第四話 マーケティングに踊らされる!
朝の鍛錬を終えた僕とティアは、ぐったりとした体を引きずるようにギルドの玄関へ向かっていた。疲労はあるものの、ウォーウルフ退治で少し成果を上げられた喜びが、ほんのりと心を軽くしている。
「はぁ、はぁ……もう走り込みは勘弁してほしいわ……」
「最初はそう思うけど、慣れてくると少しずつ楽になるはずだよ」
「本当に? そんな日が来るのかしら……」
ティアは額の汗をぬぐい、ふらつきながらもなんとか歩を進めていた。いつものフリルだらけの服装が泥や草で少し汚れてしまい、不満そうに裾を引っ張っている。
ギルドの扉を開けると、やはり入り口には冒険者の姿が多い。迷宮のうわさが広がって以来、なんとなく皆が落ち着かない様子だ。クエストの張り紙を前に熱心に議論をする者や、受付で情報を集めようとしている者まで、あちらこちらで声が飛び交っている。
「やっぱり雰囲気が違うね。人が多いし、みんなそわそわしてる」
「こっちまで落ち着かないわ……ねぇシヴァル、さっさと私たちも情報を仕入れて、早く大きなクエストに参加したい!」
「それはいいけど、まだ確定情報が出てないしなぁ……」
以前、受付の職員さんから聞いたとおり、迷宮探索に関する正式発表はまだ行われていないらしい。上層部が状況を整理しているという話は聞こえてくるものの、日取りや場所の特定などは公表を待つしかない。
僕たちはまず疲れを癒やすため、ギルド内の一角にあるテーブルにつき、一息つくことにした。冷たい水を一口飲むと、乾いた喉が嬉しそうに潤う。
そんな僕たちのもとへ、エリーナが軽い足取りで近づいてきた。相変わらずどこかクールな雰囲気を纏いながら、微かに笑みを浮かべている。
「お疲れさま。走り込みはどうだった?」
「聞かないで……もう足が棒よ、関節どこいったのかしら……」
ティアがソファにもたれかかりながらうめく。エリーナは「でしょうね」とあっさり笑って、僕と目を合わせる。
「ところで、少し気になる話があるの。昨日の夜、王都の一部で小さな衝突事件があったって聞いたんだけど……詳しいことはきいてる?」
「実はまだ詳しくは……。宿でも誰かが噂してたけど、謎の集団がいたとか王都にこっそり入ろうとして失敗したとか、いろんな情報が飛び交ってるみたいだね」
「そう……。私もギルドの奥で少しだけ聞き込みしてみたんだけど、どうやら迷宮に関する情報を先に押さえようとしているならず者集団がいる、という話が出ているわ」
「ならず者集団……」
嫌な響きだった。ランク制度のある世界では、冒険者が名声や富を得るのは正規の手段が原則だ。だが、時には闇ギルドのような違法組織や盗賊団が、規則を無視して暴利を狙うこともある。
エリーナは落ち着いた声で続ける。
「もちろん、それが本当かどうかはまだわからない。ただ、最近は魔物の活発化だけじゃなく、人間同士のトラブルも増えてるようだから、ギルドとしても警戒を強めるらしいわ。迷宮に不用意に近づくのは危険かもね」
「そ、そうなんだ……」
すると、ティアがむくりと体を起こし、目をキラキラさせて口を開いた。
「でも、そういう危険な集団がいるなら、逆に私たちが可愛いパワーでバシバシっと倒しちゃえばポイントいっぱい稼げるんじゃない?」
「ちょっと、ティア……相手は魔物じゃなくて人間だよ。そんな簡単に倒してどうにかなるものじゃ……」
「じゃあ捕まえればいいじゃない! 可愛い女の子に捕まるなら、相手だって喜ぶし、文句ないでしょ!」
「あると思うけど……」
いつもの調子で無邪気な発言をするティアに、エリーナは苦笑していた。
「ま、ティアに付き合うのは大変だろうけど、シヴァルが一緒なら少しは安全だろうし……。ただ、危険な相手と直接やり合うのは慎重にね。まずは自分たちの実力をしっかりつけないと」
