第2話:青いガラスと秘密の温室
その日の放課後、
エミリアはなぜか、校舎の裏へと歩いていた。
理由はなかった。
ただ、誰かに呼ばれたような気がして。
──普段は立ち入り禁止になっているはずの裏庭。
草むらの奥に、忘れられたようなガラスの温室があった。
ドアには鍵がかかっていなかった。
錆びた音とともに、軋む扉が開く。
中には、埃に覆われた机と、枯れかけた植物。
そして──中央に置かれた、ひび割れた鏡。
その前に、昨日の少女がいた。
金色の髪。片方だけに羽のような光の欠片。
だが、やはり誰にもその存在は見えていない。
少女は何も言わず、ただ鏡を見つめている。
──ミリエル。
そう呼びたくなった。けれど、なぜそんな名前を思い出したのかも分からない。
エミリアは温室の床に座り、その背中をただ見つめた。
話しかけようか迷ったが、声は出なかった。
鏡の中には、自分の姿が映っている。
けれどどこか、何かが違う。
目の奥にある何かが、まるで自分ではないような──。
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夜。家に帰ると、母がいつものようにご飯を作ってくれていた。
「おかえり、……今日は遅かったわね」
エミリアは気になった。
「ねぇ、私の名前……いま、呼んだ?」
「え? 呼んだでしょ? エミ……えっと、そう、呼んだわよ」
母の顔に、一瞬だけ“空白”が生まれた。
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その晩、エミリアは日記を開いた。
《私の名前は……なんだっけ?》
そう書いて、ペンを止めた。
すぐに「エミリアでしょ」と思い直す。
でも、“誰かから呼ばれた”記憶が、どんどん曖昧になっていく。
まるで──この世界から、自分という存在が“削られている”みたいに。
温室の少女。
片翼の天使のような存在。
彼女は、いったい何を知っていて、なぜ何も言わないのだろう?