表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/47

第1話 名前の悩み

 矢橋 真子奈。読み方は「やはし まこな」私の本名だ。ちょっと珍しいと言われるけど、それほど変わっているわけではない、普通だけど特別な私の名前。


 真子で良かったのに、なんで「奈」を付けたんだろうと、ふと考えてしまうことがある。真子に奈が付くことで、初対面の自己紹介のリズムが上手くいかなくなる。


「私の周りに"まこ"って子はいるけど、"まこな"は初めてだなぁ」


「……かわいい名前だね!」


 何でもなく通り過ぎる自己紹介の流れが微かに乱れる。名前について何か言われると、自分でも顔が引きつってしまうのがわかる。


 別に適当に、「あんまりいない名前だよね」「かわいい名前? えー、ありがとう!」と答えれば良いことはわかっている。


 難しく考えて言葉に詰まる方が、場の空気を盛り下げてしまう。


 でも、出来ない。矢橋真子奈は私の本名だから。自分にぴったりくっついている言葉だからこそ、思ってもいないことは簡単に口には出来ない。


 「私の名前はーー」と自己紹介をするたびに、表情は硬く、泣きそうでどうしようもない気持ちになる。


 桜咲く出会いの季節、高校一年生の春。自分を知ってもらう上で、名前を声に出すことが多い、この時期。私のHPは少しずつ減っていく。


 クラスのみんなの前で、自己紹介をした時、誰かが「まこな……」と、ぼそりと口にした。


 ヘラヘラと笑って言っていたわけではないから、悪意が含まれていないことはわかる。あまり聞き慣れない名前だから、なんとなく口にしてみたという感じだ。


 私が真子という名前だったら、ぼそりと口に出して確認されることもなかったんだろうなと、もしもの話を考えては一人ネガティブな気分に浸ってしまう。


 クラスの中には、他に珍しいと感じる名前の子は数人いた。私だけが独特というわけではない。


 頭ではわかっているけど、どこかソワソワと気持ちが落ち着かない。


 注目される瞬間は、極力、少ない方が嬉しい。私のことは普通と見てほしい。自意識過剰な一面を自覚させられる度、恥ずかしくてどうしようもない気持ちになる。





 春風がさらっと頬を撫でて、教室の中を駆け巡る。


 私は教室の一番後ろの窓際の席になった。授業中はクラスメートの背中を見つつ、そこまで緊張せずに過ごせる特等席だ。


 一番前の席だったら冷や汗をかいていたかもしれない。


 クラスメートのおよそ70個の瞳が、気まぐれで視線を向けてくる光景は、考えただけで、おろしたての真新しいシャツをねっとりと汗ばませる。


 席替えの時は、今と同じ場所にしてとは言わないけど、出来る限り、後ろの席になりますようにと今のうちから願っている。


 遠い先の未来を考えて、一人あれこれ悩むのは私の悪い癖だ。しかも、起こるかもわからないことを……。少しずつ直していかないとなぁ。


 私は平常心を保つために、ポニーテールにそっと右手を当てて、優しく髪をとかしていく。さらっと指に絡みつく髪の感触は、触り慣れたもので、不思議と気持ちを落ち着かせてくれた。


 髪を結んだ根元の太い部分から、細々とした毛先にかけるラインがお気に入りだ。


 なるべく、何気なく触っているテイを装わなければならない。あまりにも熱心に自分のポニーテールを触っていると、変な目で見られることがあるかもしれない。


「矢橋さんって、髪がきれいで羨ましい!」


「!!」


 右隣の席の女子から、突然声をかけられた。……びっくりした。


 ふわふわとした猫っ毛のショートカット。ボーイッシュで、人懐っこそうな性格をしている。名前は、葉月明子(はづきあきこ)ちゃんだったはず。自己紹介の時、彼女はスイーツ好きであることを口にしていた。


 ファーストコンタクト。


 咄嗟のことに、上手い返しができなかった。不自然とも言える間が、二人の間に広がる。


「あ、急にごめん。驚いたよね」


 葉月さんが片手を前に出して謝る。


「うち、美容室をしているんだ! だからかな、人の髪を見る癖がついちゃって……。矢橋さん、艶がある黒髪をしているから、これは絶対に感想を伝えたいなーと思って。空気も読まずに声かけちゃった。ごめんね」


「いやいや、そんなことないよ! 顔、上げて! 髪……初めて褒められた。嬉しい。ありがとう」


「えー、本当? 私は猫っ毛だからさぁ。だから、矢橋さんみたいな髪の子がいたら目が離せないんだー」


 ちらりと向ける視線に色気を感じた。


 犬と猫の性格が混じったような、人目を惹く子だと思った。葉月さんは男子、女子どちらからも熱い人気を得られそうな魅力がある。不思議とグイグイ来るのに嫌じゃなかった。


「……葉月さんの髪の方こそ素敵だよ! ふわっとしてて、明るく朗らかな雰囲気があるもん」


「あはは。朗らかって。そうかなー」


「うん!」


 褒められたのが嬉しくて、つい褒め返してしまった。事実だったけど、安易すぎただろうか。


「そういえば矢橋さんって、下の名前、真子奈って言うんだよね」


 不意に呼ばれた下の名前に、冷たい衝撃が背筋に走る。何度繰り返しても慣れないから、どうしようもない。


「うん……」


「髪も素敵だけど、名前もかわいいよねー。私、明子って言うけど、別な名前が良かったって思うもんー」


 葉月さんは気を遣って言っているようには思えなかった。本心からかわいいと思って言っているように聞こえた。


「……ありがとう」


 不意打ちに褒められて嬉しかったけど、それ以上に、葉月さんの名前の悩みの方に興味が惹かれた。


「それは、どうして?」


「友達のお母さんと、一緒の名前だったりしてさぁ! 中学の時なんか、40代の担任の先生と漢字と読み方まで一緒だったんだから……」


 おかしいでしょと、あははと笑う葉月さん。


 場の雰囲気を和ませてくれて、とても初対面同士の会話とは思えなかった。コミュニケーション能力が高くて羨ましい。


 ……そっか、葉月さんも名前について悩むところがあったんだ。少し親近感が湧いた。


「それとさ、明子って、まさしく女の子の名前って感じがするじゃん?」


「うん。言われてみればそうかもしれないね」


「すべての『子』がつく名前の人を悪く言うわけじゃないんだけどさ。私は『子』が付く名前は嫌だったなぁ……。苗字も"葉月"で、さらに女子っぽさが出ているし……。あーあ、翼って名前が良かったなぁー」


 葉月さんは私から目を逸らし、表情がくもる。何か思いつめた様子を感じて、私は相槌すら打てなくなる。どうしたんだろう……。


 ハッとした葉月さんが「なんでもない! なんか、私ばかりグイグイ喋って本当にごめんね。矢橋さん話しやすくて……。ちょっと、トイレ行ってくるね!」と席を立った。


 今は授業と授業の間の休み時間。残り時間が少ないけど、大丈夫かな?


 すっきりしない気持ちだけが、心に残る。「翼って名前が良かった」って、一体どういうことだろう。


「だから、行かないって言ってるじゃん!」


 急に、女の子の高い声が耳に入る。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