第6話:この夢に、さよならを
ミリエルの手が、そっと差し出された。
その指先は、光の粒をまとっていた。
けれど──震えていたのは、エミリアの方だった。
「……この世界、壊れ始めてる。あなたも、気づいてるよね」
静かな声だった。けれど、それは確かに“本物”の声だった。
「昨日と同じ空、同じ授業、同じ笑顔。
でも、全部、少しずつ“綻び”を見せてる。
それは──この世界が夢だから」
エミリアは小さく首を振った。涙がこぼれる。
「夢……って、なに? じゃあ、私は……?」
ミリエルは、少しだけ目を伏せてから、言った。
「あなたは、あの日の夕暮れ……事故で、命を落としたの」
言葉が、空気を裂いた。
心が、何かを思い出そうとして──でも、すぐには掴めなかった。
「だけど、あなたの魂は強かった。
あなたは“この終わり”を、受け入れなかった。
だから……この世界が、あなたの祈りで生まれたの」
ガラスの破片に映る、もうひとりの自分。
笑っている──けれど、空っぽの瞳で。
「この“やさしい”箱庭は、あなたの願いでできてる。
痛みのない、さびしさのない、誰も責めない世界」
ミリエルは、優しく微笑む。
「でも──本当に生きたい場所は、ここじゃない。
あなたの中の“本当の願い”は、ここを出ることだった」
エミリアは唇を噛む。
頭の中で、猫のしっぽが揺れる。
教室の窓から見た空。
好きだった彼の声。
そして──温室の中で出会った、翼の少女。
「……あれも、これも……全部、夢なの?」
「違うよ。全部“真実”だった」
ミリエルの声が重なる。
「猫も、彼も、偶然の出会いも──
全部、あなたが“無意識に”生み出した構造。
あなたが“あなた自身に気づいてほしかった”から、
世界を書き換えて、偶然を重ねて、ここまで来たんだよ」
温室の鏡が、音もなく崩れ落ちた。
その奥に広がるのは、夜明け前の青い空だった。
「だから、私はユウトに言われたの。
あなたが“帰りたい”と願ったその時、
その声に応えるために、ここに来た」
ミリエルは、手を差し出す。
「エミリア──この閉じられた、暖かい夢から目覚めて。
あなたが生きるべき、“アポリア”へ──行こう」
沈黙の中で、エミリアはその手を、そっと握った。
世界が音もなく、ほどけていく。
けれどそのすべてが、なぜか優しく感じた。
なぜなら──
“さようなら”の先に、“ほんとうの朝”が待っていると、知っていたから。