9.女神とアルカ
虹の門をくぐり、二人は神殿の中に入る。ちょうど王様の謁見室のように、神殿の一番奥に大きな長椅子がある。
その長椅子に女神はしなだれ、涙を流していた。
神様なんて礼拝の時の話でしか聞いたことがないのに、目の前にいるのは別の世界の神様だ。シエラは緊張しながらも女神の姿を見やる。
線の細い、儚げな女性だった。ゆったりした純白のドレスを纏った女神は、美しい銀髪を乱したままに同じ銀色の瞳を潤ませている。
まるで、雲の隙間から差し込む光の色を見ているようだった。
息を呑む二人に、女神は手招きする。
「こちらへ。ごめんなさいね、こんな姿を見せて」
「……い、いえ! 失礼します」
見とれていたシエラは、ハッとして女神の側まで歩み寄る。デニスも同じで、女神に目を奪われつつも当初の目的は忘れていないようだ。
「それで、一体どんなことがあったんですか?」
デニスが改めて聞くと、女神はぽつぽつと二人に語って聞かせる。
「大好きなアルカと、喧嘩別れしてしまったの」
涙ながらに語る女神に、シエラが聞く。
「アルカさん……大切な方なんですか?」
女神は頷いて答えた。
「大切な友達よ。ずっと一緒にいて、仲良しだったの」
友人のアルカは精霊で、雨上がりに女神の架ける虹を美しい七色に染め上げるのが仕事だったそうだ。
女神はアルカをとても気に入って、いつも一緒にいるほど仲がよかった。
女神の虹にアルカが色を付ける。そして美しく虹が架かる。それを二人してとても喜んでいたと。
だが、長い間一緒にいた。寿命のせいか、アルカの力が衰えていった。そう女神は言う。
「日に日に虹の色が褪せてきていたの。だから、もう休んでいいのよって言ったの。苦しんでほしくなくて、もっと長く一緒にいたくて」
そしてあるとき、我慢できずにもう手伝わなくていいと言ってしまった。アルカは怒ってしまい、それきり姿を現さなくなった。
「そうしたら、他の精霊の言伝で、アルカが消えてしまったと聞いたの。精霊だもの、女神の私よりずっと力なんてないから、私のせいで……」
さながら火の灯ったロウソクを吹き消してしまったように、アルカは霧散してしまったというのだ。
アルカを失ってしまった女神は悲しみから虹を架けることができず、その涙が雨となって下の国に降り注いでいる。
女神は、ひとしきり話すと、またぽろぽろと涙をこぼす。
意図せず精霊の友人を消してしまったことをひどく女神は悔いていた。そして、それを悲しみ雨を降らせていたのだ。
「そんな事が……」
「こんな風にいなくなって、本当は大好きな友達だったのに……!」
女神はまた泣き出し、雨の気配が強まる。
シエラは、大事な誰かを亡くしてしまった女神にデニスが重なって見えてしまう。原因こそ違えど二人とも別れを悔やんでいる。
大切な人にろくな言葉も交わせなかった思いなら、シエラにだってあった。あの船で会ったおじさんにも、孤児院のみんなにも何も言えなかった。
突然断ち切られるように全てが終わってしまった。だから、何も言えなかった苦しさがよくわかる。
「女神様。私は女神様じゃないから、大切なお友達のことはよくわかりません。でも、女神様が何も言えないままお別れになった悲しみは、わかるつもりです」
シエラは女神を気遣いながらも自分の気持ちを言葉にしていく。
「さよならなんて言うわけないと思ってたのに……ちゃんと大好きだって、言えてもないのに……」
言いたいことも、言えないことも、たくさんあったのだろう。後悔の滲む女神に、シエラは続ける。
「私も大切な人達を亡くして、その時に何も言えなかったんです。さよならも、大好きだよだっていうことも、言えなかった」
自分のことと重なると、胸が少しずつ熱くなってくる。こみ上げてくるものを抑えながら、シエラは言った。
「だから、笑っていよう、って思ったんです。亡くした悲しみで思い出を閉じるんじゃなくて、大切な人達との時間は幸せだったって思い返せるように」
シエラは隣のデニスの顔を見やる。
「隣の彼……デニスも、そうです。大切な友達と、会えなくなっても元気でいてほしいって願っている。
もう会えなくても、その人への思いを温かいものにはできるはずなんです」
「シエラさん……」
デニスが声を漏らす中、女神がぐずったまま反論する。
「でも、アルカはもういないのよ。私のせいで消えてしまった、私がひどいことを言ったから……」
「そんな、それは違います!」
デニスが女神の言葉を遮った。
「女神様は、アルカさんを大事に思っていたんでしょう? アルカさんにいてほしかったから、無理しないでほしいって思ってたんじゃないですか。
だから、消えたのは絶対に女神様のせいじゃないんです。僕がアルカさんだとしたら、あなたには自分を責めてほしくないって思います」
「でも、私……そうでもしないと悲しくて……! もう会えないのに、声だって聞けないのに!」
「女神様!」
シエラが訴える。
「あなたが悲しいのも、もう会えないアルカさんのことを思うのもわかります。もう会えないことがずっとつきまとってくるのだって」
それでも、シエラは訴えたい。女神に、自分に。
「いなくなってしまった人の気持ちは、もうわかりません。変えられないって、辛いけど私もそう思います。
でも、私の……あなたの気持ちは、きっと変えられるって思います。
大切な人と過ごした時間が楽しかった、幸せだったって言えるように、別れを悲しい気持ちで閉じたくなんて、私はしたくないから」
あのとき、確かに楽しかった。嬉しかった、希望を持てた。その時の思い出をいつも思い出せるように、悲しみに心を浸すより、温かな思い出の日差しを懐かしみたい。
「だから、少しずつでいいんです。女神様、アルカさんと会えてよかったって、思うようにしてみてもらえませんか」
シエラの言葉に女神は黙りこくる。涙を拭っては俯き、しかし、それでも前を向こうと顔を上げる。
そして、言った。




