスの蓋の裏で光の線をわずかにずらし、点を一つ増やした。

線と点が少しずつ星座のような形を描き始めている。


宵真は眉を寄せる。

これまでの落ち星は、返した瞬間にその線を消した。

記録を残すのは、案内人の手帳の役割――星座が残るのは異例だ。


「眠らない星、ね」

凛の声が背後からした。

彼女は朝の屋台を畳みかけていた。

制服の上から薄いカーディガンを羽織り、指先で提灯の火をつまんで消す。


「徹夜?」

「案内人は夜勤制だ」

「うちも似たようなもんだよ。甘い夜勤」


凛は笑って、ココアの香りが染みついた布巾で手を拭く。

朝の匂いが街の奥からゆっくり広がる。パン屋、新聞配達、子どもの声。

光が生まれると同時に、夜の仕事は息を潜める。


「ねえ、宵真くん」

「ん?」

「その星、まだ起きてる?」

「ああ。むしろ、朝が近いほど元気だ」

「……もしかしてさ、返す相手が夜の人じゃない?」

「夜の人?」

「うん。昼の側にいられない人。眠らない星って、たぶんそういうのに似てる」


宵真は答えず、コンパスの蓋を指で弾く。

光が覗き、凛の顔を淡く照らした。

その瞬間、星が微かに拍を変えた――短く、長く、長く。

凛が眉を上げる。


「……今の、なんか合図っぽくない?」

「かもしれない」

宵真は立ち上がった。

「昼になる前に、確かめてくる」


「また寄り道?」

「仕事のうちだ」

「仕事のわりに、いつも遠回りだね」


凛の言葉に、宵真はふと笑った。

その笑いが、どこか引っかかる。

“遠回り”という言葉に、胸の奥がざらついた。




街の北側――鉄橋をくぐると、通りが急に静かになる。

倉庫街の片隅、路地の真ん中に古びた交差点があった。

信号機はとっくに壊れていて、車も人も通らない。

だが、白線だけが新しく塗り直されていた。


その上に、小さな花束が置かれている。

包装もカードもない。

ただ黄色い花――凛が言っていた色だ。


宵真は足を止めた。

コンパスを開く。

針は動かず、代わりに蓋の内側で光が小刻みに揺れる。

眠らない星が、ここを覚えている。


(ここで何かが……)


思考の途中で、声がした。


「危ないですよ、そんなところで」


振り返ると、杖をついた老人が立っていた。

顔の皺の奥に、遠くを見るような眼がある。

宵真は軽く会釈する。

「すみません」

「そこ、昔ね、人がよく立ち止まる場所だったんですよ。なぜかね。寄り道の交差点って呼ばれてた」


「寄り道……?」


「まっすぐ行けない人が、いったん呼吸を置く場所。

 今じゃ誰も来ないけど、たまに花が置かれる。

 誰が置くのかは、もう誰も知らない」


宵真は花に視線を落とした。

黄色の花弁の間に、ほんの小さなガラス片が挟まっている。

光が当たると、一瞬だけ星の色を反射した。


「……これを置いたのは、誰かが“寄り道”を覚えていたからか」

老人は静かに笑う。

「寄り道を忘れない人がいるうちは、道は消えませんよ」


言葉の余韻が、風の中で溶けていく。

宵真は蓋を閉じ、胸の前で光の拍を確かめた。

短く、長く、短く。

先ほどまでと違う。再び“息”に戻っている。


「……やっぱり、君はここを探してたんだな」


光が答えるように、蓋の内側の線がひとつ繋がる。

昨日まで点でしかなかった印が、道のかたちになった。

まるで「この道を戻れ」と言うように。




午後、凛の屋台に戻ると、彼女がスツールに座っていた。

「どうだった?」

「寄り道を返してきた」

「寄り道?」

「行くはずだった道を忘れて、迷ったまま残っていた場所だ」


凛は首を傾げ、少し笑う。

「なんか詩みたい」

「案内人は詩人とは違う。どっちかと言えば掃除屋だ」

「でも、誰も気づかない道を拾うんでしょ? それって案内というより――」

「救助かもしれない」


宵真はココアを受け取り、手の中で温度を測った。

眠らない星はまだ沈黙している。

だが、蓋の下の線は少しずつ形を変え、星座のような輪郭を描き始めていた。

凛が覗き込む。


「それ、何かの形?」

「わからない。けど、“寄り道”を返してから動きが変わった」

「つまり、それが成長してる?」

「案内人のコンパスが“育つ”なんて聞いたことがないけどな」


凛は紙コップの縁を指でなぞりながら言った。

「宵真くん。星を返すたびに、迷いを失うんでしょ?」

「そうだ」

「じゃあ、この星が眠らないのは……あなたがまだ迷ってるからじゃない?」


その言葉が、胸の奥で静かに波紋をつくった。

宵真はココアを飲み干し、空になったカップを置く。

「迷いがあるうちは、案内人でいられる。

 でも、いつか尽きたら――」


「案内される番、でしょ?」

凛は優しく言った。

宵真は少し笑い、答えなかった。

蓋の内側で光がひときわ強く瞬いた。


(眠らない星は、俺の迷いを見てるのかもしれない)




夜。

再び風が強くなった。

街の灯りがゆらぎ、コンパスの針がかすかに震える。

蓋を開けると、光の中に淡い影が浮かんでいた。

輪郭も形もない、ただ人の気配だけを残した影。

声がする。


「――まだ、遠回りの途中だよ」


宵真は息を止めた。

聞き覚えのある声だった。

どこで、いつ。思い出せない。

でも胸の奥の“空白”が、やさしく鳴った。


「お前は誰だ」

影は答えない。

代わりに、蓋の中で光がまたひとつ繋がる。

宵真はその線を見つめ、つぶやく。


「……眠らない星。お前は、誰の“寄り道”なんだ」


夜の風が返事の代わりに吹き抜けた。

光の拍が短く、長く、短く、長くと一拍だけ増えた。

その合図は、かつて誰かと交わした別れのリズムに似ていた。


宵真は目を閉じ、静かに笑う。

「いいさ。寄り道の続きなら、付き合ってやる」


光がそれに応えるように、ほんの少しあたたかくなった。

コンパスの中で、星座の線が新しい角をつくる。

“寄り道”はまだ終わっていない。

案内人は、その先を知らないまま、夜の奥へと歩き出した。

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