第五話 迷宮解放と、想定外の大混雑
翌日の正午。ギルド本部の広場には、これまで見たこともないほどの数の冒険者が集まっていた。上級ランカーらしき威厳ある者から、僕たちのような最下級ランカーまで、ひしめくように待ち構えている。
「すごい人だね……こんなに集まるなんて」
「うわぁ、ザッと見ても何百人もいるんじゃない? あ、あそこにいるのってもしかして有名なB級のチョマ・テヨかしら……。あっ、あっちには同じチームのマタ・ナイヨも。うわー、ドンダ・ケーもいるわよ!」
ティアがはしゃぎながら指を伸ばす先には、大柄な男達が鋭い眼光を放って立っていた。その周囲にも、見るからに精鋭と思われる冒険者たち。ここにいる誰もが、迷宮への期待に胸を膨らませているのだろう。
やがて、ギルドの上層部とおぼしき人物が壇上に立ち、大きく息を吸い込むように胸を張る。その様子を見て、会場がすっと静まりかえった。
「諸君。お集まりいただき感謝する。――本日、正式に新迷宮の存在と、その探索許可について告知をする!」
力強い声が響き渡り、周囲がざわめく。
続いて、迷宮の所在地や概要が説明される。場所は王都から北へ半日ほどの場所にある深緑の峡谷付近。以前はただの岩場だったが、最近の地殻変動で地底へ通じる大きな穴が開いたという。そこに調査隊が入ったところ、未知の構造が確認された……と。
「うわ、半日で行けるなら、そんなに遠くないね」
「だけど、峡谷ってけっこう険しい地形じゃない? もともと近寄りがたい場所だったし……」
「下手をすれば足を滑らせて落ちちゃうんじゃ……大変だわ、可愛いドレスが...」
「いまさら?」
ティアが不安そうに身を竦める。
壇上の男性はさらに続ける。
「ただし、この迷宮は極めて危険である可能性がある。よって、探索を希望する者は、ギルドが設置する仮拠点を通してチーム編成や役割分担を行い、許可証を受け取ること! 単独で勝手に突入するのは非常に無謀だ!」
その言葉には警戒が滲んでいた。実際、迷宮の内部情報はまだ断片的で、初期調査隊も何名か行方不明になっているという。
それでも、さまざまな思惑を抱えた冒険者たちは決して引き下がらない。むしろ、行方不明者が出るほどの難関であることが、レア報酬や名声の高さを裏付ける要素として興味をそそるのだろう。
僕も不安を感じつつ、心臓がドキドキしていた。こんなチャンス、めったにない。
「次に、探索の流れを説明する。まず、王都から北へ向かう峡谷の手前に第一の仮拠点を設置した。そこまでの道は、一定の警備を敷くが、途中で魔物や盗賊の襲撃がある可能性も否定できない。諸君には十分な準備をして向かってもらいたい!」
その言葉に、ティアの顔が引き締まる。
「盗賊……やっぱり出るかもしれないのね……」
「うん。警備があっても、完全には防ぎきれないだろうし」
「でも、行くんでしょ? 私たち」
迷いのない口調。僕は小さくうなずいた。
「うん、行きたい。もちろん無謀はしたくないけど……こういうタイミングを逃してたら、ずっと底辺のままだから」
「そ、そうよね……私だって、このままじゃ嫌だもん!」
壇上の男性が締めくくりの声を上げる。
「――探索開始日は三日後。各自、仮拠点にて受付とチーム登録を済ませ、準備ができた者から迷宮内部への突入が可能となる。なお、得られる報酬はすべて自由に処分してよい。無論、貴重な発見をギルドに報告すれば、追加ポイントが与えられる。……我々は、諸君の健闘を祈る!」
その瞬間、広場が大きく揺れるほどの歓声やどよめきに包まれた。迷宮探索の正式解禁、そして自由な報酬の扱い――多くの者が一攫千金を夢見ているのが手に取るようにわかる。
こうして、新迷宮へ向けた大波が動き出した。三日後からの本格探索に備え、冒険者たちは装備を整え、パーティを組み、己を奮い立たせる。僕たちもその一員だ。
「さて、僕たちも急いで準備しよう。といっても、そんなに資金があるわけじゃないけど、最低限の防具は揃えないと……」
公示が終わったあと、僕たちはギルドの談話室で顔を合わせる。エリーナも合流していた。
「私も行くわ。あの迷宮には興味があるしね。D級でも充分に立ち回れるかはわからないけど、シヴァルやティアだけだと、心配だしね」
エリーナが淡々とそう言う。きっと彼女なりに僕たちをフォローしてくれるつもりなのだろう。
「ありがたいよ。やっぱり三人で行動した方が心強いし……」
「ねえ、エリーナ。私、またお金がないんだけど……どうしたら……?」
「いや、どうしたらって……いい加減、必要なときのために多少は残しておくべきでしょう?」
「だ、だって可愛い服を買っちゃったんだもの!」
言い訳にもならない言い訳をするティアに、エリーナは呆れ顔。僕は苦笑いしながら、
「まあ、僕も大して余裕はないんだけど、これまで貯めてきた少しのお金があるから、ティアの最低限の防具くらいは貸すよ。返してもらうのはいつでもいいから」
