9-10 どこでもない場所
訓練? と首を傾げるウィリアムにエーヴェルは続ける。
「人と関わるなら、必ず言葉をかわす必要が出てくるだろう? その時に思ってることをちゃんと言えるというのは、とても大事なことになる。わかるかな」
「えっと、なんとなくですけど、わかる気がします」
「そういう必要なことをする機会からは、逃げないこと」
「じゃあ、逆に逃げてもいい時もあるってことですか?」
逃げたらいけない時もあるなら、逃げてもいい時もある。逃げていい時とはどんな時なのだろう。ウィリアムはエーヴェルに聞いてみた。
「それは、自分を削るようなことをされる時かな」
「あ、わかるわかる。ずーっといじめられてるのに逃げないでいることとかでしょ」
ウィンは覚えがあるようでひょいと手をあげて答えた。エーヴェルはそれに首肯し話を続ける。
「自分を悪くしてしまうときっていうのは、遠慮なく逃げてしまっていいんだ。例えば、君の場合。からかっている連中に嫌だというのはした方がいいが、それで万一いじめられたり状況が悪化したなら、遠慮なく逃げればいい。辛くなってしまったり、悪い方に落ちていったりすることからは逃げるんだ」
「そうなんだ。ずっと立ち向かわないといけないって言われてるみたいだったのに」
最後まで戦うべきだなんて言われてるような気持ちだったのに、そんな風に逃げるのもありだと示されてウィリアムは少し気持ちが軽くなった。それを見てウィンも付け足すように言った。
「クロードたちも言ってたでしょ、どうしようもならなかったら逃げていいって」
「うん。それはそうだけど、そういう意味だったんだって今気づいたよ」
全部に立ち向かわなくても、必要な時に立ち向かって、そうじゃないなら逃げてもいい。それを示されるだけで、なんだかウィリアムは大丈夫だという気持ちになってきた。
「少し、大丈夫な気持ちになってきたかも」
「お、だとしたらいい兆候だな」
「よかったあ。なんだ、エーヴェルだってやればできるじゃない」
「一応お前よりは人生経験あるからな」
「なによ〜」
得意げにするエーヴェルにまたぺし、とウィンが蹴りをかます。その様子がやっぱりおかしくて、ウィリアムはくすくすと笑った。
「引き返したい?」
支配人室、アデーレの前でウィリアムはそう言った。ウィンとエーヴェルも付き添っている。
「もう出航してしまいましたからね、目的地に到着するまでもうしばらくお待ちいただきたいのですが」
困ったようにいうアデーレに、ウィリアムが尋ねる。
「その、目的地ってどこなんですか? どこでもない場所って結局どこなんですか?」
「出発地点です」
「ってことは、フォレシア?!」
短くはっきりと答えるアデーレに、ウィンが驚いて飛び上がる。
「そっか、お前子供だけ乗る時のこと教えてなかったんだったな」
「それって、どういうことですか?」
ウィリアムもわからない、と首を傾げると、アデーレがふむと頷いて話し出す。
「子供だけで搭乗なさる場合は、フォレシア近郊を周回する遊覧飛行のみが対象となりますので、どこにも行かないのですよ」
「えっ、どこにもいかないってそういう意味?」
「そうよウィン。どこかに連れていくつもりもない分、空の旅を楽しんでもらおうっていう腹づもりなの。それより、誰かに正体を見破られたみたいね」
「あっ、こ、これは……その……」
小さな体をさらに縮こめてウィンは申し訳なさそうにする。アデーレはため息をついてウィンに言った。
「どういう経緯かは聞かないでおくけど、業務に支障がでないようにしておきなさい? エーヴェルは、ウィンのことについて何かある?」
「何か、というか、さもありなんってとこだな。まあ、ちんちくりんには変わりないだろ」
「ぐぇ〜……」
すっかりしょげてぺたんとウィリアムの肩に座り込むウィンに、アデーレはちょんちょんと頭を撫でつつ言った。
「まあ、妖精だからといって困ることがあるわけではないんだし、この際みんなに言ってみたらどうかしら」
「ウィン、そうしなよ。僕だって逃げないって決めたんだから、ウィンも頑張ろうよ」
「うっ、励まそうと思ってた子に励まされるとは……」
ウィンは少しの間しょぼくれていたが、やがてぴょんとウィリアムの肩から飛び上がって宙に舞った。
「エーヴェルにもバレちゃったことだし、もうあたしも腹括ろっか! クロードとユヅルハさんのところいってきます!」
そして返事も聞かずに一気に支配人室を出ていってしまった。残された三人はそれを見送った後、顔を見合わせて笑う。
「にしても、どこでもない場所なんてよく言いましたね、支配人。遊覧飛行って言えばよかったのに」
エーヴェルの言葉にふっと笑い、アデーレはウィリアムを見やって言った。
「結局のところ、立ち向かえる人はちゃんと立ち向かうものですから。どんなに逃げようとしていても」




