8-4 とある失恋の話
「ユヅルハさん。あなた、空の色が青いのはどうしてだと思う?」
そしてシェリーはいたずらっぽくユヅルハに問いかける。ユヅルハはふむ、と一つ頷いた後、答えた。
「青くあってほしいから、青いのでしょう。青く見たいと私たちが思うから、空は青い。そうだと思いますが」
ユヅルハの答えを聞いて、ふふ、とシェリーは笑う。
「あの人もそんなことを言っていたわ。でも結構とんちがきいていたり変な視点からものを見たりして、面白かったのよね」
「ちなみに、その方はなんと?」
ユヅルハがシェリーに聞くと、シェリーはくすりと笑って言った。
「自分が思うことも好きだけど、それ以上に私がなぜ青く見えるのか聞きたい、ですって。肝心なところで答えないの、あの人のいいところだし、悪いところでもあったわ」
炭酸の抜けたミモザを傾けながら、シェリーは続ける。
その人の不思議なところに惹かれ、モデルとして交流するだけでなく、プライベートでもシェリーはその人と付き合うようになっていった。
自分の働いている食堂に連れていったり、美術館に誘ったり、友達のように過ごした後、その人から告白された。
もちろん、シェリーに断る理由はなかった。
付き合ってから、シェリーとその恋人はずっと親しく過ごした。誕生日を祝い、暦の上での行事も祝い、いつも一緒に過ごすようになっていた。
「楽しかったわ、毎日お祭りみたいで。朝起きるとあの人がおはようって言ってくれるの。好きな人がいるって気持ちだけで心が温かくなったけれど、そこできっと浮かれていたのね。私も、誰かと付き合うなんて始めてだったから」
「ほう……?」
ユヅルハの相槌に答えるように、シェリーは困ったように笑ってみせた。
「簡単な話よ。私よりあの人の方が、ずっと大人だったってこと」
不思議なことを言うようで、その人はシェリーよりずっと大人だった。成熟していた。
「私が何かあるたびに諭してきてくれてね、こうじゃないか、ああじゃないかって。なんだか年下に見られてるみたいで、なんでも私が幼いせいだからかなって、悩むようになったの」
その人にとって当たり前に思うことで、自分がつまづいている。それがなんだかひどく恥ずかしく思えてしまったのだ。だんだんそうではないと虚勢を張るようになったシェリーは、なんとかその人に同調するよう努め出した。
だが、それだってその人からは幼稚に見えたのだろう。
「私の機嫌ばかり取らなくていいよ」
「そんなつもりじゃないわ。私、あなたに見合うようになりたくて」
「私の言葉に無理に同調しなくても、あなたはあなたの考えを言葉にすればいいんだよ。もし私と食い違ってたら、そこはいうから」
「それじゃあ、私の思考をあなたに矯正されてるのと変わらないじゃない。私の言葉より、あなたの思うようなこと話す私の方がいいんでしょ、あなたは!」
かっとなってそれだけ言って、その日は喧嘩別れしてしまった。
それから二人の関係はギクシャクし出して、二人で遊びにいくことも食堂でごはんを食べることもなくなっていた。
「その頃からうまく絵も描けなくなって、続けてはいたけど作品は作れずにいたの」
カウンターに肘をついてシェリーは言う。
「それに、なんだか私は何を考えたいのかとか、あの人とどうして一緒にいたいのかよくわからなくなってきてね」
「長くいれば関係とて移ろいゆくもの、あなたとその方もきっと今の形では合わなくなってきたのでしょう」
「そうね。だからかもしれない。あの人が最近私に内緒で何かコソコソしてたのも見たのよ」
「隠し事でしょうか?」
「わからないわ、でもあの人はあの人のやりたいことをしようとしている。それを見てしまったような気がしたのよ」
だから、とシェリーは言う。
「私の存在が枷になっているなら、離れてしまおうって思ったの。あの人はあの人でもっとふさわしい場所で活躍するべきで、いつまでもこんな売れない絵描きに囚われているなんてよくないもの」
そして、出会って三年目の秋の日に、別れようと切り出したのだ。
「あの人ったら、別れよう、って言った時に、何も聞かずに今までありがとう、ごめんねってだけ言ったのよ」
自分に恨み言を言うでもなく、引き留めるでもなく。ただ、今までの時間への感謝ゃと、至らなかった部分への謝罪を述べられた。
そこまで大人だったのか、それとも対等に付き合えなかったのか。シェリーは今もわからない。あの人とはその日以来会っていないし、別れるとあまりにもすんなり決まったことに、しばらくは泣き出すこともできずにいた。
自分から別れを切り出したのに、後悔がやまない。もっと自分ができたことはなかったか、もっと自分が良くなれることはなかったか。そんな反省ばかりがシェリーの頭の中を飛び交った。
終わってしまえばあの人への恨みや不満よりも、自分の至らなさやもっと一緒にしたかったことや心残りばかりが思い浮かんでくる。
きっと、とシェリーは言った。
「大切だったのよ、あの人との時間が。無くしてしまった自分が馬鹿だなあ、って今頃になって実感して、ほんとに、ばかだなって……」
シェリーの声が震え、瞼を伏せる。ぽろぽろと落ちる雫にユヅルハは動じることもなく、ただ静かにハンカチをカウンターに添えた。




