8-2 空の果てまで
「なら、空の果てあたりに向かえばいいんじゃないかね」
レアはアデーレに言うと操舵室の地図を見やる。
「フォレシアの空の果てまで行って、そこから丘の国あたりを巡ってくる航路。そんな感じで動いてれば考える時間にゃ十分じゃないかい?」
東の空の果てには、ネトゥシフォーナ大陸がある。大きな平野部が特徴の丘の国まで往復している間に行き先は決まるだろう、とレアは踏んでいるらしかった。
「なるほど、そこから世界の狭間には入れるかしら」
「海に出る必要はあるけど、大丈夫さね」
「なら、第一航路はそれにしてちょうだい」
「あいよ」
レアと航路を決めたあと、オルテンシア号はシェリーを乗せて出航する。
アデーレがシェリーに挨拶しに行けば、シェリーは客室でぼんやり外を眺めていた。
「お客様」
「あら、社長さん。ご挨拶?」
「ええ。今はこの船の支配人でございます。どうぞお好きにお呼びください」
「船なのに支配人って変わってるわね、だからあなたの旅行社を選んだのかも」
「恐縮です」
アデーレがお辞儀をして部屋の外に控えているウィンを呼び出した。
「船内サービスにつきましては、ルームサービスのウィンからご説明いたします。どうぞごゆるりと」
そしてアデーレはウィンと交代すると、ウィンにその場を任せて支配人室に行ってしまった。
「先ほど支配人よりご紹介に預かりましたルームサービスのウィンと申します」
ウィンが代わりに部屋に入ってシェリーに挨拶をする。お辞儀した後、ウィンは慣れた調子でルームサービスについて説明をしていった。
「船首部分には展望室を兼ねたラウンジもございます。常設でバーもございますので、よろしければどうぞおくつろぎくださいませ」
最後に展望室の説明を済ませると、ごゆっくりどうぞ、とウィンは挨拶して客室を後にする。
残されたシェリーは航路を聞いてぼんやりとしていた目がはっきりしてきた。
「空の果てか……端っこまでいったら、どんな気分になるだろう……」
あの日からまだそう時間が経っていないのに、とても昔のことのようにも思えるし、逆に昨日の今日のようにすぐだったとも感じる。まだ、気持ちが受け止めきれてないのかもしれない。
話し相手を頼めるサービスもあったが、シェリーにはそれを頼む勇気はなかった。無理にこちらの愚痴や悩みを聞かせても、負担にしかならないような気がするからだ。
「ずっと空を飛ぶって言ってたし、展望室にでも行こうかしら……」
一人で思い悩むのも疲れてきて、気分転換をしにシェリーは展望室に行くことにした。
ホテルの廊下のようなカーペットの敷かれた廊下を歩き、展望室のドアを開ける。そこはガラス張りの空間で、バーカウンターが中央に設られている。そこには長身の男性がグラスを磨いており、まだ昼間だというのに落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
「おや、お客様でしょうか」
その男性は丁寧な低い声で、シェリーに声をかける。シェリーが軽く会釈をすれば、男性はカウンターの席を勧めてきた。
「どうぞ、私はここのバーテンダーを任されておりますユヅルハと申します」
「シェリーよ。突然来ちゃってごめんなさいね」
「いえ、お構いなく」
シェリーは軽く挨拶してから席に着くと、ユヅルハに早速注文をする。
「ミモザ、いただけるかしら」
「かしこまりました」
早速カクテルを作るためにユヅルハがバックバーに向かう。自分のためにカクテルが作られる様をシェリーは黙って眺めていた。
「ミモザです」
「ありがとう」
淡いオレンジ色のカクテルをカウンターに置かれ、シェリーは早速それを手に取った。
一口飲めばシャンパンの味わいをオレンジジュースでまろやかにした甘い味が口内に広がる。喉を弾けていく炭酸の具合もちょうど良く、心地よいくらいだ。
「おいしいわ」
「ありがとうございます」
もう一口、二口飲んだ後、会話も続かずにシェリーはまたぼんやりと展望室の窓を見やる。ゆったりと飛ぶオルテンシア号は雲が散りばめられた空と深い青色の海の狭間を進んでいる。少し夜を含んだような海の色はフォレシア特有のものだ。ネトゥシフォーナの内海は透き通った青色だから、同じ海だというのにまるで使った絵の具が違ったような印象すらある。
空の色だって、白みがかった色から海の色を写したような強い青色にもなる。この風景も、描けたのならと思うと、筆を取りたくなる一方で重い気持ちがのしかかってくる。
「……失礼かとは思いますが、何かお悩みごとがある様子」
「やっぱり、わかるのかしら」
「空を見て思い悩むのは、悩みの常と言えまして」
だったら、とシェリーはユヅルハに顔を向ける。
「聞いてもらえないかしら? 大した話ではないのだけれど」
「あなたにとって大事な話であるのならば、他者が軽んじるべきではないでしょう。ですが、私はあくまでバーテンダー。お話しされるのもなさいませんのもお任せいたします」
ユヅルハの言葉にそう、とシェリーは答える。
「じゃあ、いつか私が大したことないって思えるように、聞いてもらおうかしら。いえ、とてもよくある悩み……失恋の話よ」




