4.異界遭難者
「失礼します! ユヅルハさん特製ホットチョコレートお持ちしました」
ウィンが元気よくドアを開け室内に入ってくる。アデーレはウィンからホットチョコレートを受け取ると起き上がっているシエラにそっと渡した。
「ありがとうございます」
「ユヅルハの飲み物は落ち着くのには最適ですから。ゆっくり飲んで、まずはあなたのことを聞かせてくれるかしら」
マグカップを受け取ったシエラはこくんと頷いてホットチョコレートに口を付ける。
控えめな甘さとほろ苦さが、ミルクでほどよく調和している。後を少し引くチョコレートの苦みがシエラの意識をぴり、と引き締めた。
「おいしい……」
「気に入っていただけたようで何よりです。お名前の他に教えていただけることはありますか?」
アデーレに聞かれ、シエラは自分が船に乗っていたことと沈没する船から海に投げ出されたことを伝えた。
「なるほど……船が沈没。それは大変でしたね」
「あっという間だったんです。空が曇って、雷が鳴って」
「他に、見たものはありませんでしたか? いつもと空の様子が違っていたとか」
「……そういえば、海に投げ出されたとき、空がおかしくなってたのを見ました。ガラスにヒビが入るみたいに空が割れて、赤い光が見えたんです」
「やはり、そうですか……」
アデーレが深刻そうに納得する姿に、シエラは何が起こったのかを知りたくなる。
「あの。この船は大丈夫だったんですか? 嵐が来ていたなら、揺れだってすごいはずなのに」
起きてから今まで全くといっていい程揺れのない状態にシエラは停泊しているのではと思っていた。だがアデーレの口からは全く考えてもいないことが告げられる。
「今は世界の狭間におりますから、揺れはないですよ」
「世界の狭間?」
聞いたことのない場所だ。言葉はわかるが世界に狭間なんてあるのだろうか。
シエラの様子にアデーレは失礼、と頭を下げて説明をしだす。
「世界の狭間とは、世界と世界の間に当たる無の空間です。あなたはその無の空間に漂っていたのですよ」
「つまり、世界の外……? っていうことですか?」
「大まかに理解するならそういうことです。それと、起き抜けにこのようなことを言うのは酷かも知れませんが、落ち着いて聞いてください」
乗っていた船や乗客のことだろうか。シエラはマグカップをしっかりと抱えて頷く。
アデーレは真剣な眼差しでシエラに言った。
「あなたの住んでいた世界は崩壊し、我がオルテンシア号が発見できた生存者はあなただけです」
始め、何を言われているのかシエラはわからなかった。世界が崩壊した、なんて突拍子もないことだ。
それに世界がもうないことよりも、生存者が自分だけだったことにシエラはショックを受けた。
「じゃあ、あのおじさんも、他の人達も……」
先ほどまで当たり前のようにいた人達がもう帰ってこない。その事実だけでシエラの心は冷たく重くなっていく。
おじさんが握ってくれた手の感触を今さら思い出して、シエラはやりきれなくなった。
黙ってしまったシエラに、アデーレは気の毒そうな顔をする。
「あなたのこれからを思えば、早い内に伝えなければならなかったことなのです。どうか、気を落とさずに」
「はい……」
アデーレに気遣われ、シエラは表面上は大丈夫だと返事をする。だが明らかに気落ちした声音までは隠せなかった。
ホットチョコレートを飲む気にもなれず、ただ両手の中でマグカップがぬるくなっていくのをシエラは感じていた。
「これから私、どうすれば……」
突然帰るところがなくなって、知らない場所で目覚めて、シエラは何をどうすればいいのかまるでわからない。心細くてどうしようもない。
アデーレがシエラを気遣うように言った。
「あなたを保護した以上、私はあなたが安全に暮らせるように取り計らう義務があります。具体的にどうするかは、少し複雑な話になりますが」
「ありがとうございます。お心遣いだけでも嬉しいです」
シエラはマグカップを抱えたまま表面上は平気なふりをしてアデーレに礼を述べる。
「当然のことをしているまでですよ。とりあえずは、落ち着くまでゆっくりしていってください」
アデーレの言葉に頷き、シエラはぬるくなったホットチョコレートを口にする。
先ほどはちょうど良かった味わいも、今のシエラの気持ちに引っ張られてか苦味が強く残る感覚がした。
一方、オルテンシア号スタッフルームでは。
「生存者の女の子、目を覚ましたんだね」
ソファに座っていたクロードがメガネの奥の瞳を細めてウィンを見た。ホットチョコレートを持っていった後、ウィンはクロードやエーヴェルのいるスタッフルームに戻っていた。
長いソファ一つとローテーブル、壁にロッカーが並ぶ様は少し窮屈だ。しかしウィンとクロード、そしてエーヴェルは慣れた様子で三人集まっている。
「うん。あの子のいた世界は壊れちゃったけど、でもあの子だけでも助かってよかったよ〜」
「そういうもんかね。目が覚めたら帰る場所もなくひとりぼっちだぞ? その後を考えたら気の毒だとは思うけどな」
エーヴェルが少し棘のあることを言うが、その横でクロードは首を傾げた。
「でも、命あってのとも言うでしょ。助かった命にまずはよかったって思わなきゃ」
「でもな〜……」
どことなく歯切れの悪いエーヴェルをなだめながら、クロードはウィンに尋ねる。
「あの子、他に何か言ったりはしてなかった? お腹がすいたとか、何か食べたいものがあるとか」
「うーん、目が覚めたばっかりだったから、そういうのはなかったかな。てか目が覚めてすぐにそれってめちゃくちゃ食いしん坊じゃん」
「せっかく助かったんだからおいしいもの食べさせてあげたいなって思ってるだけだよ」
「シェフは違うなぁ」
ウィンがロッカーに背中をもたれながら言えば、エーヴェルが難しそうな顔をして考えこむ。
「だが、異界遭難者だろ? こっちで救助したからフォレシア管轄になるが、届出から保護施設までの手続き、結構面倒だぞ。帰還申請もできないし」
「そこはアデーレがなんとかしてくれると思うよ。そういう作業は得意分野だから」
腕組みをするエーヴェルの横で、クロードがいつもの調子でニコニコと笑ってみせる。
と、スタッフルームの上に取り付けられたベルが軽やかに鳴った。
「お、また支配人が呼んでるみたい。行ってくるね!」
ウィンがぴょんと飛び跳ねるようにして立ち、パタパタとスタッフルームを出ていく。
ソファに座ったままのクロードとエーヴェルが、並んで手を振ってウィンを見送った。




