8.女神の神殿
シエラとデニスがオルテンシア号に戻ると、なにやらエーヴェルが忙しそうに立ち働いていた。
「お、シエラちゃんにお客様か。三十分後には離陸するから、シエラちゃんはお客様を客室にお連れしてくれ」
「え、どういうことですか?」
突然離陸することを告げられ、シエラは目を白黒させる。エーヴェルは乗降口から二人を乗せると、手早くハッチを閉めた。
「詳しくは支配人から、だそうだ。お客様をお連れした後客室で今後についての話があるらしい。何をどうするかは、今は俺より君たちの方が詳しいんじゃないか?」
早口でエーヴェルは説明した後、シエラに目配せで客室にデニスを連れていくよう促した。
「ってことは、女神様との交渉が……!」
シエラは目を輝かせて、デニスを客室に連れていく。客室についた後、シエラはデニスに言った。
「たぶん、支配人が女神様との交渉を取り付けてくれたかもしれないです!」
「本当ですか?」
嬉々として伝えるシエラに、デニスも目を丸くする。
そこにタイミングよくアデーレが訪れてきた。
「お客様、並びに乗務員シエラ。交渉の手筈が整いましたのでただいまからイリスの女神の拠点、虹の神殿へと本船は向かいます」
「オルテンシア号で虹の神殿へ?」
シエラの疑問に、ええ、とアデーレは頷く。
「本船はそもそもが飛行船ですからね。大虹橋が使えずとも神殿へ行くことは可能なのですよ」
「あ、そういえばそうだった……」
異世界間を航行できることばかりに気を取られて、オルテンシア号が飛行船であることを失念していたシエラは、少し恥ずかしくなってしまう。
「でも、女神様は神殿にこもっていると街の人から聞きました。神殿に入れないのに、どうやって交渉するんですか?」
「神殿に入らずとも、声は届けられるはずですよ。どう届けるかは、あなたたち次第ではありますが」
デニスの問いにアデーレはあっさりと答えてしまう。
「オルテンシア号が行けるのは神殿の前までです。神殿前であなたたちを降ろしますから、そこからの交渉はお任せします」
そう言ってアデーレは踵を返して部屋から出ていってしまう。残されたシエラとデニスはお互い顔を見合わせた。
「つまり、連れていってはくれるけど後は自分たちで何とかしろ……ってことだよね」
「そう、ですね。でもせっかくお話できるようになるんですから、何もできないよりはずっといいですよ!」
だが、シエラは前向きにデニスを励ます。自分だってどう交渉すればいいかわからないが、少しでも虹を架けられる可能性があるなら、それに賭けたいと思ったのだ。
「ありがとう。なんだか君がいるとできるような気がしてきたよ」
シエラの熱に当てられたのかデニスも微笑みながら言った。
オルテンシア号が出航し、雨雲の上を突き抜けていく。雲の中はもやもやとしていて、四方八方から雨が吹き付けてきていた。
その様子をシエラとデニスは廊下の窓から眺める。
虹の国の最上部、大虹橋の頂から行けるとされる虹の神殿は雲の上にあった。
壮麗な柱に囲まれた神殿は大きな門が設えられ、神が住むに相応しい威厳と佇まいを備えていた。
門は固く閉ざされ、誰にも会いたくないとばかりに頑なだ。
神殿は雲の上にあり、ここは下の街とは違いからりと晴れ渡っている。
オルテンシア号の乗降口から降りてきたシエラとデニスは、雲の上に立つ。神殿も雲の上に建っているが、人間も雲の上に立てるようである。
ふわふわとしつつも落ちない感触にしきりにシエラは足元を確認する。
「本当に、雲の上に立ってる……」
「支配人さんがお手伝いしてくれるのはここまで、ですよね。シエラさん、行きましょう」
デニスは覚悟を決めたのかぐっと拳を握りしめて門の方へ歩き出す。シエラもその後に続き、ゆっくりと門の前に立った。
虹を象った装飾が施された門は、鈍色をして、どうやっても人間の力だけでは開けられそうにないのがわかる。
「やっぱり、呼びかけるしかないよね」
そうシエラは呟くと、大きな声で門の向こうに声をかけた。
「女神様! いらっしゃいますか!」
だが、扉の向こうから答えるものはいない。それでも、シエラは構わず呼び続ける。
「女神様! どうかお答えください!」
シエラの呼びかけに、デニスも呼応して一緒に呼びかける。
「どうか僕たちの話を聞いてください、お願いします!」
二人で呼びかけていると、やがて扉の向こうから透き通った女性の声が聞こえてきた。
「あなたたちは誰……?」
女神様かもしれない、とシエラはデニスと顔を合わせると、その声に応える。
「私達、女神様に虹を架けてほしくて来たんです。どうか聞いてくださいませんか?」
少し間を置いた後、透き通った声は答えた。
「私のことは放っておいて……誰とも話したくないの」
「でも……!」
「あなたたちも下の人達みたいに雨を止ませてっていうんでしょう? 無理よ、そんなこと……だって……」
女神の声は涙ぐんでいた。それだけで、シエラは女神が泣いていることに気付く。
「女神様。あなたに一体何があったのか、教えてくださいませんか?」
シエラの問いに、女神はしばらくすすり泣くような声を上げた。
「話を聞いてくれるの?」
女神の問い返しに、デニスが答える。
「ずっと塞ぎ込むより、誰かに話した方が楽になれるときもあるんです。無理にとは言いません、でも話すことで変わることもあると思うんです。
僕は、それを隣にいるシエラさんから教えてもらったから……!」
だから話してほしい、そうデニスは説得する。
「お願いします、もし困っているなら、あなたの助けにだってなりたいんです!」
シエラも頭を下げて女神に頼み込む。
女神はしばし黙っていたが、やがておずおずと声に出す。
「下の人達とは違うようだし、そんなに言うなら、聞いてもらえる?」
シエラとデニスは顔を見合わせて表情を明るくする。
「はい、もちろんです!」
二人の答えが重なる。
「そう……ありがとう。優しいのね」
涙声のまま、女神は続ける。
「……入って。お話するなら、ちゃんと顔を合わせてしたいもの」
そして、虹の門が開かれた。




