第二十九話 夜さんぽ!
ランク昇格の喜びが冷めやらぬまま、僕たちはギルドの仲間数人と小さな祝宴を開くことになった。場所は迷宮に隣接する酒場風の休憩所。ワイワイと盛り上がりながらD級入りを祝うという、わりと良くある風景だ。
「乾杯! ティア、シヴァル、エリーナ、昇格おめでとう!」
「ありがとー!」
ティアはその場で小さくステップを踏んで回り、ピンクの軽鎧と白いケープをふわりと揺らす。見知らぬ冒険者からも拍手や声援が飛んでくる。やはりティアは華やかな空気を運ぶ天才だと思う。
「騎士様と姫君の物語、ますます盛り上がるんじゃない?」
「本当よねぇ。ティアちゃん、シヴァルくんといつ結婚するの?」
からかうような声が飛ぶが、ティアはまんざらでもない様子で「えへへ」と照れ笑いしている。僕は思わず頬を熱くするが、全力で否定もできずに曖昧な笑顔を浮かべるしかない。
「ねえ、シヴァル。私たちせっかくD級になったんだし、このまま深部に向かう準備とか始めちゃう?」
祝杯の席もそぞろに、ティアが早くも次のステップに夢を馳せる。僕は苦笑交じりに返す。
「いきなり深部は無理だよ。D級といってもまだ下位ランクだし、C級以上の実力者が揃ってるわけじゃない。闇ギルドだっているし、焦りは禁物」
「そうだけど……うう、姫の野心は止まらないわ! 私、騎士様との冒険をもっと盛り上げたいし……あ、でも大怪我は嫌よ?」
「ほんと、わがままだなあ……」
エリーナが苦笑いしつつ、グラスを傾ける。
「ま、深部の扉が本格的に動き出すのはもう少し先でしょうし、その間にさらに実力を積めばいいんじゃない。焦って飛び込んで命を落とすより、確実に進んでから大きなチャンスを狙う方が賢いわよ」
そんな会話をしている最中、遠くの席で誰かが大きな声を上げた。ざわっと周囲が騒がしくなる。どうやら「闇ギルドと繋がっている奴がいるんじゃないか?」とか「さっき盗賊みたいな連中を見かけた」などという噂話が飛び交っている。
「またか……本当にいつまで経っても闇ギルドの影が消えないのね」
「うん。王都の治安も悪くなってるし、私たちも警戒しておかないと。特にティアが目立つ存在なだけに狙われやすいし……」
「そうよねぇ。でも、大丈夫。姫には騎士や仲間がいるんだから!」
ティアの無根拠な自信を脇に、僕たちは内心で危機感を抱く。実際、上位ランカーや騎士団が見回りを強化しているが、それを潜り抜けて暗躍する闇ギルドはかなり厄介だろう。
しかし、今日はせっかくの昇格祝い。僕たちはほどほどに警戒しつつ、仲間との会話を楽しんだ。
――夜が更け、ギルドの灯りが落ち着きを見せ始めたころ、ティアがふらりと僕の隣に腰を下ろす。普段は皆の中心で大声を出しているのに、今日は珍しく静かだ。
「……シヴァル、ちょっと散歩しない?」
「え、散歩?」
「うん……外の夜風に当たりたいの。姫として、騎士と夜の街を歩くのも悪くないでしょ?」
その誘いに僕は少し戸惑いつつも、「まあ、いいか」と立ち上がった。エリーナには「ちょっと外に行ってくる」とだけ伝えて。
夜の王都の道は比較的静かだが、闇ギルドの脅威を考えると気楽には散歩できない。しかし、ティアは自分で短剣を抱えているし、僕も盾は持ち歩いていないが最悪魔石で対応は可能だろう。
「騎士と姫のロマンチックな散歩って、どんな感じなのかしらね……」
「そんなにロマンチックじゃないと思うけど……」
僕が呆れ交じりに言うと、ティアは笑みを浮かべて、僕の腕をぎゅっと掴んだ。
「ほら、姫様の腕を取るのが騎士でしょ? でも私が先に掴んじゃうわよ!」
「わ、わわ……」
頬が熱くなる。あまりの急接近に心臓がバクバクだ。