「はーい。わかってまーす……」
気のない返事に、僕はやれやれと思いながらも、なんとなくティアの活気に救われる気がした。こういう時こそ、彼女のアホみたいな明るさが心を軽くしてくれる。
僕たちはそれからしばらく、ギルドの掲示板で小さなクエストを探したり、受付から新しい情報がないか尋ねたりしたが、有力な手がかりは得られなかった。依頼はあるにはあるものの、どれも「雑用」や「収集クエスト」が中心。さらに危険度の高い討伐依頼は、近頃張り出されていない。どうやら、ギルドも新迷宮絡みの事態に備えて、戦力を温存しているのかもしれない。
「うーん、今は焦っても仕方ないね」
「でも、お金も稼がないと……私たち、そんなに貯金とかないじゃない?」
「それはそうだけど……。どうする?」
僕とティアが顔を見合わせていると、ふいにエリーナが控えめに笑みを浮かべ、
「よかったら、私が受けた依頼を手伝わない? そんなに危険じゃないけど、ある程度ポイントも得られるはず。何より、近場で片付くから無理なくこなせるわ」
「ほんと? 行く行く!」
ティアはエリーナに飛びつくように身を乗り出す。僕も正直、ありがたい申し出だ。
「どんな内容?」
「森のはずれに、ちょっと珍しい薬草が生えてるみたいなの。それを指定された数だけ採取してきてほしいって依頼。魔物が出ないわけじゃないけど、ウォーウルフほど危険じゃないし、複数人で行けば十分対処できると思うわ」
「なるほど。じゃあ、今日のところはそれでいこうか」
「決まりね!」
僕たちは軽く打ち合わせをしてからギルドを出発した。エリーナが先行して下調べをしてくれていたおかげで、目的地はそう遠くない。先日のウォーウルフ退治より楽な道中だろうし、薬草採取なら危険も少なそうだ。
とはいえ、ティアのことだから、また何かドジを踏まないか心配もある。僕は密かに警戒モードを解いてはいなかった。
森へ向かう途中、エリーナがさりげなく口を開く。
「ところで、ティア。あなた、何か装備は買ったの? 防具とか……」
「うっ……」
ティアはあからさまに言葉を詰まらせた。
「実は……新しいリボンを買ってしまったのよ……限定色の特別なリボンが出てたからどうしても欲しくて……気づいたらお金がほとんど……」
「はぁ……やっぱりね」
エリーナが呆れ顔でため息をつく。僕も苦笑しながら頭をかく。
「ティア、まあいいけど、せめて防具は最低限いると思うよ。今後、迷宮に行くなら特にさ」
「わ、わかってるわよ! でも、こういう可愛いアイテムって、そのとき買わないと二度と手に入らないんだから!限定品なのよ!その時限りなの!」
「見事なまでに限定という言葉に踊らされてるな....。おしゃれも大事だけど、命を落としたら元も子もないだろ……」
「うぐぐ……」
まったく、いつも同じようなやり取りだが、これがティアなのだ。彼女のポンコツぶりは簡単には直りそうにない。
そんなふうに道中で軽口を叩き合いながら、森の入口へ着いた。木々が生い茂る入り口からは、少し涼しい風が吹き出している。木漏れ日の中、小鳥のさえずりが心地よい。
「この辺り……そうだな。あの木立を越えたあたりに目的の薬草が自生してるって聞いたよ」
エリーナが地図を確認して、僕らを先導する。
森の中は昼間でも薄暗く、足元には根や落ち葉が積もっていて歩きにくい。ティアは早速、足を取られそうになって「わわっ」と声を上げるが、どうにか踏ん張って転倒は免れた。
「こ、こういう場所は苦手だわ……土で服が汚れちゃう……」
「冒険者やるなら慣れなきゃ仕方ないよ。いちいち気にしてたら進めない」
「むー……わかってるけど……」
拗ねながらも、ティアはなんとか僕の後ろについてくる。エリーナは特に不満を言うこともなく淡々と先へ進んでいく。やはり僕らより経験があるからか、森の地形にも慣れているようだ。
