7.展望室と桃ジュース
一日目、シエラはほとんどウィンと過ごした。掃除の仕方から客室点検まで手伝い、自分の寝かされていた客室もシエラは自分で整頓しておいた。
一応遭難者である以上、客室はフォレシアに着くまでシエラの部屋としてあてがわれている。
掃除が終わった後も手伝うことがないかウィンに聞いたが、他にやることはないと言い切られてシエラは手持ち無沙汰になってしまった。
「シエラちゃんも頑張ってるしだいじょーぶ! 残りはあたしに任せといて!」
そう言ってウィンは張りきった様子で船尾の方へ向かって行った。
客室にこもっているのも、どこか気落ちしてしまいそうでシエラは船内をぶらつく。
「アデーレさんには甲板に出なければ好きに出歩いてもいいって言われたけど……」
船の後方は立ち入り禁止の機関室。となると船首の方に歩いていくしかない。赤いカーペットの敷かれた廊下を歩き、船首へ向かう。
展望室、とルームプレートが設られたそこに入れば、一面の夜空がシエラを出迎えた。
船首は展望しつの名の通りガラス張りになっており、オルテンシア号の進んでいる景色が一望できるようになっている。
そしてガラス張りの窓を背にバーカウンターがあり、そこで朝礼の時に挨拶したユヅルハがグラスを磨いていた。
結った長い黒髪をはらりと肩から落とし、ユヅルハは顔を上げる。
「おや、シエラ嬢。どうかなさいましたか」
「何かお手伝いできること、ありませんか? ウィンさんとのお掃除は済んでしまって」
ユヅルハはなるほど、と頷くとするりと手を伸ばしてカウンター席を示す。
「では、一つお頼み申しましょう。こちらのお席へどうぞ」
シエラはユヅルハに促されるままカウンター席に着くと、グラスをカウンターに置くユヅルハを見やった。ユヅルハはシエラに視線を返すとそっとメニューを差し出す。
「お好きなお飲み物をどうぞ。少しばかり、話し相手になってくださいませんか」
「でも、私……」
「しばらくカウンターに一人きりでしたので、腕がなまってしまうと困るのですよ」
遠慮しようとするシエラにユヅルハがはにかみながら言う。ユヅルハなりの気遣いなのだろう。その言葉に仄かに胸の内を温めながら、シエラはメニューを読む。
「カクテル、ジュースに、お酒……色々あるんですね」
「ええ。二十歳未満の方に酒類の提供はできませんが」
どこの世界でも子供にお酒は飲ませないのは共通しているようだ。まだ十八のシエラはお酒も飲んだことがない。知っている味といえば、水や果物のジュースくらいだ。
「じゃあ、桃のジュースをください」
「かしこまりました」
ユヅルハは恭しくお辞儀をするとカウンターの下の冷蔵庫からよく冷えたジュースの瓶を取り出す。
背の高いグラスに流れるような手つきでジュースを注ぐと、ストローを差してシエラにサーブする。
お礼を言って早速一口飲んでみれば、とろみの感じられる華やかな甘さが喉を潤していく。
「おいしい……! こんなにおいしいジュース、初めてです」
「搾りたての桃の果汁を使っておりますので。冷蔵庫にかかった魔法で新鮮なままに冷やしているのですよ」
「魔法を使っているんですか?」
魔法なら簡単なものだけではあるがシエラも使える。ジュースの保存に魔法を使っているなんて初めて聞くから、シエラは意外そうに目を丸くした。
「ええ、この船には優秀な魔法使いがおりますので。彼に頼んで魔法をかけてもらっているのです」
彼、というからエーヴェルかクロードのどちらかだろう。まさか魔法使いがいるなんてシエラは思いもしなかった。
「魔法ってこんな使い方もあるんですね」
「シエラ嬢も魔法の心得が?」
「はい、火を灯すとか、そういう簡単なものだけですけど」
「それでも、心得があるというのは良いことです。いずれ、身を助けることになるでしょう」
面と向かって褒められることなんてあまりなかったものだから、シエラは照れ臭くなってしまう。
ジュースを飲んで誤魔化すのも子供っぽく思えて、咄嗟に窓の外を見て言った。
「すごい星空ですね、世界の外ってずっと夜なんですか?」
「ああ、この景色ですね」
ユヅルハは穏やかな様子で話す。
「世界の狭間に光はなけれど、この数多の光は全て異世界なれば。闇は無であり、光は世界……」
詩的な言い回しだが、シエラが星と勘違いしていたものは全て異世界であるらしい。
アデーレは世界の狭間を航行していると言っていたし、狭間に無数の異世界があってもおかしくはない。
「あの青い星も白い星も全部別の世界なんですか?」
「然り」
落ち着いた声でユヅルハが首肯する。
「世界ってこんなにいっぱいあるんだ……」
自分の世界の広さだって実感できていなかった。だというのに闇に浮かぶ星全てがそれぞれシエラのいたような世界だと言われたのだ。
あまりのスケールの大きさにシエラはふらつきそうになる。
「こんな広い世界を、皆さんで旅してるんですか?」
「お客様が望むのなら、どこへだってお連れするのが我々ですから」
ユヅルハが穏やかに言う姿に、シエラは遠く強い憧れを抱く。
こんな風に、どこまでも旅をすることができたら。知らないところに行って、見たこともない景色を見られたら。
おじさんの言葉が思い出される。
『知らないものをどんどん知っていった方がおじさんとしてはワクワクできていいと思うけどね』
胸の内に思い出した言葉を噛み締めたシエラは、小さく頷いてユヅルハに目を向ける。
「施設で保護されても、仕事はできるんですよね?」
「ええ。むしろ奨励されているくらいです。なさりたいことでもあるのですか?」
「……はい。まだ、はっきりとはしないんですけど」
「でしたら、ゆっくりとお考えなさい。フォレシアに着いてからも、時間はたくさんあるのです。なさりたいことは、そうしていてもふつとわき上がってくるものですから」
「ありがとうございます、ユヅルハさん」
シエラはユヅルハに頭を下げて礼を述べると、展望室を辞した。まだ、やりたいことというにはささやかだ。でも確かに思うことはある。
闇に広がる数多の世界を少しずつでも知っていけたら、見ることができたら、どんなに素敵だろう。
シエラの始まりは、そんな些細な憧れだった。




