第二話 初めてのクエストは大騒ぎ
翌朝、ギルドのクエスト掲示板を眺める僕たちの姿があった。昼前だというのに、まだそれほど混んでいない。どうやら昨晩、大型クエストの討伐隊が出発した影響で、腕に自信のある冒険者たちがごっそりいなくなっているらしい。
「さて、何を受けようか。無難なのは雑用系のクエストだけど、あまりポイントにはならないし……」
「そんなの嫌よ! 雑用でランクなんて上がるわけないでしょ? 私が目指すのは舞踏会の面々も真っ青な華麗なるランクアップなんだから!」
腰に手を当て、ティアがふんすと息を鳴らす。隣でエリーナが呆れたように微笑んだ。
「でも、戦闘や魔法が苦手なんでしょう? ポイントを稼ぐにはそれなりに難度の高いクエストを受けないといけないけど……大丈夫なの?」
「だ、大丈夫に決まってるわ! ね、シヴァル、あんたもそう思うわよね?」
不安そうにこちらを見つめるティア。その目には微妙に涙の輝きがあるような気がする。よほど心配しているのか、それとも言葉だけ強気なだけなのか……。
僕は苦笑しながらも、彼女を励ますように微笑んだ。
「まあ、僕だって戦闘はそんなに得意じゃないけど……できるところまで頑張ろう。無茶するより、まずは難易度が低めだけどそこそこポイントがもらえるクエストを探してみようか」
「ふむ……それがいいかもね」
エリーナも納得した様子でうなずく。そして、僕たちは掲示板の依頼文を片っ端から確認する。
やがて目に留まったのは「農村周辺の小型魔物退治」という良い塩梅な難度のクエストだった。もちろん、雑用クエストよりは危険度が高いが、そのぶん報酬もポイントもそれなりに期待できる。
「小型魔物退治……これならなんとかいけるかな。相手はウォーウルフの魔物やコウモリ型の飛行モンスターらしいね」
「コウモリ……夜になったら襲われるの?」
「日中も出没するのはいるらしいけど、まあ夕暮れまでには片付けるようにしたほうがいいかもね。……どう? やってみる?」
僕がティアを振り返ると、彼女はぎゅっと両手を握りしめて一瞬考え込む。
「……私、可愛いからコウモリがそれに嫉妬して襲われたりしないかしら?」
「関係ないと思うけど……」
「ま、いっか! よーし、やるわよ! 可愛いは正義! ここで尻込みしたら可愛い私に傷が付くしね!」
その理屈はよく分からないが、ティアのやる気が出てきたようなので何よりだ。
受付で手続きを済ませ、僕たちは早速ギルドを出発した。エリーナは今日は別の用事があるとかで同行せず、「また何かあったら連絡して」と言い残し、あっさり去っていった。
「じゃあ、二人で頑張ろうか」
「うん、任せて! こう見えても私、やるときはやるんだから!」
勢いの良い返事に少し安心しつつ、僕はカバンを背負い直す。目指す農村までは半日ほどの道のり。できるだけ早く向かって、状況を確認してから魔物を退治するのが今回の任務だ。
ところが、出発して数時間、まだ目的地の農村に到着する前だというのに、さっそく問題が起こる。
「ねえねえ、シヴァル。ちょっと休憩しない?」
「え、もう? さっき食事したばかりだよ?」
「だって、足痛いし……ぽんぽん(お腹)も痛い気がするし……」
「ぽんぽんって今日日聞かないなぁ」
ティアはしょんぼりと肩を落として座り込んでしまう。どうやら慣れない長時間の徒歩移動に早くもバテているらしい。衣装も動きやすいとは言えない格好だし、まあ無理もないのかもしれない。
僕は仕方なく、少し木陰に寄って二人で休むことにした。
「はあ……思ったより道のりが大変ね。私、こんなに歩いたの初めてかもしれない……。あ、でも、ここで私が限界とか言ったら、シヴァルも困るわよね?」
「正直、困るかも……でも大丈夫。焦らず行こうよ。まだ時間はあるんだし、夜になるまでには村に着けると思うから」