しばらく歩くと、小さな開けた場所に出た。木漏れ日がそこだけ妙に明るく注ぎ、風に乗って薬草らしき香りがかすかに漂ってくる。
「この辺かな……。あ、あった!」
エリーナが指さした先には、鮮やかな緑色の葉を広げた草が数本まとまって生えていた。茎の先端に白い小花をつけていて、かすかに甘い香りを放っている。
「これが依頼された薬草だね。……うん、間違いないと思う」
「やった! それじゃ、私が摘むわ!」
ティアは喜び勇んで近づくと、腰を曲げて草を引き抜こうとする。が、フリルスカートが地面に引っかかり、
「あ……えいっ、うわっ……!!」
危うく転びそうになる。慌てて僕が腕を引っ張って支えたため、なんとか尻餅は回避。
「もう……危なっかしいな。スカート踏んでるよ」
「うぅ……こんな可愛い服を自ら汚してしまうとは……」
情けなさそうに呟きつつ、今度は慎重に薬草を摘み取る。短剣を使って根元から丁寧に切り取っていくと、たちまち周囲には甘い香りが濃くなったように感じられた。
エリーナも手伝いながら、必要分の薬草を集める。僕は見張り役も兼ねて辺りを見渡していたが、今のところ魔物の姿はない。
「平和だね……今はまだ、こっちに危険は回ってきてないのかな」
「そうね。ただ、王都近郊の治安が悪化しているのは本当らしいわ。ギルドで聞いた話だけど、少し前に盗賊が近くの村を荒らしたって噂もあるみたい」
エリーナがしんみりとした口調になる。ティアが顔を上げて、少し不安そうに目を細めた。
「盗賊……怖いわ。モンスターの方がまだわかりやすいのに。人間相手じゃ、私みたいな可愛い子が狙われたらどうするの?」
「自意識過剰だけど、まあ危なくないとは言えないよね……」
「でしょ! だからもっと私を大事に……って、きゃああっ!?」
突如ティアが悲鳴を上げて後ずさる。彼女の目線の先を見ると、草むらから小型の魔物がのそのそと出てきていた。丸っこい胴に小さな牙、ネズミのようにちょろちょろ動きながら、じっとこちらを見ている。
「こ、こっち見てる……きゃあ、怖い!」
「そんなに大きくないから大丈夫だよ。ほら、落ち着いて……」
僕は盾を構えつつ、一歩踏み出す。すると小型魔物は警戒してか、鋭い声を上げて威嚇してきた。
「ティア、短剣は……?」
「こ、ここにあるわよ!」
「目を開けてちゃんと構えて!」
「きゃー!」
もはやお決まりの展開だ。ティアは目をきつく閉じて、半ばヤケクソで短剣を振り回そうとするから、僕は慌てて頭を下げる。
「だから僕を斬らないで!!」
「わ、わかってるわよー! もう!」
魔物も驚いたのか、いったんひるんで後退する。それを見逃さずにエリーナが素早く詠唱を始め、細い氷の槍のような魔法を発射した。
シュッという鋭い音がして、魔物の足元に氷の杭が突き刺さり、逃げ道を封鎖する。
「シヴァル!」
「うん! 《エア・ブロウ》!」
僕も集中し、小さな風魔法を放つ。ボンという音とともに魔物は吹き飛ばされ、慌てて森の奥へと逃げ込んでいった。
「ふう……何とか大事にはならなかったね」
「はあ、はあ……やっぱり私、魔物苦手だわ……」
肩で息をするティア。わずかに怯えつつも、どうにか踏みとどまっただけでも成長したのかもしれない。
僕たちはそれからも警戒を保ちつつ、必要数の薬草をしっかり採取。森を出るころには夕方近くになっていたが、特に大きなトラブルはなく依頼を無事完了できた。
夜。ギルドに戻って報告を済ませると、職員さんが「ありがとうございました」とにこやかに迎えてくれる。
「お疲れさまでした。これで十分条件は満たしてますね。報酬をお受け取りください」
「やったー! お金ゲットだわ!」
ティアは嬉しそうに小さな袋を握りしめる。報酬はそこまで高額ではないが、少なくとも生活と鍛錬に必要な費用ぐらいにはなるだろう。
