第三話 ちゃんと走るのってだいじ!
ウォーウルフ退治のクエストを終え、僕たちがギルドに戻った頃にはもう日が暮れていた。受付に報告をしてみると、案の定大きなポイントにはならなかったものの、「小型魔物の群れを撃退した」という成果はしっかりと評価された。
「ふふふ……! ほんの少しだけどポイントが増えたわ!」
ティアは嬉しそうに報告書を眺めている。得意げに頬を緩ませながら、そのピンク色の髪を弾むように揺らしている姿は、まるでお祭りでも始まったかのようだ。
僕も正直ほっとしていた。初めてまともにクエストを成功させた実感がある。今までは雑用や途中リタイアばかりだったから、こうして評価されたのは素直に嬉しい。
それにしても――。
「ずいぶん疲れたけど、明日はどうする?」
「私は休むわ! 当たり前でしょ? こんなに頑張ったんだから、ご褒美が必要よ!」
そう言い放ち、ティアはふらりと横に倒れ込むように腰掛ける。どうやら慣れない長距離移動と戦闘の疲労で、体がくたくたらしい。
受付の職員は、そんなティアに少し呆れたような笑みを向けたが、すぐにきりっと表情を改め、
「そうそう、先ほどギルドに追加の情報が入りましてね。貴重な迷宮が発見されたという噂が広がっているんです。今は上位ランカーたちがそちらに向かっているようですが……もしかしたら、そこでも何か新しいクエストが出るかもしれませんよ」
「迷宮が……?」
僕は思わず身を乗り出した。新たに発見された迷宮があるというのは、滅多にない大ニュースだ。そこには貴重な魔物や素材が眠っている可能性も高いし、大きくランクを引き上げるチャンスにもなる。
ティアも目を輝かせて口を開いた。
「迷宮……! 聞いただけでワクワクするわね! なんだか冒険者っぽい!」
「けど、相手は手強い魔物の巣窟だと思うよ……。簡単にはいかないと思うけど」
「それでも! やってやろうじゃないの! 可愛さの見せどころね!」
──気付けば、ティアの目は完全に「やる気モード」に切り替わっていた。ほんの数秒前までぐったりしていたのが嘘のようだ。まあ、こういう切り替えの早さも彼女の取り柄といえば取り柄だが……。
エリーナがそこへタイミング良く姿を見せ、話を聞いていたらしい。
「迷宮、ね。上位ランカーたちが集まってるなら、私たちのような中位以下は様子を見たほうが安全かもしれないわよ。……特にティア、あなたはまだ戦闘に慣れてないでしょう?」
「むむー! エリーナまでそんなこと言うなんてひどいわ! 私は可愛いから、これからバーンって一気に強くなる可能性だってあるのよ!」
「危険は承知で、それでも行くって言うなら止めないわ。けれど……せめて装備や準備はしっかり整えてからにしてね。あなた、いつも服装ばかり気にしてるから、戦闘用の防具を買うお金が残ってないでしょう?」
「う……そ、それは……」
反論できないようだ。実際、ティアはやたらと派手な服ばかり新調し、肝心の防具をおざなりにしている。
そんな彼女を横目に、僕は迷宮への興味と不安を同時に抱えていた。今のままの実力で、上位ランカーたちが殺到するような迷宮に飛び込んでも、ただ危険なだけかもしれない。
でも、もしそこで活躍できれば、大きなチャンスになるのは確かだ。
「……迷宮の場所は、ギルドで公表するのかな?」
受付の職員に尋ねると、苦い顔で答えが返ってきた。
「正式にはまだ公表されていません。上層部が情報を精査しているところで、恐らく確定次第、大規模クエストとして出されるでしょう。早ければ一週間後には告知が出るかもしれません。場所は王都から遠くないと言われていますが、詳細はまだはっきりしませんね……」
「そうなんだ……」
「ただ、一部のベテラン冒険者たちは、すでに独自ルートで情報を仕入れて動いているらしいですよ。私たち下っぱの職員にも詳しいことは分からないのですが……」
その日は結局、情報が曖昧すぎてどうしようもなかった。僕とティアは宿に帰り、まずは明日以降の方針を話し合うことにした。
エリーナも少しだけ一緒にいてくれるようだ。宿の食堂で簡単な夕食を済ませ、テーブルを囲んで三人で顔を合わせる。
「まずはお疲れさま。ウォーウルフ退治、見事にこなしたんですって?」
「うん。まあ、なんとかね。ティアのポンコツぶりに何度かヒヤッとしたけど……」
「ちょっと、失礼ね! ポンコツじゃないわよ! ただ、少しだけ慣れてないだけなんだから!」
ふてくされるティアに、エリーナは淡々と返す。
「でも、結果として成功したんだから上出来じゃない。ほんと、危ないところはなかったの?」
「ええ……ティアが斬りかかるとき、僕の方に向かってきたことが何度か……」
「きゃあー! やめてその話! 恥ずかしい!」
ティアは顔を真っ赤にしてテーブルをばんばん叩く。エリーナは吹き出しそうなのをこらえた表情だった。
「まあ、この子ならそんなこともあるわよね。ともかく、おめでとう。……でもその様子だと、まだまだ修行は必要って感じかしら」
僕は苦笑しながらうなずく。明らかに課題は山積みだ。弱いなりに戦闘技術を身につけなければ、今後の厳しいクエストには対応できない。
そんな僕たちの考えを察したのか、エリーナが真剣な口調になる。
「ねえ、シヴァル。ティアのこと、よければこれからも見てあげてくれないかしら。私がずっとそばにいられればいいんだけど、私もギルドから別の依頼を受けることがあるから……」
「うん、それはもちろん。僕も自分のためにもっと強くなりたいし、ティアと一緒にやれば互いに成長できると思うんだ」
そう答えると、ティアがちらっとこっちを見て、照れたように目をそらす。
「……べ、別にあなたがいなくても私は大丈夫だと思うけど……まあ、ありがたく思っておくわ!」
素直にお礼を言えないあたりがやっぱり彼女らしい。
そのまま僕たちは、ひとまずクエストで得た少しの報酬を分け、明日以降の予定は未定のまま解散することにした。ティアは「体力をつけるためのトレーニングってやつ? なんだか面倒だけど、頑張ってもいいわよ!」と気合いを空回りさせていたが……実際にやり始めたらすぐ音を上げそうな気もする。
夜更け。宿の自室に戻った僕は、窓の外を見ながらふと考える。
ティアは本当にポテンシャルを秘めているのだろうか? それとも、ただのドジで終わってしまうのか?
