大事な婚約者、未来の旦那様
「.........緊張するな」
イエラクスは汽車の席で腕を組んでうとうとしながら呟いた。やや寝不足な原因は今日この後の予定にある。
「三年振りだから......ティアはどれぐらい変わっているのか」
少し背が伸びただろうか。流石に抜かされてはいないと思いたい。髪は伸ばしたのか、切ったのか。イエラクス的には長い方が好み。とはいえ、テルクニアはきっとどんな服装でもどんな髪型でも世界で一番だから今から気にする必要はないだろう。ちゃんと来てくれるだろうか。イエラクスのことを忘れたりはしていないだろうか―
一度考え始めると止まらない。身長のこと、髪型のこと、服装のこと、これからのこと。
組んでいた腕をほどく。汽車が停まったタイミングで立ち上がった。荷物を運び出して改札を通る。駅前の広場がテルクニアとの待ち合わせ場所だ。
現在一一時半。ピッタリ正午に待ち合わせだ。
テルクニアとの再会に高鳴る胸を意識しながらベンチに座る。イエラクスはしばらく鞄から取り出した本を読んでいたが、背後から話しかけられて顔を上げた。
「ねぇ、お兄さん」
「............全く覚えがないんだが、知り合いだろうか」
そこにいたのはやや露出度の高い服装の女性だった。濃い化粧をしていて、ベンチの前に回り込んでくる。
(最悪でも、覆い被さられることは避けたい)
まだ予定は詰めていないものの、結婚式直前である。レジュメル家、リゼット家の者に目撃されたらまずいし、そうでなくても騒いでいる方の片方がイエラクスと特定されるだけで十分まずい。
イエラクスはサッと立ち上がる。―そして、この後どうすればいいんだろう、と悩んだ。何しろ、こうやって絡まれるのは初めてなのだ。
「ううん。お兄さん、かっこいいなと思ってね。どう?自信あるんだ。私も結構、かわいいと思うんだけど」
「...........」
ふっと目を逸らす。どう答えればいいのか分からない。とりあえず、早く遠くに行ってほしいのだが。
女性はその仕草を動揺と見てとったのか、ずいと身を乗り出してくる。イエラクスは反射的に半歩後ろに下がった。
「お茶しにいくか、それとも......そういうこと、しちゃう?ちょうどそこにイイトコロがあるし」
「いや、ボクには大事な婚約者が」
「本当に大事?私のことはヒミツにしてもいいんだよ?」
この女性の言う『そういうこと』というのは聞かなかったことにしたいし、その指が差す方向を見ることすらしたくない。
(..................もう逃げるか?)
少ししてからこの場所に戻ってくれば問題なく合流できるはずだ。事を荒立てない対処法は分からない上に距離が思いの外近すぎる。端的にいって恐ろしい。
ジリ、と下がる。走り出そうとして、後ろから荷物を持っていない方の手―左手に柔らかい感触を得た。誰かの手だ。その薬指に、固い感触。
「..................っ!!」
誰のものか理解すると同時、体が一瞬で固まった。イエラクスの目が無意識に見開かれる。
視界の端に、ずっと焦がれていた青紫。挑発するような、不遜な響きを含んだ声が女性を迎え撃つ。
「―あら、自信があるのね。わたしの未来の旦那様に色目使って......リゼット家よりも相当家格が高い、ということ?」
その声に、イエラクスを構成する全細胞が歓喜する。女性はリゼット家と聞いて一気に顔を青ざめた。だが、テルクニアの言葉は止まらない。かなりお怒りのようだった。
「や、それはあの」
「ハッキリ言ってもいいのよー?さっきまでは自慢気だったものね」
「......っ」
「その物乞いのような服装と派手な化粧を改めて、リゼット家に勝る家格を持って出直してくるといいわぁ。そのときはわたしが叩き返してあげる」
かなり、どころではない。大激怒だった。テルクニアがこれだけ怒るのは珍しい。イエラクスは、今後は突っぱねなければならない、と確信した。
その間に女性はどこかに消えていく。それを見送ったテルクニアがイエラクスと向き直った。
「ラクスくん、久しぶりねー」
「......うん。ティア、元気だったかい?」
「わたし、超健康優良児よー?ここ数年は風邪を引いたこともないんだから」
胸を張るテルクニアは、最後に会った三年前よりも大人らしさがある。セミロングだった髪は腰の辺りまでになっていて、身長もきっと三センチは伸びているだろう。薄く施された化粧も少し変わっている。
テルクニアが意味ありげな視線を向けてくる。
「ラクスくんー」
紫紺の瞳が悪戯っぽく煌めいた。これは大体、イエラクスを揶揄うときの仕草だ。一度言葉を切るなど、その様子は全く三年前と変わらない。
すぐに分かったから覆い被せるように言う。その指摘はされたくない。
「悪かった」
「ん」
「三年も待たせてその挙げ句、体裁を気にして中々拒絶出来なかった。本当にすまない」
自分で言っていても、ただのダメ男だと感じる。貴族は面倒ごとがついて回るのにこの体たらくでは情けない、どころではない。
テルクニアが沈黙する。その間、イエラクスは自分を責めていたが、プッと噴き出す音に顔を上げた。
「―な」
「ラクスくんったら、面白いんだからぁ。留学で上手な冗談ができるようになるとは、わたしでも思わなかったわ」
「..................冗談」
まさかの冗談扱い。イエラクスは真面目な謝罪を冗談扱いされ、地味にショックを受ける。そういえば三年前、冗談が下手だと言われたか。
唖然としているとテルクニアは微笑んだ。珍しく、気恥ずかしげに視線を下げる。
「これも冗談よ............『大事な婚約者』―三年振りに惚気られたら、破壊力抜群だったんだもの」
朱が昇った頬を片手で押さえて先に歩いていってしまう。「わたしの未来の旦那様がカッコよすぎるんだわ」と残された呟きに、左手で顔を覆う。追い付こうとしつつ、すっかり熱くなってしまった頬を冷やす。
どれだけ惚気たら気が済むんだ、と小さな声で文句を言った。
(......体が熱くて仕方がない)
―『未来の旦那様』だなんて、イエラクスからしたら即死攻撃なのに。
*_*_*_*_*_*
フレデリカは廊下を走っていた。勿論、走ってはいけない。―だがそれ以上に、遅れるわけにはいかないのだ。
(ああああぁぁもうっ、部屋が遠いっ!!)
