4.コテージパイと語らい
おじさんに言われた時、旅とは楽しむためのものだとシエラは勝手に思い込んでいた。
だから、デニスのように浮かない顔をしている人には、旅を楽しんでほしいと思っていたのだ。
だが、それは大きな間違いだった。
デニスは飼い犬レオの弔いのためにこのオルテンシア号に乗り込んだ。
決して楽しむための旅ではなく、むしろ悲しみを抱えて旅をすることと言っていい。
そんな旅があることだって、シエラは知らなかった。
いろんな事情を抱えたお客が乗る。
そう言ったエーヴェルの言葉を思い返し、シエラはきゅっと手を握りしめた。
エーヴェルの言った通りだ。楽しむ一辺倒だけが旅ではないことを思い知らされ、シエラは自分の考えの浅さを恥じた。
そして、せめて、虹の国で望んだ通りに弔いができるよう、シエラは祈ることにした。
別れは唐突に訪れるものだ。シエラだって、そうだった。船が雷で裂かれ、世界が壊れてしまったあの時。
その時まで、自分の住んでいる世界は当たり前のように続いて、終わりなんてこないと思っていた。
魔法学校に行って、自分のやりたいこともわからないまま、一生を過ごしたのかもしれない。
「お別れも何も、あったもんじゃなかったよね」
その当たり前に続くだろう生活が壊れてしまった今、シエラは誰にもさよならを言っていないことをありありと意識する。
別れの言葉など何もなかった。
だから、おやすみが言えなかったデニスの気持ちがなんとなくわかる。当たり前に続いていくことに祈りを捧げる人なんていない。
デニスも、レオがまた眠りから目覚めると思っていたから、おやすみと言わなかったのかもしれない。
だから、レオの最期にきちんと言葉をかけられなかったことを悔いているのだろう。
客室に戻ってしまったデニスにそんなことを思っていれば、じっと見上げてくる視線を感じた。
「シーエーラーちゃーん?」
視線の先の赤毛、ウィンがシエラを下から見上げていた。
元々小柄なだけあって女子平均の背丈のシエラでさえウィンからしたら長身扱いなのだ。
「わっ! ウィン先輩?!」
「点検遅いなって思ったらこんなとこでぼーっとしてて! クロードのまかないみんなエーヴェルに食べられちゃうよ!」
「す、すみませんっ、ちょっと気になることがあったから、戻るのが遅くなっちゃって」
「もう、何してたかは聞かないけど、あんまりさぼってると支配人に怒られちゃうんだからね」
ほら、とウィンに手を引かれてシエラはスタッフルームに連れて行かれる。
ずんずんと進むウィンにシエラは申し訳なくなったが、ウィンはどこか楽しげな様子だ。
「シエラちゃん船のまかない初めてでしょ。クロードのまかない、本当に美味しいんだから」
「まだお昼には早くないですか?」
まだ時刻は正午も回っていない。時間的にはデニスに食事を運ぶ頃だが、まかないがかぶってもいいのだろうか。
「まかないは食べる時間決まってないから。強いて言うならお客様のお食事の前後に合わせてクロードが持ってくるけど、いつでも食べられるから好きなタイミングで食べていいんだよね」
「じゃあ、私は後でも……」
スタッフルームのドアを開け、ウィンは遠慮するシエラを連れ込む。
「記念すべき初まかないなんだから、できたてのうちに食べなきゃ。クロードも浮かばれないよ」
「勝手に殺さないでほしいなぁ」
あははと、軽く笑いながらバスケットを持ったクロードがシエラとウィンを出迎える。
「え、そういう意味だったの?」
「逆にどういう意味だと思ってたんだよ」
ひと足さきにソファに腰掛けたエーヴェルが呆れ顔でウィンを見やる。
ウィンはすぐにエーヴェルに突っかかろうとしたが、クロードがバスケットをテーブルの上に置くのを見て押し止まった。
「ともかく。僕とウィンはお客様のお食事の手配があるから、シエラちゃんとエーヴェルは先に食べてていいよ」
そうしてクロードはバスケットを開ける。
中には四角い耐熱皿いっぱいに盛られたコテージパイが鎮座している。
焼きたてから少し時間は経っているものの、温かさと香ばしい匂いがバスケットから存分に漂っている。
取り分け用のスプーンとフォーク、そして取り皿を置いた後、クロードはウィンと共にスタッフルームを後にする。
お客様の食事を提供するためだから、ルームサービスのウィンも仕事だ。
「じゃ、あたしの分ちゃんと残しておいてね!」
そう言い残してウィンも出て行った後、エーヴェルは無言でスプーンと取り皿を取った。
ちょうど一人前にあたる量を綺麗に取り分けて皿に乗せ、シエラに差し出す。
「エーヴェルさん」
「君の分だよ。こういうのは大人が率先してやらないとな」
パイを受け取ったシエラは、皿に目を落とした後顔を上げてエーヴェルを見やる。
「エーヴェルさん、私、すごく勘違いをしてたみたいです。旅は絶対楽しまなきゃいけないものだって思ってたけど、そういう意味じゃない旅をされる方もいるって知って、だから」
「お客と色々話したみたいだね」
エーヴェルの言っていたことになんとなく手が届きそうで、でもシエラはうまく言葉にできない。そんなシエラの言葉を拾って、エーヴェルは言った。
「お客が話してくれる時が、一番素直に話ができる時なんだよ」
シエラはそれでも不安だった。
「私なりに考えて、やってみたんですけど……あれでよかったのかは不安で」
「言葉の交わし方に正解なんてないさ。あったとしてもその場において適切だったかそうでないかくらいだ」
シエラの不安をばっさり切り捨て、エーヴェルは自分の分のパイも取り分ける。
「君はまだ若いから、旅は未知の憧れやときめきがたくさんあるように見えるかもしれない。
けれど、君が思う以上に旅をするってことには色々な意味があるんだ。今はそのたくさんの意味の一つに触れただけ」
半人前のパイを取り皿に乗せたエーヴェルが続ける。
「これから理不尽な意味にも意にそぐわない意味にも出会うことがあるかもしれない。だからといって、旅することに否定的にならないでほしい。
旅の目的がどうであれ、その旅をしている人にとっては大事なことなんだからね」
バスケットからフォークを取り出し、エーヴェルはシエラに渡す。
シエラはフォークを受け取ると、「食べなよ」とエーヴェルに促されるままにコテージパイにフォークを入れる。
「私にも……わかる時が来るんでしょうか」
取り皿を片手にシエラは聞く。旅は楽しいだけでなくて、たくさんの意味がある。
デニスのように弔いの意味だってある。それだけではない旅の意味を、自分はちゃんと理解できる時が来るだろうか。
たった一つ新しい意味を知っただけでも、頭も心もはち切れそうになるのに。
エーヴェルは言った。
「意味を全て抱えられなくても、見渡すことならできるだろ? 必要なのは、そういうことだよ」




