素直になりたい
「…………いただきます」
両手を合わせて、フォークを手に取る。真剣な表情で目の前の皿を見つめた。その瞳には桃が大量に乗ったシフォンケーキーホールである―が映っている。
かなり大きめのサイズだ。円柱状のその上には、余すところなく桃のコンポートがある。広く作られたテーブルの反対側でも甘い匂いが漂っていて、優しく鼻腔をくすぐる。誰でも一目瞭然―一流の職人が丹精を込めて用意した品。それだけあってコンポートもただ並べられているだけではない。美しく飾り付けられているのだ。誰もが食べるのを勿体ないと言うような出来だったが、女性はあっという間に食べ進めていく。
英雄が単身で要塞を攻めるかのような苛烈さ。それを眺めていたドロシーは紅茶を注いだカップに角砂糖を投入しながら呟いていた。
「まぁ、この場合フォークでケーキを切り崩している……が正しいんだろうけど」
正しいのだが、一切緊張感がない。あったとして、それは何かがおかしいが。
どうやら、その呟きは目の前の女性には聞こえていなかったらしい。命拾いした。ドロシーはそう思いつつも、やっぱりニヤニヤしながらカップを傾ける。熱い液体が喉に流れ込むが顔に浮かんでしまった笑みは消せなかった。怒られたらそれはそのときだ、と腹を括る。次の瞬間、どうせ怒られるから、ととりあえず煽ることにした。
「あたし、甘いものは苦手なんだけど……まさか、こんなに面白いものを見られるなんてね」
すると、残り三分の一程度だろうか。食べ始めた勢いのまま全く減速せずにホールのそのケーキを食べ尽くそうとしていた女性―レイチェルがピタリと手の動きを止める。口の中のケーキを咀嚼して呑み込み、高貴な女性らしく口元をナプキンで拭う。そして凄まじい眼光でこちらを睨みつけた。
「何が言いたいんです?」
「今言ったのが全てだって分かるでしょ、レイチェル。ケーキは美味しい?」
「..................」
視線が冷たかった。絶対零度である。とはいえ、レイチェルとの仲は七年以上になる。途中でしばらく会っていなかった時期はあるもののこれが照れ隠しというか、図星故の反応だとは分かった。
―レイチェルも、勿論ドロシーも大切な人には素直になれない質なのだった。相手に感謝を伝えるのが下手、どころではなく好物を指摘されるだけでこんな反応になるのである。
反対に、自分が攻めているときは調子がいい。
「あれ、美味しくないの?今日、開店時間の一時間前から並んで先頭入りしてたのに?驚いたなぁ、最後尾に並ぼうとしたらレイチェルが一番前にいたから」
「..................」
「楽しみだったんじゃないんだ?ケーキ食べるのとか、いつもが並じゃないぐらい速かったのに?」
「..................」
(反応がない......これは、キレてるかもしれない)
どうせ怒られるから、と開き直っていたはずなのに、背中を冷や汗が伝う。大貴族の出身なだけあって、レイチェルから滲み出る怒気、というのは途轍もなく迫力があるのだ。ミラなら逃げ出すだろう。
目を逸らさずにゆっくりと静かに息を吐いた。心を静めると、精神のみ戦闘態勢に入る。そして妹のケイティと似た黒い笑みを浮かべた。ドロシーが知っている中で最も怖い笑顔。守銭奴のドス黒い、えげつないことを考えているときの表情だ。
そしてまた口を開こうとしたとき、レイチェルが言葉を発する。ドロシーは当然のごとく凍りついた。
「えぇ、楽しみでしたとも......ところで、どうして一時間前から並んでいたことを知っているんですか」
かっちーん、と動きが止まる。紅茶のカップをソーサーに置くと音を立てる。機械じみたギクシャクとした動作をレイチェルが鼻で笑った。
「そ、それは」
「どうしてですか?」
「..................」
気恥ずかしくて目を逸らす。だが、レイチェルの追及は止まらない。
「もしや、見ていたんですか?」
「..................」
「そうですよね、近くにいないと見えませんし。ということは、合流の五〇分以上前に店に着いていたんですか?」
レイチェルを見つけたのに合流せず影から見ていたのは何故か。
ドロシーが答えられないことを分かっているのだろう。レイチェルはケーキの残りに手をつける。余裕の表情で訊ねてくる。こいつ性格悪い、と思った。不良時代から何も変わっていないではないか。
(............でも)
レイチェルを無視しながら、コッソリと考える。
―何も変わっていないのは、自分だ。