フレデリカは<従事者>管理本部の廊下を全力疾走。最近こんなことが多すぎて、体力がついてしまった。
今回走っている理由は忘れ物である。会議がある、ということではなく、普通に昨日の夜机に今日必要な魔導具を持ち出し忘れただけ。王都の近くの森林の魔力反応計測の集合場所は本部からも遠い。ここからまた向かうとなると、歩いていては間に合わないのだ。
「―っは、っ、ふぅっ」
ようやく辿り着いた。大きなつくりの扉を半ば体当たりで押して中に入る。部屋の真ん中辺りの机で引き出しから魔導具を見つけ、また走り始めた。
(噴水広場まで頑張って走れば、あとは歩いても間に合うはず)
噴水広場まであと五分、といったところか。本部に誰も居ないのは助かった。早朝なだけあって、未だ誰とも遭遇していない。誰かいれば本部内での全力疾走は出来なかった。
一定のリズムで呼吸しながら角を曲がる―と。
「なあぁっ?!」
「......っ!!」
人が、いた。見覚えのある顔だが、一瞬チラリと横顔が覗いたぐらいでは誰かは分からない。
とにかく、全力で通路の左側に避けて出口を目指す。何か呼び止める声が聞こえた気もしたが、幻聴だと思うことにした。それが王族でも宮廷魔術師でも知ったことか。
「―ごめんなさいっ!!」
謝罪の言葉を置き去りにて走り去る。そうして辿り着いた噴水広場。広場を横切る淡い藍色髪とくすんだ茶髪の中に一房の紫を見つけて立ち止まった。
フランツェルとフィンレストだ、と理解した。近付かずに待ってゆっくりと遠ざかっていくのを眺める。もうすぐあれだということもあり二人は大変仲睦まじく、歩くのが遅かったが待った。
「..................顔、見せたくない」
軽い散歩をしているだけのフランツェルと並びたくない。フレデリカは今、汗でビッショビショだ。
二人をやり過ごしたあともしばらくぼんやりと佇んでいると鐘が鳴る。午前八時、集合時間まで一〇分だ。―そして、集合場所までは走って一二分。
これは間に合わないのでは、と危機感を抱く。とりあえず走り出した。
結局、間に合わなかった。
*_*_*_*_*_*
ケイティは心の中で哄笑していた。物凄く気分がいい。セレナイト学園を卒業して一年半、一番機嫌がいいだろう。
(お金儲けってやっぱり楽しい)
今回、持っていきたいのは魔術組合との合同研究費用の補助をすることで成果から得られる金額の八割を受け取る、というところ。三年半前に稼いだ五〇〇〇万リゼルを全額ぶっ込む予定だ。
「私、セレナイト学園を卒業していまして。専攻していたわけではありませんがその研究がどれ程難しいことなのか......よく分かります。それで、どうでしょう?援助の他に共同研究者を紹介できますが」
その研究は答えを出すのも難しい。そこで共同研究者を紹介しよう、というのである。成功すれば五〇〇〇万リゼルが倍になるし、紹介のおかげで目の前の人物に恩も着せられる。
「............ちなみに、共同研究者というのはどのような方でしょうか」
その言葉に少し笑いが漏れてしまう。話は通していないが、最悪ドロシーの名前を出せば受けてくれるだろう。ドロシーを師匠と慕っているという情報は勿論押さえてある。
「あなたも知っていると思いますよ」
「少なくとも上級魔術師......と考えてもよろしいでしょうか」
恐る恐る、といった様子に今度は声を上げて笑ってしまう。失態失態、と涙が滲んだ目尻を拭って告げた。
相手の間の抜けた顔が面白い。
「ミラ・バーバラン......宮廷魔術師ならどうでしょう?」