夜風がひんやりと肌を撫でる街道を、僕たちは並んで歩く。ティアがいつものようにおしゃべりするかと思いきや、意外に口数が少ない。その分、さっきのように腕を組んだまま離そうとしない。正直、どういう反応をすればいいのか、僕は分からなくなる。
「……シヴァルは、騎士様になりたいとか、あんまり考えてないの?」
「え? そりゃまあ、騎士団に入るって選択肢もあるかもしれないけど……僕は冒険者としてやっていきたいし、騎士団は厳格な規律では僕は受け入れられないだろうね」
「ふうん。そうよね、あなたは自由人だもん。……でもさ、このまま私と一緒に騎士と姫でいるのも悪くないわよ? 冒険者だって騎士のように振る舞うことはできるわけだし」
いつになく弱気というか、素直な感情をさらけ出してくるティアに、僕は胸の奥がざわつく。彼女はまるで、これからずっと一緒に行動したいと遠回しに言っているかのように聞こえた。
「……ティアが望むなら、僕はいつでも守るよ。それが騎士かどうかはともかく、ね」
そう答えると、ティアはうっすら涙を浮かべて笑う。街灯の下で見るその笑顔は、変に照れくさいほど可愛らしかった。
「ふふ……ありがと。……なんか私、D級になってさらに欲が出てきたのよ。いつか姫らしく、深部で大活躍して、多くの人に慕われたい。けど、そのためには私だけじゃ足りない。シヴァルが支えてくれるなら、私……もっと強くなれる気がするの」
心臓がドキリとする。これまでの僕らは、ただのポンコツ同士の下位ランカー仲間にすぎなかった。が、こうしてD級となり、少しは周囲からも認められ始めると、二人の間に微妙な変化が生じているのがわかる。
「……いいよ。僕はティアを助ける。姫を守る騎士でも、相棒でも、なんとでも呼んでくれれば」
「そ、そう……なんでも呼んでいいのね? じゃあやっぱり騎士様! ふふ、いつか本当にそう呼ぶ日が来るかもしれないわ」
ティアは大満足の様子で頷き、僕の腕をさらにぎゅっと抱き寄せた。鼻先に甘いシャンプーの香りが漂い、妙に意識してしまう。やばい、こんなシーンは姫×騎士の恋そのものじゃないか……。
――しかし、ふと視線を上げると、闇夜の路地裏にちらりと動く影が見える気がした。何者かがこちらを見ているのだろうか。ぞくりと背筋が寒くなる。
「……どうしたの、シヴァル?」
「あ、いや……なんか視線を感じた気がして……」
「えっ……闇ギルド?」
ティアが怯んだように身を固くする。僕も盾こそ持っていないが、万が一に備えて魔石を手の中で温める。しかし、しばらく注視しても何の反応もない。気配は消えている。
「……気のせい、かもしれないね。夜道だし、酔っぱらいでもいたのかも」
「そう……ならいいんだけど」
ただ、心臓の鼓動はまだ落ち着かない。ティアを守るという言葉を口にしたばかりで、もし本当に敵が襲ってきたら――僕は彼女を傷つけずにいられるのか。そんな不安がこみ上げてくる。
「まあいいや。姫と騎士の夜道散歩は、これくらいで十分かもね。明日からまた忙しくなるし、そろそろ戻ろうよ」
「う、うん……ありがとう。なんだか今日は安心して眠れそう」
ティアが柔らかな笑みを返す。二人で腕を組んだまま宿に戻る道すがら、僕は心の中でひそかに誓う。
闇ギルドがどう動こうと、深部の扉がどうなろうと、僕はティアを守る。たとえその先に、自分の重大な秘密が暴かれるとしても、いまはそれが最重要ではない気がするのだ。
それが姫と騎士の物語の結末をどう変えるかはわからないけれど、僕は迷わない。
ティアを守ると決めたのだから。
――こうして、僕らの昇格祝いの夜は更けていく。
だが、ほんの少し漂う不穏な空気は、深部の影がじわじわと迫っていることを示唆しているかもしれない。騎士と姫の恋が盛り上がるほど、物語は急展開へと誘われる――。