一方、エリーナはギルドの奥から持ってきた書類を眺め、少し考え込んでいる。
「……あら、また新しい通知が貼り出されてるわ。明日には何か発表があるのかも」
「迷宮関連の情報かな?」
「たぶんね。ちょっと確認してくる」
エリーナがさっさと奥へ向かっていくと、ティアがわくわくした表情で僕の腕をつつく。
「ねえ、もし明日迷宮の正式公表があったら、私たちもすぐに行くのよね?」
「もちろん、行きたい気持ちはあるけど……準備は大丈夫? 装備もまだ揃ってないし、迷宮はウォーウルフ退治とか薬草採取とは段違いで危険だと思うよ」
「うぐ……そ、それはそうだけど、考えてる暇があったら先に突っ込んだほうがいいような気もするわ。人気がでる迷宮なら、いいところを全部上位ランカーに奪われちゃうんじゃない?」
彼女の言いたいことはわからなくもない。新迷宮の発見は大きなチャンスであり、低ランク者でもレアアイテムや魔物を討伐すれば一気に評価が上がる可能性がある。
けれど、同時にリスクも高い。焦って突っ込んでしまえば、文字どおり「命取り」だ。
「僕だってチャンスは逃したくないよ。でも……」
「だけど、怖いのは嫌なのよね。あんたも私も……正直、どれだけやれるか分からないし……」
ティアが珍しく弱音を漏らし、眉を下げる。それでも、その瞳にはどこか輝くものがあった。
「……でも、私、やっぱり行きたいな。『可愛い』だけで終わりたくないもの。私もいつか、『あの可愛い子、実はすごいんだよ!』って言われるようになりたいの」
らしくないほど素直な独白に、僕は少し胸が熱くなる。あまりにポンコツな言動ばかり目立ってしまう彼女だけれど、本当は誰よりも必死なのかもしれない。
「……わかった。僕も力になりたい。ティアが頑張るなら、僕も一緒に頑張るよ」
「シヴァル……!」
そのとき、少し離れた場所からエリーナが戻ってきた。どこか神妙な面持ちだ。
「大まかな話を聞いてきたわ。どうやら、明日正午に迷宮探索に関する正式な告知が出されるらしい。場所や参加条件も同時に公表されるみたい」
ティアが「やった!」と歓声を上げる。僕もそわそわしてきた。いよいよ動き出すのか。
するとエリーナは言葉を続ける。
「ただ……かなりの数の冒険者が殺到しそう。それに伴って、闇ギルドやならず者も活発化しているという情報も入ってるらしい。ギルド側も警備を厳しくするそうだけど、トラブルは避けられないかもしれない」
「やっぱり、そんな感じだよね……」
「うん。だから、二人とも無茶しないようにね。迷宮は逃げないから、準備不足で突っ込んで痛い目を見るのは避けるべき。……特にティア、あなたはナマケモノしか生息しない森でも生存競争に敗れるポンコツなんだから」
「ちょっとー! ここで言う!? というか、流石にそこまじゃないわよー!」
ティアは怒ったように頬をふくらませるが、エリーナは苦笑いするだけ。僕も思わず吹き出しそうになる。
だが、内心では緊張感も高まっていた。ランク最下層の僕とティアが、どこまでやれるのか。早まってしまえば大きな犠牲を出しかねない。
それでも――。
この世界で生きる以上、挑戦しなければいつまでたっても底辺のまま。立ち向かう勇気を持たず、ただ怯えていては始まらない。
僕はすっと深呼吸して、意志を固める。
「明日、正式発表を聞いたうえで、行くかどうかを決めよう。もちろん、行く前に防具や装備はちゃんと揃えること。そこは絶対だよ、ティア」
「う、うん……わかったわ。けど、可愛い要素も譲らないからね!」
「そこは自由にどうぞ……」
こうして僕たちの心は、次の一歩を踏み出そうとする。新たに姿を見せる迷宮――そして、暗躍するならず者集団。
夜の闇が王都を包む頃、僕たちは不安と期待を胸に、静かに明日を待つのだった。