「うう、優しい……! ありがとう、ちょっと元気出たかも!」
嬉しそうにティアが笑みを返す。こういう素直なところは可愛げがあるんだけどな……。
結局、少し長めの休憩を取ってから再出発し、なんとか日が高いうちに目的の農村に到着した。村人に事情を聞くと、最近ウォーウルフ系の魔物が夜な夜な出没して家畜を襲うようになったらしい。昼間でも畑を荒らすコウモリ型の魔物が飛び回っていて、とにかく安心して暮らせないのだという。
「困ったもんだよ。俺たちも武器を取って立ち向かいたいんだけど、素人じゃ逆にケガしちまうからさ」
村長らしき人物が辛そうに顔をしかめる。
「分かりました。僕たちもそんなに強いわけじゃないけど、ギルドの依頼で来ました。できるだけ頑張ります」
僕がそう伝えると、ティアが横からしゃしゃり出た。
「そうよ! この可愛い私が来たからには、魔物もイチコロよ! えっと、なんて言うのかしら……わ、私たちは救世主みたいなものね!」
が、周囲の村人たちは「はあ……?」という表情。彼女の可愛い救世主アピールはどうにもピンと来ないらしい。
「……ティア、あんまり気負いすぎないほうがいいよ?」
「え、だって目の前で褒められたいじゃない!」
「先に退治を成功させないと、褒めようがないと思うけど……」
「むむ、そうか。……よし! だったらさっそく魔物をぶっ倒すわよ!」
ポンコツぶりを発揮しつつも、ティアは気合十分。こういうときの行動力は頼もしい……のかもしれない。
僕は村長に「出没する場所や時間帯」を再確認し、夕暮れまでにウォーウルフの魔物が集まりそうな森の近くへ足を運んだ。そう長い戦いにはしたくない。もし大量に出てきたら撤退も考えよう。
「……ここで待ち伏せするしかないかな。ティア、準備はいい?」
「いつでもかかってこいって感じよ! シュッ、シュ!」
彼女は気合を入れてパンチを繰り出す。
魔物と素手で戦うつもりだろうか。それを指摘すると、少し恥ずかしそうにそそくさと腰の短剣をぎこちなく握りしめて構え直すが、手が少し震えているのが分かる。緊張しているようだ。
僕が言えることはただ一つ。
「落ち着いて、周囲をよく見て。無理はしないこと」
「わ、分かってるわよ。任せて!」
それから数十分後。森の奥からかすかな物音が聞こえ、やがて何匹かの灰色のウォーウルフが視界に入ってきた。手負いの者がいるのか、少し興奮気味だ。
「……うっ。やっぱり怖い……」
「ティア、ここで逃げたら何も得られないよ。僕も一緒だから」
「……う、うん!」
なんとか彼女を鼓舞し、僕たちは静かにウォーウルフたちへ接近した。しかし、ウォーウルフの感覚は鋭い。すぐに気配を察知し、こちらに向かって吠え掛かってくる。
「がるるる……!」
「きゃあっ!」
ティアは短剣を握ったまま、思わず目をぎゅっとつぶりながら叫ぶ。そしてそのまま、ほとんど自棄になってウォーウルフに斬りかかろうとする。
「えいっ!」
「わっ、わわ……! ティア、目を開けて!」
案の定、ティアは闇雲に振り回しているだけで、ウォーウルフどころか僕を斬りそうな勢いだ。必死で身をかわしながら、
「あわわわ、刺さないでください、僕を!」
「きゃあー! こっちに来ないでー!」
どちらが魔物かわからない騒ぎになりつつ、僕は慌ててウォーウルフの攻撃を盾で受け止める。ひっかき傷をいくつか食らいながらも、どうにか持ちこたえているが、このままではまずい。
「くっ……!」
僕は咄嗟に懐から魔法石を取り出し、小さく詠唱を始めた。微弱な魔力しかないけれど、風の魔法ならウォーウルフたちをひるませるくらいはできるはず。
「……《エア・ブロウ》!」
ごうっと風の塊がウォーウルフたちを直撃し、何匹かが後方に吹っ飛ぶ。完全に倒せたわけではないが、一瞬の隙を作ることは成功した。