でも、そんな彼女と一緒にいると、不思議な活力をもらえる気がするのは事実だ。あの大声で突拍子もない発言をする姿は、僕にはない大胆さを持っていて、見ていると自分まで挑戦心が湧いてくる。
同時に、迷宮の噂も頭を離れない。上位ランカーが集まるような場所で、僕たち底辺ランカーがどこまでやれるのか……危険性と希望が交錯する。
「……絶対に強くなりたい。いつかこの世界でありのまま胸を張って生きられるように」
そっと呟くと、頭の片隅でティアの「可愛いは正義よ!」という声が聞こえるような気がして、思わず苦笑が漏れた。
彼女の言い分はともかく、僕は僕なりの正義を見つけてみたい。いつか自分の力でランクを上げ、かっこよく戦えるようになれたら……。
そうして迎えた朝。
エリーナから一足早く出発するという伝言があった。どうやらギルドの方で呼び出しを受けたらしく、「先に行くわね」とだけ短いメモが残されている。
僕とティアは、今日のところはクエストに出ず、王都近郊で鍛錬や基本的な魔法の練習をする計画を立てていた。
「さて、と……まずは走り込みから始めようか。体力がないとクエストもこなせないしさ」
「走り込みぃ……? そんな泥臭いこと、本当に必要なの?」
「当たり前だよ……歩くだけでもへばってたでしょ?」
「うぐぐ、言い返せない……」
嫌々ながらもティアは軽く屈伸運動をして、準備運動を始める。ピンクの髪がゆらゆらと揺れ、フリル付きの服がやっぱり走りづらそうだ。
「でも、ま、今日のうちにどれだけ頑張れるかで、次のクエストの成否も変わると思うよ。迷宮に行くなら尚更、基礎体力は絶対必要だし」
「うう、そうだけど……私、可愛いからあんまり汗かきたくないんだけど……」
「……そんなんで迷宮に行けるのかな」
「う……や、やるわよ! もう、シヴァルの意地悪!」
そうして僕たちは王都近くの城壁外に出て、軽いジョギングから始めた。ティアは「はあ、はあ……もう無理……」を連発しながらも、なんとか走っている。
ところが、そんな朝の城壁外には妙な空気が漂っていた。冒険者の姿よりも、妙に殺気立った雰囲気を醸す人々がちらほらといる。彼らは何やらひそひそ話をしながら、こちらを睨むように通り過ぎていった。
「……あれ、何だろう」
「んー? もしかして、迷宮情報に踊らされたかわいそう冒険者たち?」
「うーん、それは僕らにも特大のブーメランになるなぁ。でもなんだか、ただの冒険者とは違う雰囲気だな……」
僕たちは気にしながらも、直接関わることは避け、そのままジョギングを続ける。
だが、その「不穏な影」は徐々に広がっているようだった。城壁の上にも、やたらと武装した騎士団風の集団が配置され始め、険しい表情で見張りをしている。
「……なんか、王都の周りが騒がしくなってきたね」
「うん。迷宮がどうとか、魔物が増えたとか……まだ正式には発表されてないけど、いろいろ不安になるわ」
僕は胸騒ぎを感じながらも、今はまだ情報が不足している。とにかく僕らは目の前の鍛錬を進めるしかない。
そう、焦らずに力を蓄えておくんだ。いざ本当に迷宮が解放されたとき、あるいは別の大きな事件が起こったときに備えて……。
その日の夕方、ティアは全身汗まみれになりながらもなんとか耐え抜いた。
「はあっ……はあっ……も、もう無理……お姫様抱っこで宿まで運んで……」
「いや、僕もくたくただから無理だよ……」
「うぅ……こんなに大変なのね、鍛錬って……私、戦いより鍛錬のほうが辛い気がする……」
「言えてる。僕もやっぱり体力不足を痛感したよ」
だけど、その苦しさの先にしか強さはない。誰かに与えられるものでもなければ、急に訪れる奇跡でもない。
僕とティアはそんな当たり前のことを、ようやく実感し始めたようだった。
しかし、その夜遅く。僕たちが宿でぐっすり休んでいる頃、王都の一角で小規模な衝突事件があったという噂が駆け巡る。まだ詳しいことは分からないが、どうやら「謎の集団が王都に潜り込もうとした」とか、「迷宮探索を強行しようとした無法者がいるらしい」とか……。
混沌とした情報が行き交う中、僕たちの冒険は、まだ始まったばかりだ。
何も知らず眠り込むティアのこのとを考えながら、僕は少しだけ落ち着かない胸の鼓動を感じる。
この世界ではランクがすべてだと、誰もが言う。けれど僕たちのような下位ランカーにも、きっと自分たちなりの物語があるはず。
そう信じて――。