「え、えっ……いいの? でも、悪いわ……」
「二人で迷宮に行って、装備が足りなくて死なれたらそれこそ大変だし……。それに、今後一緒にクエストを続けていくなら、助け合うのは当たり前でしょ?」
ティアは珍しく真剣な顔をして、ぽつりとつぶやく。
「……ありがとう、シヴァル。あんた、優しいのね……」
「い、いや……そんなに大袈裟に言われると照れるけど……」
思わぬ感謝の言葉に少しうろたえていると、エリーナがクスッと笑った。
「大丈夫、私も多少の融通はできるから。最低限はそろえましょう。あと三日あるから、無駄に使わず必要なものだけ買うのよ、ティア」
「は、はい!」
ティアは返事をしつつ、心なしか顔を赤らめている。もっとも、その数時間後には「可愛いピンクの胸当てが欲しい」と騒ぎ出し、僕とエリーナに全力で止められるのだが……。
翌日から、王都の町は前にも増して活気と混乱に包まれていた。迷宮探索の告知を受けて、大勢の冒険者が装備品を買い求め、商店街は人であふれかえっている。鍛冶屋や防具屋は休む暇もないほどの大繁盛だ。
僕たちも例外なく装備を求めて奔走する。けれど、安くない買い物だ。鎧や高品質の武器は高額で、とても手が届かない。
「うーん……やっぱり、レザーアーマーくらいが限界かな。頑丈な金属製は手が出ないや」
「わ、私は……この胸当てと……あと、軽い篭手とかでいいかしら……?」
「うん。それが無難だと思う。見栄張って重装備を買っても、扱いきれないし」
「でも、これ、地味じゃない? もっと可愛くできないの?」
「何言ってるの。最低限の防御力を優先しようって話でしょ……」
相変わらずグチグチ言いながらも、ティアはなんとか装備を整えていく。エリーナは自分の装備を点検しながら、僕たちを手伝ってくれた。
そうこうしていると、周囲の人だかりの中に、少し物騒な雰囲気を漂わせる集団が目についた。ずらりと並ぶ黒ずくめの男たちが、まるでこちらを睨むように通りすぎていく。
「……あれ、もしかして……」
エリーナが小さく眉をひそめる。昨日耳にしたならず者集団を思わせる風体だ。人混みの中ですぐに姿を消してしまったが、その殺伐とした空気は確かに感じ取れた。
「迷宮のレアアイテムを横取りしようとしてるのかしら……」
「でも、王都の警備も厳しくなってるはずだし、そう簡単に暴れられはしないんじゃないかな」
「一番怖いのは、迷宮の奥で誰かに襲われることよ。警備の目が届かない場所で……」
エリーナが低い声で言い切る。僕もティアも、思わずごくりと唾を飲んだ。
迷宮内部で事故やトラブルが起こっても、調査が難しい。もし強い装備や魔法を持つ連中がそこに潜んでいたら……想像するだけで寒気が走る。
「……とにかく、警戒はしておこう。僕たちに狙いをつける理由はないとは思うけど、巻き込まれる可能性はあるし……」
「そうね。下位ランカーでも、運よくレアアイテムを手に入れたら狙われるかもしれないし。油断は禁物だわ」
「うう……怖いよぅ……」
ティアがしょんぼりと項垂れるが、ここで怖じ気づいてしまっては前に進めない。
僕はやんわりと彼女の背中を押す。
「大丈夫だよ、僕たち三人で協力すればなんとかなる。何かあったらすぐに助け合おう」
「うん……そうね、ありがとう……」
こうして買い物に奔走しながら、僕たちは何とか迷宮に必要な最低限の装備を整えた。少しでも魔力を高めるために、僕は古着屋で安く売っていた魔力伝導素材のローブを購入。ティアは軽量な胸当てと篭手を装着し、一応打撃や斬撃から体を守れるようになっている。エリーナは以前から使っている鎧の手入れを入念にして、魔法の小物を新調した。
三人とも財布はスカスカだが、装備をケチったばかりに即死するよりはずっといい。
「ふう……何とか形にはなったね」
「とりあえず、あと二日だし、明日はできるだけ体を休めておこうか。あとは細かいもの――食料とかポーションとかを最終確認して……」
「了解。じゃあ、今のうちにギルドの食堂で腹ごしらえしない?」
「やっぱり食べ物を考えてるのね、ティアは……」
「だって、お腹が空くんだもの! 可愛いに空腹は似合わないわ!」
いつも通りの調子のやり取りに、僕とエリーナは思わず顔を見合わせて笑みを漏らした。
しかし、その平和な空気の裏で、王都の周辺には次第に黒い気配が濃くなってきているのを、僕は感じていた。町のあちこちに鋭い視線を投げかける者たち。迷宮への異様な熱気。そして、行方不明者が出ているという事実。
それでも、僕らは進むしかないのだろう。世界はランクがすべてだと誰もが言う。ならば、そのランクに立ち向かうには、恐れを捨てて一歩踏み出すしかない。
ティアのポンコツぶりと、エリーナのクールなフォローに助けられながら、僕たちはいよいよ迷宮へ挑む。
深緑の峡谷が開く未知なる地底への扉が、僕たちを待っている。