表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

Part.4

「ごめん、ちょっとお手洗い行ってきま~す」


 綾は立ち上がると、軽い調子で言った。


「オッケー、待ってま~す」


 葵も軽い調子で返すと、美羽に目線を落としてニッと笑う。


 美羽は、そんな葵の笑顔に、少し恥ずかしそうにもじもじしていた。


 綾は少しだけ安堵の表情を浮かべ、1人で歩き出した。



 綾はエスカレーターで2階へ。


 ――3階、4階、5階、6階、そして最上階の7階へ。


 7階のロビーにある、少し人気のないベンチ。

 そこからは町全体が見渡せ、きれいな景色が広がっている。


 けれど、綾に笑顔はなかった。


(……なんでよ……何が不満なの?)



 ――綾の脳裏に蘇る記憶。



 朝、慌てて家を出た綾は、途中でふと気がついた。


(やば……黒パン忘れた……)


 葵と学校を出る頃には、風はどんどん強さを増していた。


「綾……もしかして黒パン忘れた?」


 葵が唐突に聞いてきた。


「……なんでわかったの?」


 キョトンとした顔で、でも何も隠すことなく、綾は聞き返す。


「いや、今日はやけにスカート押さえるなって思って……」


「え、何それ……こわっ!」


「『こわっ!』って何よ、心配してんのに!」


 葵は頬をぷくっと膨らませて見せ、綾はニヤリと笑った。


 駅の連絡通路まで来た時だった。


「……綾、こっちから行こうか?」


 葵は風が弱いものの、少し遠回りになる右側の通路を指さした。


「ううん、押さえてれば大丈夫。ありがと」


 綾と葵は、風が強い左側の通路を歩き始めた。



「……うわぁぁぁああああああっ!!!」



 その時、後ろから聞こえた叫び声。

 スカートを押さえて泣き叫ぶ美羽の姿。


(助けなきゃ!)


 身体の方が先に動いた。

 急いで自分のベストを脱いで、美羽の腰元に巻きつけて押さえた。


(よし、これでもう絶対見えないよ)



 美羽に笑いかけたその時、後ろから突き上げられるような感触を覚えた。


(……っ!?)



 気づいた時には遅かった。


(やばいっ!絶対見えてる!)


 でも今この手を放せば、ベストは落ちてしまう。

 美羽の怯える顔を見て、ベストを握る手に力が入った。


(お願い、やめてっ!!今だけはやめてっ!!)


 しかし、風は容赦しない。

 完全に自由になったスカートが、何度も持ち上がってくるのが嫌でもわかった。


(やだっ!やだっ!!)


「綾、もういいよっ!!」


 葵の声が、天からの救いのように聞こえた。

 綾は急いでベストを自分の腰に巻き直した。

 呼吸は荒くなり、スカートを整える指が時々もつれた。


 ようやくスカートを握りしめて目線を上げると、葵がこちらを見ていた。

 その横には、葵に教えられたのか、しっかりスカートを握りしめた美羽の姿。

 それに安堵した綾は、にっと笑って頷き、葵と美羽の後を追って走った。



 ――夕日に照らされる町並み。


 しかし、綾の目にはもはや何も映っていなかった。


(あの子を守るのも大事だよ?でもあたしは!?あたしはどうでもいいの!?)

(はぁ!?じゃああの子を見捨てろってわけ!?よく言えるね、最低っ!!)

(あたしだってこわかった……恥ずかしかった……助けてほしかった……)

(あの子笑えたよ!?葵のこと見て、目細めて笑ったよ!?嬉しくないの!?)

(嬉しいよ……でも……あたしは……)

(ねぇお願い……笑って!!笑ってよ、あたしっ!!!!)


「……綾」


 その声に、綾は我に返り、咄嗟に振り向く。


「えっ……なんで……?」


 綾が驚きながらも問いかけると、葵はにっこりと笑って言った。


「これ、忘れたでしょ。」


 手渡されたのは、綾がトイレに行く時に必ず持っていたポーチ。

 その瞬間、綾は思わず目を伏せた。


 葵は何も聞かず、穏やかに続けた。


「あの子を1人にしておけないから、手短に……」


 葵は微笑みながら、綾の目をまっすぐに見つめて言った。


「ありがとう、綾」


 その一言に、綾は無意識に微笑んで頷いた。


(よかった……葵もあの子も……笑顔になれた)


 綾は思わず顔を赤くして視線を下に落とした。


「それから……」


 葵の言葉が続くことに、綾は一瞬驚いて葵を見た。

 葵は一瞬言葉に詰まると、わずかに声を震わせて言った。


「……頑張ったね」


(……っ!?)


 綾は思わず目を見開いた。


「じゃ、先に戻るね」


 葵は少しだけ微笑んで、綾の答えを待たずに、足早にその場を去っていった。


 葵が曲がり角に消えると、綾の視界が急にぼやける。

 綾は慌ててベンチに座り直し、両手で顔を覆った。


 涙が止まらない。

 顔を覆った手の隙間からも、涙がこぼれ落ちてくる。


「ありがとう、綾」

「……頑張ったね」


 葵の言葉が、綾の耳に何度もこだまする。


(……ありがとう、あたし)

(……ごめんね、あたし)


 背中に、とっくに美羽のところに戻ったはずの葵の手を感じる。

 葵の残した温もりの中で、綾は一人で泣き続けた。



(……さて、そろそろ行かなきゃ)



 綾は洗面所に足を運び、鏡の前に立つ。


「うわぁ……そりゃ泣いたらこうなりますよねぇ……」


 思わず声を漏らし、苦笑い。

 早速メイクを直そうと、無意識にポーチからメイク道具を取り出す。


(……あれ?)


 綾はポーチとメイク道具に視線を落とす。


 葵がわざわざ届けてくれた、綾のポーチ。


(……こわっ)


 綾はもはや笑うしかなかった。


「……やれやれ、勘のいい人は困りますね~」


 鏡の中の自分にそんな言葉を投げかけながら、メイクを整える。


「よし。戻りますか。」


 鏡に映る綾の笑顔に、もう苦しさはなかった。



(つづく)



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