「ティア! 今のうちに反撃を……ティア?」
振り向くと、ティアはその場でへたり込んでいた。怖さで足が震えているらしい。短剣は近くに落ちている。
「もう、怖いよぉ……!」
そんな彼女を見ると、僕も胸が痛いが……ここで僕たちが逃げたら、また村が襲われることになる。
「ティア、少しでいいから頑張って。大丈夫、僕たちだけじゃどうにもならなくなったら退却するから!」
「……でも……」
「僕がウォーウルフを引きつけるから、その間に後ろから一撃を入れてくれないかな? 倒しきれなくてもいいんだ。とにかく少しダメージを与えれば逃げる個体も出てくるかもしれないから」
必死で説得すると、ティアは震える声で「わかった……」と応じた。
「目、目を開けて戦えばいいのよね……!」
「うん、頼む!」
そしてもう一度、ウォーウルフたちが襲いかかってくる。
僕は盾を構え、できるだけ敵の注意をこちらに引きつけるように動きながら、ウォーウルフの爪や牙を最低限防ぎ、決定打を避けていく。正直、防戦一方で相当きつい。視界には鋭い牙がちらつき、心臓がバクバクと鳴るのを感じる。
しかし――。
「こ、ここよっ!」
ティアが意を決して短剣を振り下ろした。狙いは甘いが、ウォーウルフの横腹にかすったようだ。小さい悲鳴を上げて後退するウォーウルフ。
「きゃああっ! 当たった!? でも全然手応えが……」
「十分だよ、ティア!」
怪我を負ったウォーウルフは仲間に低く吠えかける。どうやらこれ以上の戦闘は分が悪いと判断したらしく、他のウォーウルフたちも一斉に森の奥へ逃げていった。
僕は安堵の息をつき、へたり込むティアのもとへ駆け寄る。
「や、やったね……なんとか追い払えた……」
「はあ……はあ……」
ティアは大粒の涙を浮かべながら、しかし必死に笑みを作っている。その顔は怖さをこらえたままのぐちゃぐちゃな表情だが、なぜか少し誇らしげでもある。
「こんなの……こんなの、もうこりごりだけど……でも私、少しだけ頑張れたかな……?」
「うん。すごく助かったよ。ありがとう、ティア」
「あ……うん……!」
そう言うと、ティアは今度こそ糸が切れたように脱力し、僕に頭を預けてぐったりする。息が荒く、手足も力が入らないらしい。
「大丈夫?」
「ちょっと……体が震えるけど……あなたがそばにいてくれて良かった……安心する匂いがする」
その言葉に、僕は少しだけ胸が熱くなった。いつもやかましい彼女が、素直に感謝の気持ちを示してくれることが、なんだか少し嬉しい。
こうして僕たちは、何とかウォーウルフの群れを追い払い、被害を減らすことに成功した。彼らは危険があると悟ると縄張りを移す習性があるので成果としては十分だろう。村に戻ると、みんなが「よくやった」とねぎらってくれる。
「本当に助かったよ。まだ完全にいなくなったわけじゃないかもしれないが、ひとまずこれで被害が出ることは減るだろう。ありがとう!」
村長の笑顔に、僕とティアはそろって深く頭を下げた。
帰り道、ティアは足をひきずりながらも、どこか誇らしげに空を見上げている。
「……思ったより、怖かった」
「そうだね。僕も正直、怖かったよ」
「でも、私……ちょっとだけ成長した気がする!」
胸に手を当て、ティアはふふんと鼻を鳴らす。相変わらず自信満々のようで、その様子に僕はくすりと笑った。
「うん。確かに、よく頑張ったと思う」
「でしょ? これで私のランクもぐっと上がるはずよ! ……上がるわよね?」
「……さあ、どうだろう。少なくとも少しはポイントもらえるはずだよ」
「やったー! 私、可愛いだけじゃなくて強くもなれるかもしれないわ!」
言葉だけは強気全開だけれど、その足取りはふらついている。僕はそんな彼女を支えながら、再び半日の道のりを歩いてギルドへと帰還するのだった。