1-9 ご利用ありがとうございました
最初にジャンプして、それから重力に引っ張られ落ちる時間。夏美はバンジージャンプでもしたかのように空の下へ落ちていく。
「うひゃああ〜!」
必死に落ちながら翼をばたつかせると、ある一瞬風を受けた翼がふわりと浮力を得て夏美を浮かせた。
その感覚がなくならないうちに、夏美は何度も翼を動かしてその浮力の波についていく。
やがて浮力を掴むコツも覚え、ぱたぱたと翼をはためかせながら夏美は空中でホバリングができるようになる。ふわふわと浮かぶことができたら、次は風に乗るイメージをもって翼をはためかせれば、行きたい方向に風に乗って飛ぶことができた。
「すごい、ほんとに飛べてる!」
空を飛ぶなんて今までありえない想像だったのに、こうもあっさり飛べてしまうなんて夏美は意外だった。同時に夏美は空を飛ぶ楽しさに夢中になってしまう。
「こんなに簡単に空ってとべるんだ……」
一人呟きながら夏美は翼を動かして空を飛ぶ。少し慣れてきてある程度自由に飛び回れるようになると、オルテンシア号を離れて少し他の場所を見てみたくなった。
離れた位置からオルテンシア号を見やると、船体はそれほど大きくなく、上には大きな鯨のような機械が繋がれていた。まるで機械の鯨がオルテンシア号という船を運んでいるかのようにも見える。
そこからさらに離れて、夏美は近くの浮島に飛んでいってみる。
浮島は公園ほどの大きさで、不思議なことに小さな街灯がひとつたっていた。夏美はその浮島に降り立ってみて、街灯の近くまで歩いていけば、そばにポツンとベンチも置かれていることに気づく。
なんとはなしに夏美はそのベンチに腰掛けてオルテンシア号の方を見やる。
いつの間にか日差しは夕暮れに近い色になっており、空気も少し冷たくなっていた。シャボン玉は相変わらずちらほらとあちこちに待っていて、吹いてくる風が心地よい。
ベンチに腰掛けたまま夏美はぼんやりとしていたが、やがて背伸びをして背中をベンチに預けた。
「そういえば、最近こんなふうに景色を眺めたことってなかったな……」
どこまでも遠く広がる空と、たくさんの浮島。不思議と夏美の心は穏やかに安らいでいく。見たことのない景色を眺めては、夏美はため息をつく。
だが、不思議と思考廃棄物は出なかった。どうしてかはわからないが、こうしていると心が落ち着いているのも確かだ。気持ちが穏やかなせいだろうか。
情報海からの短い旅だったが、不思議なことの連続で夏美は楽しかった。わからないことも多かったが、それでよかったのかもしれない。無理にわからなくてもいいことだってある、そんな気がしたからだった。
そう思うと自然と気持ちも落ち着いてリラックスしてきたように感じる。
「なんだか来てよかったかも」
SNSでの疲労なんて今は全然感じていなくて、想像して飛び回ったことがこんなにも頭をすっきりさせてくれるなんて夏美は思ってもみなかった。
街灯がちかちかと瞬いて光り出す。夕暮れはそろそろ黄昏に変わる頃で、早く戻らないとオルテンシア号を見失ってしまうかもしれない。
「早く戻らなくちゃ……でも、楽しかったな」
夏美は翼を広げて大きく羽ばたかせる。コツを掴んだおかげで先ほよりずっと簡単な動作で飛び立てた。その勢いのまま、オルテンシア号がいた辺りまで飛んでいく。見失うかも、と心配はしたものの、オルテンシア号はずっとその場で浮いていて夏美の帰りを待っていた。デッキにはアデーレがいて、夏美に向かって大きく手を振っている。
「アデーレさーん!」
夏美も手を振りながらアデーレに応える。
デッキに降り立ってぱさ、と翼をたたむと、自然と翼は消えて無くなってしまった。
「おかえりなさいませ、お客様。空を飛んでの感想はいかがでしたか?」
夏美ははにかみながら頷いて答える。
「すごく気持ちがすっきりしました。羽を伸ばす、って実際に羽を伸ばしてやるの正直ちょっとバカバカしく思ってたんですけど、実際はすごく楽しくて、気持ちも落ち着いて……」
「では、それをよくよく覚えて、楽しみになさると良いかと思います。頭は使ってこそですから。入れるばかりでなく出すことも大切なことですよ」
「そうですね、ずっと何か見てて、私頭が鈍ってたのかもしれないです」
「お客様の表情が先ほどより明るくなられていることが、何よりの証拠だと思いますよ」
「そうですか? なんだか恥ずかしいな……」
照れくさそうにする夏美だったが、不意にふらりと立ちくらみがした。
アデーレに支えられ、転ぶことはなかったが視界はどんどん暗くなっていく。
「あれ……疲れたのかな……?」
意識もぼんやりしてくる夏美に、アデーレは微笑みながら伝えた。
「そろそろお時間のようです。この度はラピエス旅行社をご利用いただき、ありがとうございました。またのご利用を、お待ちしております」




