<星鏡の魔術師>―その黎明に祈る―
セレナイト学園卒業から一年後。
ミラは、史上最年少の宮廷魔術師になった。<星鏡の魔術師>と名乗っている。宮廷魔術師の就任式にはそれまでにお世話になった人たちが集った。
ロウデンが、ドロシーが、レイチェルが、レベッカが、フランツェルが、フィンレストが、エムリナが、テルクニアが、リチャードが、就任式に出席した。
―そこに、彼の姿は、ない。
―ミラが辿り着いたその場所に、彼だけがいない。
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宮廷魔術師に就任して一ヶ月が経った。ミラは宮廷魔術師に与えられた会議室で椅子に座って紅茶を飲んでいた。同じ部屋には宮廷魔術師がミラの他に五人。全員が男性だ。魔術師業界で出世しやすいのは男性、という傾向がある。
就任したばかりのミラは六人の中で最も発言力が低い―はずだが、宮廷魔術師は全員同じ発言権、とのことだ。話し合いの司会は年長者が行うものの意見は同じように尊重される。礼儀は払いつつ遠慮はしないように、と自由も認められているのでミラはこの部屋でかなり寛いでいた。
「ちょっと早く来ちゃったかな」
集合時間までまだ二〇分ある。まだミラは宮廷魔術師になりたてだから仕事量が少ないようだ。集合時間前に今日の分の仕事を終わらせられたことからも分かる。ミラは大して書類処理能力は高くない。
一人で同僚を待つ。静かな空間に、ミラが紅茶を飲む小さな音だけが聞こえる。
一人―こんなとき、思い出すのは学園生活だ。
去年の誕生日に魔力量が発覚した。その後、ドロシーと出会った。レイチェルには背中を押してもらって、アーカルドと言葉を交わした。レベッカにはたくさんのことを教えてもらって、フランツェルとフィンレストを応援した。テルクニアとイエラクスには先輩として導かれ、エムリナには勇気付けられた。リチャードもシドラスも、後ろに戻れないよう逃げ道を塞いでくれた。
濃密な八ヶ月間。それまで生きてきた一五年間のどの日よりも眩しい思い出。最後には必ず、襲撃事件に行き着いてしまう。襲撃事件での後悔は数えきれない。
あの時、自分がもっと早く異変に気付いていれば良かった。もっと少ない魔力で<漆桶の魔手>の魔術だけを対象にした完璧な封印を施せていれば負担も少なかった。森へと向かったとき感知魔術を展開し続けていればあんな隙を晒さなかった。切り札を使うタイミングを間違わなければ彼が記憶を失うことはなかった。その全ての後悔を何度心に刻み込んだか。
「..................」
寂しくなったとき、頼るのは学園での思い出だ。困ったとき、縋るのは八ヶ月間で得たものだ。それは、卒業から半年以上が経っても未だ変わらない。
自分でも思う。情けないと、思い出して、嘆いて―それを繰り返す。―だが。
―もう、そろそろかもしれない。
そろそろ、頼ってもいい時期は終わりかもしれない。助けられるのではなく、懐かしむ―そんな自分の中での位置付けがきっと、一番相応しい。
ミラはそっと紅茶のカップをテーブルに置く。両腕を伸ばしてグッとのびをすると呟いた。これは宣誓だ。
―騒がしくて賑やかだった青春はもう戻らない。彼はもう、隣にいない。ミラのことを導いてはくれない。
それでもいい。いい加減、独り立ちするべき頃だろう。見習うべき信念は知っている。それを自分のものにできるまで、あとは走り続けるだけだ。
「ありったけの感謝を原動力に変えて前を向き続けよう―恩返しは、きっと終わらないもの」
導き出した結論に満足してふっと笑う。ちょうどその時部屋の扉が開いた。ニヤつく口角を無理矢理戻して姿勢を正す。流石に、まだ他人に教えるには借り物すぎて恥ずかしかったので。
部屋に足を踏み入れて軽快に言葉を交わすアーカルドとレグルスの会話に参加する。アーカルドのジョークにレグルスと二人揃って笑いながら紅茶を振る舞う。
少しだけ体が軽くなったような気がした。
*_*_*_*_*_*
ミラは実家に多くの荷物を置いている。普段は執務室と繋がる個室で寝泊まりしているが、連休にはバーバラン家の屋敷に戻る。会議を終え、次の日から三日間の休暇だったためミラは屋敷で食事をとっていた。
アレクサンダーは帝国で非公表任務、ユリウスは剣の聖地と呼ばれる都市で修行。屋敷には従業員とロウデンしかいなかった。夕食は必然的に二人でとることになる。
「お父様」
「どうした?」
「聞いたことがなかったと思うのですけど......何歳で引退なさるんです?」
ロウデンは現在三九歳。全盛期はとっくのとうに過ぎ去っている。医療技術が周囲の国と比べて発展している王国でさえ男性の平均寿命は五〇代前後だ。今大怪我を負えばロウデンは全治しない可能性が高い。
「今は考えていないな......ユリウスが一人前になったら、だろうか」
「今はどれくらいですか」
「半人前―甘く見積もって六割くらいか」
「まだまだですね。私が何か言えることは欠片もありませんけど」
