8.操舵室の語らい
一つ、憧れができると急に一人でも平気になってくる。おじさんのくれた万年筆をポケットに忍ばせたまま、シエラは廊下の窓から世界の狭間を眺めていた。
あの赤い星は火の世界だろうか。それとも森の木々が真っ赤に染まっているから、赤く見えているのだろうか。
そんなもしもを考えながら世界を眺めると、ふらつくような大きさもたちどころに真っ白で大きな画用紙のように思えてくる。
「さっきまで途方もなかったのに……不思議だな……」
「あ、シエラさん」
後ろから声をかけられ、シエラは空想に浸っていた意識を引き上げる。
「窓の外、見てたのかな。やっぱり珍しい?」
近づいてきたのはクロードだった。シエラは窓から目を離してクロードを見やる。
「はい。珍しいっていうより、あんなに色んなところがあるんだって思ったら、行ってみたくなって」
「そっか。僕もわかるよ、まだまだ行ったことのない世界がたくさんあるから。知ってるところにも、知らないところにも行って色んな人と会えたら、楽しいよね」
クロードはにこりと微笑んでシエラに答えた。人懐っこい雰囲気に自然とシエラも気持ちがほぐされていく。
「私も、そういうことができたらなって思って……フォレシアに着いたら、旅に関する仕事を探してみようかなって思ってるんです」
「例えば、うちみたいな?」
クロードがオルテンシア号のことを言うから、シエラは図星を突かれてはにかむ。
「なんだか、すごく影響されやすいみたいですよね。皆さんすごくいい人ばっかりで、こんなところで働けたらなって思ったら、段々ワクワクしてきちゃったんです」
「いいことだと思うよ。昨日みたいに暗い顔してた時より、今のシエラさんが僕はずっと明るく見えていいな」
「あ、ありがとうございます」
シエラははにかんだままぺこりと頭を下げる。そして、まだアデーレ達がどんな組織なのか聞いていなかったことを思い出した。
「この船の名前がオルテンシア号、というのは聞いたんですけど。一体どういった団体なんですか?」
「あ、まだ言ってなかったっけ。アデーレも抜けてるなぁ」
シエラの問いにクロードはアデーレのことをくすくす笑いながら言った。
「うちは小さい旅行会社だよ。ラピエス旅行社っていうんだ」
「ラピエス旅行社……」
自分を助けてくれた人達の名前を知り、シエラは胸元で手を握りしめる。
「旅を扱うなら旅行社、って相場が決まってるからね。フォレシアにはうちだけじゃなくて色んな旅行会社があるから、落ち着いたら探してみるといいかもね」
クロードはそうシエラに提案した後、少し困ったような顔をして笑う。
「と、世間話はこのくらいにして。お手伝いをお願いしたいんだけど、いいかな」
「はい! どんなことを手伝えばいいですか?」
シエラはすぐに顔を上げる。クロードは厨房の方を見やって言った。
「操舵室にご飯、持っていってほしいんだ」
渡されたバスケットを持って、シエラは操舵室に直に続くはしごを上る。バスケットはクロードのはからいで背負えるようにしてあり、何もわからないシエラでも両手を空けてはしごを上ることができた。
操舵室へのハッチを言われたとおりノックすれば、ぐるりとハンドルが回されハッチが開かれる。
「クロード、いつもすまないね……って、あんたは」
威勢のいい女性が覗き込む中、シエラはハッチから顔を出して言った。
「私、シエラです。この前助けてもらった」
「ああ、あんたか! アデーレから話は聞いてるよ、上がっといで」
ハッチから上がればその女性は見上げるほどの背の高さだった。豚の耳のようにとがった耳と、太い鼻柱は頼もしさを感じさせる。
さらさらと金髪を靡かせ、彼女は操舵室の壁にあるテーブルを叩いた。
「あたいはレア。ここの操舵士だよ。バスケットの中身はここに置いとくれ」
「は、はい」
クロードに持たされたクラブサンドイッチとポットパイの包みを置き、シエラはレアを見やる。
たくさんの計器と見晴らしのいいガラス張りの窓は、いかにも船の操舵をする場所、といった佇まいだ。
計器の中央にある舵の横には、航路図を広げておく台もあり、レアだけが自由にできる領域という風格をひしひしと感じさせる。
「クロードさんからのお食事です、どうぞ」
「ありがとう。あんた、シエラって言ったね。もう具合はいいのかい?」
「はい、おかげさまで」
「アデーレから辛いことも聞かされたろうけど、くじけちゃダメだよ。あんたはまだまだこれからなんだからね」
拙いなりに励ます意図がまっすぐ見えて、シエラはまた嬉しくなる。
「ありがとうございます。フォレシアに着いたら、仕事を探そうと思って」
「いいじゃないか。行動の早い子は好きだよ。それで、どんな仕事をしたいんだい?」
レアの豪放ながらも面倒見の良さそうな態度に、シエラはくすぐったさを覚える。
「実は、旅行関係の仕事をしようかなって」
「へえ。だったら、うちの会社もよろしくお願いするよ。小さいからまだそこまで困ってないけど、万年人手不足だからさ」
レアとしては社交辞令かもしれないが、シエラにとっては必要とされているような心地さえしてしまう。
「そんなに大変そうには見えないですけど……」
「いろいろと持ち回りで仕事をしてるからね。あたいは操舵にかかりきりだけど、下の連中は自分の業務の他に手の付いてない掃除から雑用まで合間を見つけては片付けてるんだ。ウィンなんか特にそうさ、後輩がいるからなんて得意げにしてさ」
「だからウィンさん、あんなに張りきって……」
「あんたが気にすることじゃないよ。そういうのをお客に見られないようにするのも務めさね」
笑って答えるレアにシエラは少し気まずくなる。楽しそうだと見えていても、それは表からだけの話だ。
実際は見えている以上に忙しくて、大変な仕事なのだろう。
そんな仕事でも、頑張っていけるだろうか。
俯くシエラにレアが言葉を継ぐ。
「そうやって誰かの苦労をいたわれるなら、あんたも立派に仕事に就けるよ。頑張りな」
短いがしっかりとした励ましに、シエラは顔を上げる。
もし、仕事に就けるのならこの人達と一緒に働きたい。そんな想像がこれからのこととして広がっていき、シエラは目の前が明るくなる。
俯いていても仕方がない。シエラはしっかりと目線を上げてレアを見つめた。
「はい!」
少し前まで暗く曇っていた気持ちが、今少しずつ晴れて明るくなってきている。シエラはそれがただただ嬉しかった。
自分が進む新たな道が見えてきた気がして、シエラはドキドキと胸が高鳴っていく。とても素敵な気分だ。
「私、頑張ってみようと思います。レアさん、ありがとうございます!」




