第一話 平和な日常
綾人は、冬美と別れてから二分くらいたったあとに、ようやくあんずを引きずっていた手を離した。ほんとはもっと早く離す予定だったけど、考え事をしていたらあんずに腕を引っ掻かれるまで気づかなかった。
あんずは首元を抑えわざとらしく咳をすると不服そうな表情を向ける。
綾人は我が妹からあれこれ文句を言いつけられる前に家に向かって全力で走り始めた。おそらく家につく頃にはあんずも息があがって喋るどころではなくなり文句一つも言えなくなるだろう。まぁ、息が整ったらまた別のことで文句を言われそうな気もするけど。
「ちょっとお兄ちゃんっ! かい……」
あんずがなんかいいかけていたけど、どうせ綾人に対しての罵倒だろうと思い、フル無視して走ることにした。
走り始めて十分くらい経った頃ようやく家についた。久しぶりに全力疾走したせいか、結構息があがっている。後ろからしばらくの間あんずの足音が聞こえていたけど今はもう姿すら見えなくなっている。
そんなに走るの早かったかなと首をひねっているとポケットに入れている携帯水晶板(とある世界ではスマホと呼ばれている)が振動した。
取り出すとあんずからの着信だった。
「どうした?」
『どうした? じゃないでしょっ! 一緒に買い物するって言ったじゃんっ!』
「……ごめん、忘れてた」
『もうっ! おにぃのバカ。 買い物してから帰るからしっかり反省してよねっ!』
「はい」
やっべ普通に忘れてた。そう思いながら着いたばかりの家のドアとは正反対の方向に再び全力ダッシュした。あんずは怒ると何を要求してくるかわからないからここは大好物のロールケーキを捧げて怒りを鎮めてもらわなければ。
綾人は家から近いケーキ屋に行き苺ロールケーキを二つ(ちなみに特大サイズである)買い、急いで帰った。
「まったく、レディにこんなにたくさんの荷物持たせるなんて」
「ごめん」
「今回はロールケーキに免じて許してあげるっ!」
綾人があんずが帰ってきた瞬間に正座スライディングをしながら捧げたロールケーキのおかげでさほど怒こった様子もなく頬張ってくれている。二つ一気に食べようとしているところはドン引きだけど。
「買っておいてなんだけど晩ごはん食べられるのか?」
「うんっ。 おにぃの作ってくれるものならいくらでも食べられるよっ」
「そ、そっか」
あんずの言葉はとても嬉しいが同時に体調も心配になってきて複雑な気持ちになる。今日はお腹に優しい鶏肉と大根のだし照り煮でも作ろうかな。この前喜んでくれたし。
この上なく幸せそうな表情でケーキを頬張るあんずをちらっと見たあと、綾人は料理に取り掛かった。