「そうだな............早く、成長してくれると嬉しいんだが」
若干の憂いを帯びる言葉には違和感がある。視線が少し遠くを見るような色を含んだ。だがそれも一瞬のことで、ミラが感覚を探っている間に今度はロウデンが問いかけてくる。
「お前は今後どうするんだ?」
「......ぇ」
完全に不意を突かれた。ミラは思わず押し黙る。何度か呼吸を繰り返してえっと、と前置きした上でゆっくりと口にする。
「私は、宮廷魔術師として働きつつ研究をしていこうと思っています」
「......それでいいのか?」
「えぇ」
どうしてそんなことを、と思う。パチパチと瞬きをするとロウデンが食事の手を止めてこちらを見た。
「こちらの方でお前にとって好条件の見合いを用意しても―」
「あ、結構です」
ミラの目がすわる。こういう、一般的には恋愛事や婚約に興味を示す年齢の少女がしてはいけない目である。ロウデンですら少し身動きした。アワアワと体の前で手を振った。
「私、お父様には悪いですけれど結婚したいとは思っていなくて……命令なら、従いますが」
「聞いておきたかっただけだ……意中の男がいるなら連れてくるといい」
「…………」
ロウデンは学園でのことをどれほど知っているのだろうか。ミラが彼に抱いていた感情を、どれだけ理解してくれているのだろうか。
普通の恋愛―そんなもの、したことがない。これからもきっと。彼との関係性はもう発展しない。距離が縮まることはない。ミラのその感情が成就することはない。
「…………無理ですよ。もう、記憶がないので」
「――っ」
「自分で言っておいて衝撃を受けないでください」
一つ、吐息を溢した。
ロウデンのやや焦った顔が少し面白いと思ったことがバレないように俯いていたのだが、『悲しい現実を思い出した』とでも勘違いされたのだろう。ロウデンは言葉を重ねる―否、重ねようとした。ミラは、ミラにとって許せないことが口にされるのを防いで告げる。
「関係はまたやり直せばいい。顔さえ分かれば―」
「関係はやり直せばいい……そう思います。でも」
―でも、違う。もう彼は、『彼』じゃない。
ミラは全部覚えている。
出会った瞬間も、意識してしまった仕草も、救ってもらった言葉も、距離が縮まった出来事も、眩しい思い出も、後悔ばかりの別れも。
なのにどうして、記憶を失った彼をまた好きになれるだろう。ミラの宝物である思い出を失った彼は、『彼』とは別人なのに。
重い、と思う。でも彼が『彼』を超えることはきっとない。ミラが『彼』を嫌いになることも。
「出会い直せるとしても、私は『彼』がいい。私が知ってるカインくんじゃなきゃ嫌なんです」
キッパリと告げた瞬間のロウデンの見開いた瞳にミラが映る。その瞳に複雑な色を読み取って驚いた。
(どうして............って今私、お父様に思いっきりぶちまけちゃったぁあああああ?!)
心の中で阿鼻叫喚。恥ずかしいどころの話ではない。ミラは思春期なのだ。羞恥で死にそうである。顔も真っ赤になっている気がする。体が熱い。
バタバタとしながらデザートを胃に押し込んで立ち上がる。しばらくロウデンの顔を見れそうにない。小走りで自室へ。扉の前で頬を押さえる。
「本っ当に恥ずかしい............っ!!」
まあでも、悲しくて辛くても今は苦しくないからね、と『彼』に語りかけて。
*_*_*_*_*_*
朝、夜明けの少し前。早く起床して入浴したミラは、ベッドに腰かけた。部屋には大きな窓が取り付けられている。普段は閉めてあるカーテンは開け放っていた。
徐々に白んでいく空に浮かぶ星は目立ちにくくなっていく。その様子をぼんやりと眺めた。
「私......再会したら気付けるのかな。案外、見た目が変わっていたら分からないのかな」
変わるのが髪型だけなら大丈夫だと思う。でも学園指定の服しか見たことがないから、私服だと分かりにくいかもしれない。
それだと悲しい、と呟いた。
『彼』とは違うにしろ、折角再会できたのに気付けなかった、では後から知ったときショックが大きい。
「だからといってカインくんが記憶を取り戻すことは望んでないけど」
カインがミラのピンチを救った。そして記憶を失った―これはもう、覆せない結果だと心が理解した。今更『彼』との再会は望んでいない。
実際そんなことが起きればなんだかんだ嬉しいのだろうけど。
(私は小説の主人公じゃない)
ミラはミラの物語の主人公だ―でも、ミラの人生は小説ではない。そんな都合のいい展開は許さない。いい結果も悪い結果も全て抱いて生きていくのだと決めていた。
両手を胸の前で組み合わせて祈る。腕でブレスレットが小さな音を立てた。
―あの日の、宵闇に。
―数えきれない、黎明に。
―ミラが肌身離さず身に付けている、ブレスレットに。
『彼』に関する宝物は、全てそこにある。ミラはそれを忘れない限り、ずっと強く在れる。だから、ちょっとだけふざけてみた。
「私の物語に副題をつけるとしたら―その黎明に祈るかな?」
―多分それが、一番相応しい。そう、頬を緩めて。