ドロシーだって、レイチェルと同じだ。七年前から多少は成長したものの、未だ中々素直になれない。誰に対しても本音を話してしまわないように立ち回って、ポロリと溢れた思いはすぐさま否定する。都合が悪くなったら逃げ一択。
なんて情けないんだ、とドロシーは思う。だが思うけれども、どうにもできないから変われないわけで。
―ただ、今日は言える気がした。
何故かは分からない。早く来たレイチェルに一人で照れた後だからか、レイチェルが先に本音を言ってしまったからか。
―レイチェルには負けていられない。
とにかく、そう思った。人付き合いが下手な『不良』なんかに、負けたくない。
(............それ以上に、レイチェルが言ってくれたから、っていうのもあるけど)
それは一旦胸に秘めておくことにした。「秘密がいっぱいあった方が関係というのは長続きするんですよ!!」と愛弟子が鼻息荒く主張していたのを思い出したからだ。聞いたとき、何かおかしいのでは、と感じたことは忘れている。
編み込んだ灰色の毛先を触る。アイスグリーンの瞳を落ち着きなく動かしつつ、ドロシーは言った。
「レイチェルとの食事、楽しみだったの......仕方ないでしょ?」
レイチェルが―
「......え」
―滅茶苦茶動揺した。
若干、顔が赤い。動揺した事実を覆い隠すように何かを言っているが、一人羞恥に悶えるドロシーは気付かない。
でも―ツンツンしなかったし、あたしにしてはいい傾向かも、と思っていた。
*_*_*_*_*_*
ちょうどその頃。
レベッカは学園から借りている教員用の部屋でゲッソリしていた。机の上に並べてあるのは、全部嘆願書と報告書である。計二三枚。その全てが一人の生徒の行動への抗議だった。
ミラが卒業して三ヶ月。ちょうどその時の試験で入学した生徒だ。
「どうしろってんだ、これ......面倒臭いな」
授業の無断欠席、度重なる遅刻。図書館の結界術に関する本が集められた部屋の占拠。寮を歩き回り、教室に何やら不吉な骨董品を並べ始める。制服は正規のものを着用しないし、実技訓練では結界術以外の無属性魔術に挑戦すらしない。
生徒間の関係も良好とは言い難い。寮室が隣だったり、授業の席が近かったりする生徒には変更を遠回しに希望されている。教員の中でもよく話題にのぼる女子生徒。新しい問題児、といっても過言はないだろう。むしろ、三ヶ月かそこらでそれほど周囲から敬遠されているのは才能である。どうしてそこまで、と頭をかきむしりたい気分だった。
レベッカは深くため息をつく。最近は疲労が酷い。<漆桶の魔手>襲撃事件の被害から、安全を確保するためセレナイト学園では教員が増えた。なのに、三ヶ月前よりも大変なのはどうしてだろう。
(とりあえず、生徒の要望は無視だな。欠席と遅刻は最悪教室に監禁でもすればいい。図書館は出禁か。制服は正規、骨董品は没収)
あと、訓練はどうにかしなければ。
報告書を順番に片付けていく。どこに行っても誰と話しても少女は大なり小なり事件を起こしていた。レベッカは書類作業を終えしばらくしてここに繋がる廊下から知っている声が聞こえてきていることに気付いた。
―ドロシーとレイチェルだ。聞こえてくる声から、差し入れを持ってきたのだと分かった。
「一旦中断するか......」
素早く飲み物を用意する。紅茶と珈琲と、ジュース。手間はかかるがそれでもいいと思った。テーブルから書類を移動させたところでノックがある。返事をすると扉が開いてドロシーとレイチェルが現れた。
レイチェルの左手には箱を持っている―ケーキを買って来てくれたらしい。脳が糖分を欲していたのでちょうどよかった。
「先生、こんにちは」
「............差し入れ」
差し出された箱を受けとる。二人にソファに座るよう促した。箱の中のケーキを皿に移す。
ドロシーはビターチョコレートケーキ、レイチェルは洋梨のショートケーキ、レベッカは飾り気のないチーズケーキ。三人でケーキを食べるときはいつもこうだった、と思いながら言葉を交わす。
「リルグニストも元気そうだな」
「お陰様で。この前の襲撃事件で昇格しちゃって、かなり忙しいんですけどね」
「......先生は地味にやつれた」
「問題児のせいだ。何だあの女は」
考えるだけでイライラしてきたので、一度息を入れ換えて落ち着く。この場所で文句を言っても仕方がない。
「......まぁ、悪くないぞ―ガキは甘えてるぐらいがちょうどいいんだからな。三ヶ月前までは手応えがなかったぐらいだ」
それに、チーズケーキのおかげか二人のおかげか、これからも頑張っていける気がした。最初に矯正から始めようと心の中で宣言し、レベッカは八重歯を覗かせて不敵に笑った。




